大学時代、新潟のツルハシブックスで店員サムライとしてお店に立っていた野島萌子です。もうすぐ27歳。時が経つのは早いな。
何かの間違いでテレビの制作会社に転職してから
毎日毎日仕事仕事仕事。飲み会。仕事仕事。
そんな感じです。まさにブラック。
働き方改革ってなんですか?(笑)
そんなわけで、ツルハシブックスの西田さんから
「野島も書いてくださいー」ってメッセージをいただいたとき
正直、書けないなって思った。忙しいし、全然本を読んでないし。
でも、ツルハシブックスって私にとってどんな場所だっけ?
と考えていくうちに、ああ書いてみようかなと思いました。
そこは、一言でいえば「何者でもない大人と話せる場所」でした。
私はたぶん、他の店員サムライの子やツルハシブックスにくるお客さんと比べてみても、そんなに本を読む方ではなかった。
でも、大学1年生でツルハシブックスを知り、卒業までの4年間、よく通わせてもらったなと思います。
すべり止めの大学に入学した私は当時、悔しくて悔しくて。田舎の大学に入りたての19歳にしては変に意気込んでいた気がします。
無名の大学だから、将来のことを考えて、「人脈をたくさん作っておこう。コミュ力で勝負できるようにしておこう。」みたいな。
よくわからないけど、「第一志望に受かっていたであろう自分よりも充実した4年間を送るんだ!」って言い聞かせていた。まさに、意識高い系でした。
今思えば、焦っていたんだと思います。
スタートダッシュが遅れてしまった感覚だった。
入学直後から、過剰なほどに、いろんなつながり、機会を求めて動いていた気がします。
程なく、ツルハシブックスにも出会いました。今でこそ、ブックカフェ、コミュニティカフェというのは馴染みの言葉で、全国各地にいろんな形でそんなお店・取り組みはあると思いますが、
当時、
『購入前の本をソファに座ってゆっくり読める本屋』(=ツルハシブックス 寛容な本屋だなぁ)
『お客さんがもってきたお菓子を店員も一緒になって食べちゃう本屋』(=ツルハシブックス もはや本屋じゃない①)
『近所の中学生の宿題を親でも先生でもない大人が教えてあげる本屋』(=ツルハシブックス もはや本屋じゃない②)
は初めましてだったので、面白い場所だなぁと思ったのを強く覚えています。
意識が高かった私は、ツルハシブックスにくるいろんな大人に話しかけ、将来役に立ちそうな、ためになる話をたくさん聞きたいと思っていました。
スポンジみたいに、いろいろ吸収するんだ!って。
でも思い返すと、大した話なんてほとんどしなかったな。
みんな、「何者でもない、ただの大人」だった。
意識高い大学生が会いたがるような「〇〇の社長」「〇〇を成し遂げた人」なんてそうそういない。
だけど、高校3年生まで、親・先生としか関わりがなかった私は「何者でもない大人」と話すことがどんどん面白くなりました。
みんな、日々の暮らしに一生懸命で、悩んだり、落ち込んだり、小さい幸せを見つけたりしながら生きていた。
当たり前だけど、10人と話せば10通りの生活、10通りの考え方がありました。
そのうち、「今日は誰がいるんだろう?」ってワクワクしながら店を訪れるようになった。
新潟の大学を離れると同時にツルハシブックスも卒業し、地元の千葉に戻ってきた私は、東京・新橋でサラリーマン生活を。社会に出て働ける喜びを噛み締め、キラキラした1年目を送っていました。
でも、2年目に突入する頃、仕事量の増加に反して人は減り、働けど働けど目の前のタスクがなくならず、そんな自分を優秀な同期と比較して落ち込み・・・
大変わかりやすく、「うつ病」になりました。24歳でした。
3ヶ月間起き上がれない日々が続き、外にも出れず、正直、「人生終わったな」と思いました。こんなに若いのに、もう二度と働けないのではないか、何かを楽しいと思うことができないのではないか。。。
もともと友達付き合いも、外に出かけるのも大好きでしたが「うつ病になったなんて知られたくない、言えない」という自分がいて本当に仲が良かった友人の誘いも全く受けられない状態でした。
ただ、少し回復してきたころ、ふと、ツルハシブックスで出会ったみんなになら会えるかもと思ったのを覚えています。
不思議だけど、きっとそれは自分のことを「何者でもない人」として捉えてもらえると思ったから。
「勉強ができる」野島、「活動的な」野島、「何事も諦めない」野島、
ではなく、「何者でもない」野島として見てもらえそうな気がしたから。
実際に、何人かツルハシブックスでお世話になった方とお会いしたり電話で話した時に、「何者でもない」野島でいられたのを覚えています。そしてそのとき、自分の中に「立派な大人になりたい・ならなければならない」という気持ちがあったことに気づきました。
ツルハシブックスで出会ったたくさんの「何者でもない大人」のことを思い出し、私は「立派にならなければ」の呪縛から解き放たれ、少しずつ少しずつ、元気になることができました。
19歳の、第一志望に落ちて焦っていた自分
24歳の、うつ病になり、人生に絶望していた自分
今もし声をかけてあげられるなら
「立派な大人なんていない。だから焦らないで。」と伝えたいです。
でもそれって、誰かに言われても、体感しないとわからないことだと思います。
だから私は、ツルハシブックスのような「何者でもない大人と話せる場所」を大事にしていきたい。自分も若い人たちにとっての、「何者でもない大人」になりたい。
かえるライブラリーで、「本を届けたい人」「本を読みたい人」が
本を通じて、「何者でもないどうし」のつながりを持てたらと思います。
最後まで、応援よろしくお願いいたします。