こんにちは!今日の活動報告はごーやー荘の誕生秘話の後編。
眠れなかったゲストハウスデビュー(笑)しかしなぜ民宿ゲストハウスを始めたいと思ったのか。
それは、宿泊施設というよりも新しい発見や人との出会いの場を作りたいということだったのだと思います。
10代後半から50代くらいまで幅広い年齢の人が宿泊し、肩書も分け隔てなく語り合う。その空間がただただ新鮮でした。
自由という言葉を描いたような空間で過ごした経験。
それからというもの、この時の体験が忘れられず、いずれはゲストハウスをやりたいと思うように思うようになっていったのです。
ここまではよくある憧れだけの話。しかし「いずれは」という思いがどんどん膨らみ、それから半年ほどするころにはもう場所や物件などを探し始めてたんです。
月イチで沖縄に通うようになり、レンタカーで雰囲気の良さそうなところを走っていたある日、とあるおしゃれなコンテナハウスを利用した木工ショップがありました。お店に入りショップオーナーに話しかけたら、この方が以前私が初めて泊まったゲストハウスの内装なども手がけたとのこと。そこから話は一気に盛り上がり。
私が「ゲストハウスを始めようと思っても、土地とか建物とか。。。数千万は必要だからやっぱり厳しいかなと思って」るという悩みを話したら、「なんで建てるの?あんなもんみんな物件を借りてやってるよ」とショップオーナー。
そう。民宿やゲストハウスなどをやるのに別に持ち物件じゃなくてもいいんですよね。後で調べたら旅館業法では物件の建築基準確認書と賃貸物件の場合は簡易宿泊所として利用できるという契約になっていればオーケー。
これで開業のハードルが一気に数千万から数百万に下がりました。こんな情報が得られたのも、自分が真剣に探して走り回っていたからじゃないかと今でも思っています。
それともう一つ。
物件探しについては、当時人気の北谷や読谷など海の側で探していましたが、妻から「コザもいいんじゃない?」と言われて、エリアを広げて探していました。
その頃はもうゲストハウスをやりたい一心に駆られてて夢にまで見るようになってたんです。その夢の中で「ゴーヤーソウ」という名前を言ってたんです。
その後、今の物件を紹介されました。送られてきたFAXの不動産情報を見ると住所は沖縄市胡屋。「胡屋にあるからごーやー荘だね」。ゴーヤーという野菜はTVドラマ「ちゅらさん」の影響で全国区になってました。なので一発で名前が決まりました。
決して賑やかとは言えないコザの街。でも私にとっては80年代後半のまだ賑やかさが少し残るコザのイメージもあり、その当時のように街を活性化させたいという意味もあり、ここの古民家で民宿ゲストハウス営業をすることに決めました。
それから15年、決して順風満帆とは言えませんでしたけれども、この街に根ざすことでその後の小さな奇跡も感じながら営業を続けてこれたのも、あの時ここに決めてよかったなと実感しています。
強く念じてその通りに行動していくと思いは叶うといいますが、当時はそれを体現するような奇跡が次々と起こっていました。
沖縄の島の形って何か龍のような形をしていると思いませんか?古い正史にもリュウキュウの名前の由来は「虬龍」(キュウリュウ)という角のある龍(のような想像上の動物)が海に横たわる様子から「虬龍」→「流虬」→「琉球」となったと書かれています。
そういった神秘的なものが深く関わって、南の島の奇跡が起きていると当時は感じていました。
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ごーやー荘のクラウドファンディング「エナジャイズプロジェクト」。これはごーやー荘の第二の出発とも言えるものです。
またここで奇跡を起こしたいと思っています。
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予告
この活動報告と並行して、ソーシャルコンテンツ・サービス「note」にて「ごーやー荘の軌跡」(仮称)を執筆予定です。すでにいくつか記事も書いています。気になる方はごーやー荘noteをフォローしてくださいね。