ここ御領棚田は、歴史的には430年以上前天正11年(1583年)徳川家康から御朱印を賜った「御領地」が名称の由来とされ、地域の農民が困難な地を開田したといわれております。 昭和20年代には、大小異なる棚田が1,000枚程もあり、中でも小さな棚田は畳半畳程の大きさで、蓑に隠れるほど小さかったことから、「蓑の隠れ田」と呼ばれて、名勝の昇仙峡に向かう観光バスが紹介していくほどの名所でした。 しかし、「関東有数の規模と景観」と呼ばれた御領棚田は、平成に入った頃には、300枚程に減ってしまいました。 高齢化や後継者不足などの様々な事情で、棚田の荒廃が進んでいったのでしts。 「このままでは、美しい棚田が無くなってしまう・・・」 こうした背景に、棚田再生・地域振興という面から立ち上がったのが、現在のNPO法人敷島棚田等農耕文化保存協会の前身である敷島棚田保存会でした。 公務員やサラリーマン等といろんな分野から人々は参加してきました。 これらが、現在のNPO法人敷島棚田等農耕文化保存協会となって今日に至っております。
御領棚田のろうそく祭りの光源をSDGSなものに代替えし、人的負担や環境負荷の両面から、文字通り持続可能なイベントとして、その情報発信力を強化し、御領棚田を次世代...