生まれて2か月余りで両親を亡くし、運よく周りのの人達によって育てられ、昭和39年東京オリンピックの年に群馬県から上京、仕事をしながらやっとの思いで大学を卒業したようです。(学業らしき覚えが余りにも少ないが) その後は沢山の異業種の企業にてサラリーマン生活を送りながら、昭和56年に空調関係の会社を設立しました。 幸いなことに、多く人達の協力を得て運良く成功し現在は、グループの中核となるニッシン冷熱を始め、第一サービス・サンリツ・フォーペット・ニッシン工業と5社をまとめた『NSグループ』の会長職に就いています。 それは感謝・感謝・感動・感動の連続、ただ運が良かったその連続だと思っています。 2011年3月 港区麻布台にイタリアンレストラン出店のお誘いを受けたと同時期に、東日本大震災が発生。自粛ムードや先行き不透明なこともあり、出店に戸惑いを感じましたが、『このような時だからこそ、自分に何かができるのでは・・・』という想いから『Pizza Nuova』をオープンさせました。 その後、多くの賛同者を得て、移動ピザカー(ぬーば号)を製作し、東北各所を中心に活動中です。 『ピザで東北を元気に!ピザで子供たちを元気に!』をコンセプトに保育園や幼稚園を始め、福祉施設などで「ふれあいの輪」を広げています。 縁合って『陸前高田市』の戸羽太市長・久保田崇副市長・佐々木一義議員・鵜浦昌也議員や、陸前高田市内の地域の方々と交流を続けています。 今では、陸前高田市を中心とした三陸地区に『Pizza Nuova』を出店し、地域交流・町興しきっかけづくりに夢を描いています。 運の良さが私を育ててくれたこと、人との繋がりを大事にしてきたからこそ今の自分があること、思うに両親の分まで生きて社会に貢献するように運命付けられたと考えています。 今では歳に負けずに、さらにこれからも努力し続けて、体力の続く限り、社会に恩返しが出来たら幸せに思っています。
岩手県陸前高田市。未来に東日本大震災の教訓を伝えるため、津波の到達地点に桜を植樹していますが、私たちの活動を示すものはありません。多くの人々の目に触れたとき、桜...