Socialgoodクラウドファンディングに参加するにあたって、 【 現状における 当方の志向 】 を表明します。 国家において、政治は科学的合理主義に基づいて決定されていく必要があると考えています。 ビッグデータ(インターネット上、市街地、両方でブロックチェーン、無人衛星、監視カメラ等から常時採取)やAI等を積極的に活用した上で計量政治学的アプローチによる政策立案を行い、これを公共政策に活かしていく必要があると思います(この点は東浩紀氏の一般意思2.0に近い立場です)。 倫理・協調性・正義・信仰心・愛(性愛、民族愛、家族愛など)また、一般にネガティブな物としては怒り・虚栄・攻撃性(自傷傾向も含)などについて、いずれも生命体としての人類の中枢神経をはじめとする、神経伝達物質、体内微生物も含めた生命活動が表層化したものであり、いわば「生命そのもの」であると捉えています。 よってこれらの価値を当然のことながら尊重しますし、科学的に解明していく必要性があると考えます。しかしながらこれらを正式にどのように呼称するかすらも含め、いわゆる情緒的判断によって政策立案の合理性が崩されることはあってはならないという立場にたちます。 ポパーが科学哲学で主張しているように科学は反証可能性を担保して発展してきました。相互に反証可能なデータを使用した反証による情報の絶え間ないアップデートとその余すところのない共有を重ねていくことが、これからの国家において安全かつ最大多数の最大幸福の維持を備えた公共圏を築いていくために不可欠であると考えます。その点ではハーバーマスらが唱えた熟慮型民主主義にも賛同する部分があるものの、将来的には、この政策立案の合理性や客観性の獲得には「意思(市民の意思という意味においての)」の介入を極力排さなければならないのみならず、属人性を【徐々に】排してゆく段階が【来るであろう】とさえ考えています。 国家が民主主義を取る場合、平行してリバタリアニズム的な個人の自由の最大化がはかられてきた向きが歴史の一部としてありますが、私は、この個人の自由の最大化が結果として全体の総和としての社会の利害と一致することは最後まで一度もなかった、という立場をとりたいです。 福祉政策や環境政策の行き詰まり、市民として哲学(知とも言い換えられる)を持ち日常的に実践していくこと(例えば『【個々人自身がそれぞれにこのようでありたいと求める健康的な生活の為に】は何を口にすればいいかを選択実践する』、といったことがこれに含まれる事象です)を非常に困難なことだと感じてしまう個人が多数存在していること、等々の「いま目前に存在する不幸」が私視点から明確に見受けられており、これらをその端的な例だと考えています。 このような問題を乗り越えていく【段階】として、例えばサンデルらが主張したコミュニタリアニズムの発想に立つ必要もあるのではないかとも考えています。 国家を維持するために、エンタテインメントの果たす役割が 【非常に大きく】、 【重要な物である】と捉えています。
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