【東北復興Liveツアー2019レポ】
今回訪れ、南三陸の語り部さんに聞いたお話をさせて頂きます。
YouTube にも上がっており見た方もいると思いますが、防災庁舎で防災マイクにて最後まで町民に避難を呼びかけた24 歳の女性職員がいた。あまり知られてないようだが最後は上司だろうか男性に代わって共に帰らぬ人となった。
この事故は防げなかったのだろうか?
いくつか原因はあるだろうが、まずは町長は職員に対して、町民の命を預かる立場ですので、役場に留まってくださいと伝えています。他にも水門を締めに行き命を失った方もいる。
しかし本来の原因はもっと以前にさかのぼる。
防災庁舎があった場所は1960 年のチリ沖津波において2m60 ㎝まで津波が来た場所。
その理由から防災庁舎建て替えの際、住民から反対の意見が出たが、予算の都合上その場所に建てられ災害対策本部が置かれた。
また町の中心部となる平野部は400 年前、伊達政宗の時代、埋立て造成により開かれた零メートル地帯だ。
そして、遥か昔6000 年~3000 年前、縄文の方々が生活した地域として縄文遺跡が約20か所点在するが、津波が来ない安全な場所で暮らしていた為、今回そこは津波は訪れていない。
元々海だった地域を人間の都合で埋立てた地域を海が取り戻したかのようにも見える。
そして東北各地の道路には「ここまで津波到達」「ここから津波」という表示がされているが、大震災以前より表示されており、実際に津波はそこまで到達したようだ。
今回の話を聞き、行政や関係各所の注意喚起を真剣に受け止め、自分が住む場所の、過去に何があったか、今住む地域の過去の文献や、行政が出しているハザードマップなどを確実に把握し、日頃から注意していければと感じた。
また一年ぶりに南三陸を訪れ、ナビを当てに南三陸に入ると、進むべき道はなく、ナビに乗っていない道を進むと目的地に着いた。
あとで聞いた話だが、町全体をかさ上げしているため、土盛りして道路を作り、また隣が上がるとそちらに道を移設し、次に道があった所を土盛りの繰り返しの為、まだまだ工事には時間もかかるらしく、工事車両が止めどなく行き来していた。