みなさんこんにちは!
先日、出身の被災した保育園へ行ってきました。
その保育園の園長先生とのお話しです。
震災直後は学習棟といって、小さな公民館のような寄り合い所で保育をしていたそうです。
しかし、そこは建物の基準上、手洗いなどの水道が外にしかなかったとの事。
食事の度、また汚れ物を洗う度に寒い外に行って水道を使うのがとても大変だったそうです。
また、いくつかの保育園が合併して合同で保育していました。
部屋も充分に無いため、0歳〜3歳を一部屋に、4歳〜6歳を一部屋に、との保育でした。
ドイツの支援から、現在の仮設的な建物を寄付してただき、
元の場所で保育を始めました。
しかし、余震の度に鳴るサイレンに、あの日を思い出すかのように泣き出してしまう子。
一度、1.5キロほど離れた小学校に避難しなくてはいけなくなった時があり、
泣きじゃくる子どもたちの手を引き連れて、なだめながら小学校まで歩いて避難した時には、
本当に子ども達がかわいそうだったとお話してくださいました。
また、震災により親御さんを亡くされたお子さんは保育士さんを親代わりに常にしがみつき、
先生方はとにかく安心させたいとの思いで、その手を一度も離すことなく、
体中がしびれるまで抱っこしたり寄り添ったりしたそうです。
子どもたちも不安な中、先生方も不安な中、
安心させる方も被災している。
心の傷というのは、振り返るまでの時間が長ければ長いほど、
癒えるのに時間がかかると聞きました。
しかし、振り返るには四年はまだ短いと思います。
そして、当時幼い子どもたちが振り返るにはまだ時間がかかるような気もしています。
もちろん、大人も子どもも、振り返れる時期は個人で違うと思います。
精神的な支援はこれからもっともっと必要になるような気がしてなりません。
また、それは人それぞれ、時期も違うし内容も違います。
細かい配慮と支援のやり方を模索しています。
今後とも応援をよろしくお願いいたします!
鹿嶋静