「かえるライブラリー」クラウドファンディング残り2日。
昨日の野島さんの寄稿は衝撃だった。「本屋、やりたい」って僕も思った。
「読んだ人が本屋をやってみたくなるような原稿」というテーマで、8人の人が原稿を寄せてくれた。
暗やみ本屋ハックツを2015年に東京・上石神井で一緒に立ち上げた宮本さん、原さん、海津さん。
宮本さん「大好きなバンドが、解散した」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/70335#main
原さん「気づいたら本屋になっていた」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/70679#main
海津さん「何者かになりたいし、何者でもない自分も認めたい」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/71278#main
ツルハシブックスのお客さんで、テレビの特集に出てくれた笠原早希ちゃん。
「自分の世界が広がるサードプレイス」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/70932#main
ツルハシブックスの店員サムライで一緒だった有紀ちゃん、葉月ちゃん。
有紀ちゃん「口から出る言葉以上のものを本に乗せて届ける」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/71646#main
葉月ちゃん「問いが始まる本屋」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72004#main
葉月ちゃんの妹で、2016年に長野県伊那市にカリカリブックス(仮)をつくった千晶ちゃん。
「なぜ大学に行くんだろう?」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72038#main
そして野島萌子。(なぜか野島だけフルネーム敬称略。笑)
「19歳で焦っていた自分、24歳でうつ病になった自分へ」
https://camp-fire.jp/projects/117607/activities/72112#main
この8つのレポートが全部心に刺さる感じ。
そして、最後にトドメ刺されたって。
クラウドファンディングも「場」になるんだって思った。
「場」によって引き出された「私も書きたい」っていう気持ち。
それは、「参加のデザイン」であるかもしれない。
ツルハシブックスのコンセプトは、
「気がついたら私も 本屋という舞台の 共演者になっていました」
劇場のような本屋ではなく本屋のような劇場を目指した。
その瞬間瞬間に即興演劇が起こるような、そんな本屋さん。
その本屋がピークを迎えたのが2015年12月だった。
その映像がこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=bYq8iDb_ei4
山田店長のラストの言葉、「これがツルハシブックスの日常です」に、シビれる。
野島の言葉を借りれば、
何者でもない大人に出会い、話をする中で、
何者でもない自分にも出会える場所。
でも、何者でもないからこそ、
その場に与えられた状況に応じて
店員を演じ、お客さんを演じ。
師匠を演じ、また弟子を演じ。
通りすがりのおじさんを演じてきたのだろうと思う。
その一瞬一瞬がかけがえのない瞬間だった。
僕は、2014年にツルハシブックスがソトコトの本屋特集を飾り、「地下古本コーナーHAKKUTSU」がNHK全国放送になったとき、なんとも言えない違和感を感じていた。
いつのまにか僕は、
「ツルハシブックスの西田」になっていた。
気持ち悪かった。
初対面の人に、「あ、あの西田さんですか?」と言われた。
いや、僕は、「あの西田」ではない。
目の前にたしかにいる普通のおじさんである。
その頃読んでいた本。
「40歳のためのこれから術~幸せな人生をていねいに歩むために」(松浦弥太郎 PHP研究所)
「40歳はリセットすべし」って書いてあった。
おお。マジか。って思った。僕は茨城に行って、40歳のただのおじさんになってみることにした。
大学という場で自分が通用するのか不安だった。
でも、実際は、通用した。
(自称。「大学生」には通用したけど「大学」には通用しなかった。泣)
それと同時に、東京に出ていく機会が増えて、素敵な同世代の活躍ぶりを目の当たりにした。
クルミドコーヒーの影山さんもそのひとり。
ちょうど2015年に「ゆっくり、いそげ」(大和書房)が発売されて、震えながら一気に読んだ。
そんな人に何人も会い、何者でもない自分に気づかされた。
「何者でもない自分」を受け入れるには時間がかかった。
そして、2018年春、僕は大学を退職して、新潟に戻ることになった。
新潟にいても仕事がないので、茨城や東京で少しずつ活動して、あとは旅に出ていた。
6月には新潟から車で九州・津屋崎まで行くという2週間の旅に出た。
「かえるライブラリー」システムをつくっていた、と言えば聞こえがいいのだが、
野島萌子がわかりやすくうつ病になったように、
僕は、わかりにくく依存症になった。
旅依存症だった。
退職し、無職となったサラリーマンがなると言われる「自分は世の中に必要とされてないんじゃないか?」と思うアレに僕自身もなっていた。たったの3年しかやってないのに。
成果を残したともいえず、
たくさんの周りの人に不義理をして茨城にいったのに、
お客だと想定していた大学生にもたいしたこともできず、
僕は新潟に戻った。
「ツルハシブックス」は、2016年11月に閉店していた。
昨年12月、僕はようやく元気になった。
実は、旅依存症であることに、自覚症状はほとんどなかった。
脱して初めて、自分が依存症だったことを知った。
きっかけは、「まきどき村の米づくり」の発売記念トークイベント。
20年前に人生を賭けて始めた畑サークル「まきどき村」。
それをいま、豊かさだと感じる人たちがいることを実感した。
かつての自分の感性を肯定できた。
ツルハシブックスは、最初から不採算事業だった。
大学生を地域企業に送り込む長期のインターンシップへ学生を呼び込む方法論のひとつだった。
インターンシップ参加企業からの会員費や、大学へのプログラム提供、新潟市とのコラボ事業等によって、本屋の赤字をフォローするような運営だった。
早朝にデスクワーク、午前中に外回り、午後からは本屋に立っている、そんな日々だった。
本屋に立っているとき、一緒にインターン事業をやっていた高澤くんに言われたことがある。
「本屋やっている時が一番楽しそうでいい顔してますね。」
そうだった。
僕は、本屋に立つのが好きなんだ。
って今、思い出した。
電車の空き時間に、はじめてお店にやって来るお客さんにとって、
僕は「本屋のおじさん」に過ぎない。
きっとそれが楽しかったんだ。
「本の処方箋」だって、カウンセラーでもない本屋のおじさんが、ただ、本を選んでくれる。そんなことで悩みが解決するはずがない。だからこそ、本当の悩みが話せるんだ。そういうコミュニケーションを作るのが、ただ、好きなんだ。
「みんな本屋をやりたくなるような」クラウドファンディング。誰もが、「どうして自分は本屋をやりたいんだっけ?」と考えるようなクラウドファンディング。そんな「場」が作れないだろうか?っていう実験。
僕はただ、本屋のおじさんでいられる場を必要としているのだなあと、この場によって、思い出した。
「何者でもない大人に出会える場、何者でもない自分でいられる場」
そんな「場」を僕も必要としているし、あなたも必要としているんじゃないですか?
本屋、やろうぜ。