こんにちは!
合同会社Active Learnersの山ノ内凛太郎です。
目が、痛いです。
前回から、弱音ばかりですみません。
集中モードに入ると、朝から晩まで何も食べなかったり、トイレと机の往復で1日が終わってしまうこともよくあるんです。
精神的には、とっても充実した時間を過ごしているんですけれど、身体的にはふざけんなよという状態なんでしょうね。
世間一般の執筆活動中のみなさまは、一体どうなんでしょうか。
執筆者の首・肩・腰が、心配です。
ということで、今日も4時に起きて執筆活動を行なっているのですが、ふとした気付きがありました。
僕たちは、ファシリテーターが、もう必要なくなる本を作りたいと思っているわけですが、
ファシリテーターが場に必要なくなっている場って、どんな場なんでしょうか。
僕が思う一つの視点としては、その場にいる一人一人が、「自分がこの場をつくっている」という意識を持って臨んでいる場だと、今は考えています。
ファシリテーターという、中立の立場で進行しているから気付けることがあるのですが、例えばグループワークなどを行なっているとき。
誰か1人の声のボリュームが、その他のメンバーのボリュームを決めることが多々あります。
誰か1人がテーブルに広がっている模造紙に書く文字の大きさが、その他のメンバーの文字の大きさを決めることが多々あります。
どこか1つのグループから大きな笑い声が起きた後、他のグループから立て続けに笑い声があがることが多々あります。
なぜか。
安心感が生まれるからです。
誰か1人、どこか1つのグループが例示してくれれば、それが「そこまでは大丈夫なんだ」という場での振る舞い方の判断基準となります。
このように、もしかしたら自分の行動が、他の誰かの行動を考える一つのきっかけになっているかもしれない…みんながそう思ったら、自分の立ち振る舞い方にも気を遣いますし、同時に他の人のことをもっと見るようになりますよね。
…と、ここまでを打っていて思いついたのが、
これ、茶道に似ているなぁと。
ほんの少しかじった程度の僕が語るのも大変恐縮なのですが、僕が茶道で一番好きだなぁと思うところは、
お客さんにも相応の所作が求められること。
亭主のおもてなしの心が随所に散りばめられたお茶席において、客人はしっかりとその気配りに気づき、所作をもって礼を返します。
来てくださって、ありがとう。もてなしてくださって、ありがとう。
亭主と客、2者でその場をつくっているその在り方・豊かさが、僕にとってはまさに理想の場だと、改めて感じました。
だから僕は、この本は、場を企画する人だけでなく、場に参加する人にも読んでいただきたい。
新人でも、歳下でも、入ったばかりでも、その場にいる私も、場をつくっている一人なんだ。
そんな感覚を持ってもらえたらなぁと、思っています。
引き続き、執筆、頑張ります!!!