先日、公開をさせて頂いた、
『森下雄一郎伝(第六話)』に登場した、
長崎での出会いの拡がりを、
作って頂いた方の一人をご紹介します。
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僕はこの写真が好きです。
僕と一緒に写っている方は、
長崎での出会いの拡がりを、
作って頂いた方のお一人です。
長崎平和公園の中にある、
ベンチでたくさんの事を教えて頂いた、
その瞬間を撮ってもらった写真です。
この方は...
『長崎原爆被災者協議会』
会長の田中重光さんです。
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僕は、恥ずかしながら、
この団体も、これまでの足跡も、
全く知りませんでした。
そんな僕に、
田中さんは丁寧に、何時間も、
この公園のベンチで教えてくれました。
先ずは『知ること』から、
それが"平和づくり"なんだと、
改めて感じた時間でした。
これからも許される限り、
少しでも多くの、戦争を知る、
そして悲しみや怒りを知る、
諸先輩方と出会い続けていきます。
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田中さんが会長をされている、
長崎の団体を下記にご紹介させて頂きます。
※ 長崎原爆被災者協議会について ①
(公式ホームページから一部抜粋)
私たちが被爆して
9年目の昭和29年3月1日、
南太平洋でのアメリカの水爆実験の
死の灰が操業中の日本の漁船第5福龍丸に
降り注ぎ、乗組員の1人久保山愛吉さんは
放射能障害で亡くなりました。
広島、長崎についで
3度目の核兵器の被害に、
日本中に怒りが渦巻き、
原水爆反対の声が満ち溢れたのでした。
こうしたなかで、
昭和30年には広島で
第1回原水爆禁止世界大会が開かれ、
長崎の被爆者も参加、被爆の実相を語り、
原水爆反対を訴えたのでした。
第2回世界大会は
長崎で開かれることとなり、
その準備に取り組む中で
被爆者の組織づくりがすすみ、
初代会長は杉本亀吉さんが選ばれました。
ついで8月9日の第2回世界大会の翌日、
この長崎の地で、
被爆者の全国組織
日本原水爆被害者団体協議会
(日本被団協)が誕生しました。
原水爆反対の声と全国各地に生まれる
被爆者の会に圧倒された政府は、
被爆者を放置できなくなり、
昭和32年3月、
ようやく「原爆医療法」が制定されて
「原爆手帳(被爆者健康手帳)」の
制度ができました。
被爆から12年目のことでした
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※ 長崎原爆被災者協議会について ②
(公式ホームページから一部抜粋)
長崎原爆被災者協議会(略称 被災協)は
もっとも古くから長崎で修学旅行生に
被爆体験を語り伝えている被爆者団体です。
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