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初めまして、国際協力NGO Anya'sの代表/園長の佐々(さっさ)と申します!
フィリピンのセブ島でストリートで育って学校に通うことやご飯を食べることも出来ない子どもたちの未来へのきっかけとなるような寺子屋(学校)設立を目標として活動しています。
わたしは小学校5年生の時から孤児院をつくることが人生の目標とゴールでした。
17歳のとき、根っからのパーティーピーポー生活を送っていたわたしが、フィリピンへ英語留学に行きました。
選んだのは “ セブ島 ” 。
リゾート地と言われているところで、わたしはもちろん浮かれモード!バケーション感覚で留学へ旅立ちました。
しかし、空港を出た瞬間2歳くらいのまだ自分の母国語も話せない小さな女の子が伸びきったブッカブカの大きさで、ボロボロのTシャツに裸足、そして汚いカップを持ってわたしに「ワンペソ!ワンペソ!(1ペソ2円)」と駆け寄ってきました。
わたしはショックで号泣してしまい、その日はその子のことが忘れられなくて眠れなかったのを今でも覚えています。
そこで、わたしの人生のゴールであった孤児院を建てるのはこの根っからのパーティーピーポーの心を動かしてくれたフィリピンのセブ島だ!と心に決め、また使命だと感じました。
10年前セブ島で出来たフィリピン人の友達(わたしは後ろのちょうど真ん中です)
今から約18年前、当時わたしが小学校5年生のときに学校の授業で調べ学習という科目がありました。
そこでわたしは特に興味関心もなければ、学校がとっても嫌いで、好き嫌いも多く、わがままで、将来の夢はギャルになることくらいだったので調べ学習のテーマが中々決まりませんでした。
そんな時、「世界がもし100人の村だったら」という番組を見て衝撃を受けて、自分と同じくらいの子が学校に行きたくても行けなくて、お腹が空いていていくら発狂してもご飯が食べれない状況をみて小学生5年生のわたしはそのとき将来絶対に孤児院を建てて、せめて飢えで死ぬということを無くそう!と心に決めました。
それから、学校で募金活動をしては貧しい国に送ったり、着なくなった服を寄付していました。
しばらく経って、17歳になり、フィリピンのセブ島に行くことになりました。
上記で書いた通り、初めての発展途上国ですごく衝撃を受けました。
そして、わたしが全世界、全てを救うのは難しいかもしれません。 ですが、1人が少しづつ手を取り合えば可能なこともあると思います。
わたしには“諦める”という選択肢はありませんでした。
トライもせずに、自分の技量をはかれないと思います。
孤児院をたてたいと思い、約18年間、賛同、批判たくさんありました。
失敗しても信念を曲げずに生きてきて今に至ります。
わたしの座右の銘は『今を生きる』です。
今を一生懸命生きなければ、昨日という思い出もなければ、明日という未来にも繋がらないと思うからです。
ですから、わたしは楽しいことも辛いことも全力に受け入れて、全力でアウトプットします。
子どもたちにも、その日生きるか死ぬかだけのことを考えるのではなく、環境で左右されるのではなく、子どもらしく色んなことに挑戦して羽ばたいていってほしいです!
世界一楽しい寺子屋をつくりたいと思っています!
(10年前セブ島で出来た友達part 2です)
•貧困家庭から、家計を支えるため路上に働きに来ている者
•家族を離れ、あるいは失い、子どもだけで生活している者
•家族全員が路上に暮らしている者
とWebサイト上に書かれています。
しかし実際に現地で話を聞いてみると……。
貧困ゆえに、トラブルに巻き込まれ、あるいは病気で親族が他界してしまい家族と離れ離れになってしまった子ども。
虐待を受けて自ら家族から逃げてきた子ども。
事情は様々。
ですが、全ての原因は貧困のスパイラルで貧困がなくならないことにあります。
なぜ貧困なのか考えたときに、わたしは最低限度の教育がないからだと感じました。
ですから、そもそも親、そしてその親からの教育が
「やっていいこと、ダメなことの良し悪し」
という道徳がないため分別がわからないまま大人になっていくのだと思います。
そのため、犯罪に走ってしまったり、向上心というのがあまり育ちません。
なので、日本式かもしれませんがわたしは道徳、
例えば、
「 あ り が と う 、そして、 ご め ん ね 」
は大切だと思いますし、わたしも学校が大っ嫌いでしたが、学校に通うことにより学問だけでなく、
「 協 調 性 ・ 人 へ の 思 い や り ・ 忍 耐 力 」
も育つと思っています。
そして、自分の考えや目標を持ったら、幸せのチェーンが繋がっていき、将来豊かになるのではないかと思います。
(訪問したNPO法人セブンスピリット様の施設)
孤児院をつくることをゴールに掲げつつ……。
と思いました!
まずは庭付きの一軒家を借りて、部屋を塾のような形に変えて、勉強ができるスペースの確保。
庭を半分はミニ畑、半自給自足を目指し自分たちで何かを育てるということも意味合いも込めて野菜などの栽培ができるスペースの確保。
庭のもう半分は軽い運動ができるスペースの確保。
そして、勉強だけでなく、ダンスやエンターテイメントも加えようと思っています!
(ちなみにこちらは、セブ市が経営している孤児院です。)
大人はときと手段で自分の人生を選べるかもしれません。
子どもは大人がときに道しるべをしてあげないと、わからない場合があります。
ですが、もしその道しるべをするべき大人がいなかったら……。
わたしがやればいいんだ!と考えました。
(フィリピンの民族衣装です。)
わたしは、両親もいて、ちゃんと屋根のある場所で綺麗な水を使ってお風呂に入り、食べたいにときご飯を食べ、喉が乾いたときに飲みたい飲み物を選んで生活してきました。
なので、ストリートチルドレンの子の気持ちは100パーセントわかってあげることが出来ないかもしれません。
が、わたしも10代の時に “ギャル” を貫いて生きていたら世間からなぜか反感をかい、正直あまり居場所がありませんでした。
ですが今、そんなギャルが世界を変えたくて、自分が偏見を受け感じたことを活かそうと一歩づつ前進しています。
子どもたちにも自分の環境を負い目に感じないで、個性を大切にしてキラキラ生きて、そしてそれが幸せの連鎖になって欲しいのがわたしの願いです。
されど、まだまだ未熟者です。
なので、皆様のお力も貸してください!
【初期投資内訳内容】
・施設初期費用・・ 200万円(施設の初期レンタルフィー+修繕・改修費用)
・食費(1ヶ月)・・ 15万円(スタッフ5人×1日3食で1000円)
・支援物資の輸送費・・ 26万円(ダンボール50kg1箱13,000円×20箱)
・スタッフの給料 ・・11万5千800円(1ヶ月×5名)
・雑費 ・・ 30万円(トイレットペーパーなどの消耗品、薬など)
合計: 2,825,800円 (1ヶ月)
【実施予定スケジュール】
3月1日 HP作成の打ち合わせ
3月2ー14日 日本事務所の整理、支援物資の仕分け
3月15日 現地NPOスタッフとの打ち合わせ
4月17ー5月16日 フィリピンにて施設の内見、契約、ローカル支援
7月 学校施設の改善開始
9月 学校運営開始
2019年12月 リターン発送
施設が完成しましたら、是非とも現地に来て自分の目でリアリティを見て頂くのが1番素敵なことですが、皆様もお忙しいと思いますので、少しでも現状や子どもたちの成長をわたしが少しでも身近に伝えれたらなと思っております。
施設完成後、写真などを撮ったり現状報告をしたいと思っておりますので、12月まで少々お時間をいただきます。 ご了承くださいませ。
【メール・写真付きメール・ミニフォトブック】
フィリピン、セブ島の素敵なところ、リアルな現実を含め色々な情報を発信していきたいと思っております!
もちろん、学校が出来上がってからの報告、子どもたちの現状を含めた内容となっております!
ミニフォトブックは、文庫サイズくらいを予定しております^^
【名前・会社名の掲載】
ご自身が掲載してもいい名前(ニックネーム可)、もしくは会社名をHP、施設に掲載させて頂こうと思っております! もちろん、匿名希望の方は掲載を控えさせて頂くのでご安心くださいませ。
ささやかではありますが、感謝の気持ちと皆様もワールドワイドに羽ばたいて欲しいと願いを込めて掲載させて頂きます!
【オリジナルTシャツ】
Anya'sのロゴ入りオリジナル、チャリティーTシャツを今回高額支援をしていただいた方に限定で配布いたします!
サイズは、ユニセックスのS,M,L,XLの4種類になります。
【2週間セブ島英語語学留学】
この度IDEA ACADEMIA様に協力して頂き、20万ご支援して頂いた方にセブでの2週間英語語学留学の提供をいたします!
レッスンはもちろん、部屋付き、食事付きです!!
また、授業時間外で是非Anya'sにもお越しくださいませ!^^ 現地でお会いしましょう!
※但し、・滞在ビザ・電気代・SSP・航空券は自己負担となります。
(SSPとは、SSP(Special Study Permit)は直訳すると「就学許可証」で、観光を目的として入国した外国人が正当な目的で滞在期間の延長を希望する際、滞在を特別に許可するビザの一種です。 発行元はフィリピン法務省管轄の移民局になります。 フィリピンでの短期間の留学においてはSSPが必要となります。)
※部屋は4人部屋のドミトリーとなります。
※2月〜3月末、7月〜8月末 “以外” の日程となります。
小学校5年生から掲げていたわたしの人生のゴール。
そして、調子に乗って行った留学が思わぬ展開になり、30歳までにまたここに帰ってきて孤児院を建てる!って決めて、遠回りもいっぱいして時間はかかりましたがやっとここまで来れました。
わたしは子どもたちに夢や希望を持って欲しいし、人間やればできるということを教えてあげたいです。
そんな子どもたちに色んなキッカケを与えたいです。
わたしは見た目も派手ですし、賢くもありません。
ですが、そんな人間でも英語の先生ができたり、接客業ができたり、自分が願って努力すればなんでもできるというお手本になればと思い、「あにゃスタイル」は貫きたいと思っております!
例えば、わたしが10人の子どもと関わって、そのうちの1人でも心が動いて、将来その子がまた10人と関わって、そしてまたその内の1人の心が動いて……。っていう幸せの連鎖が続けばいいなっと思っています。
どうか皆様のお力添えもよろしくお願い致します!!
皆様から頂いたパワーで全力投球させてください!
長い文を読んで頂きありがとうございました。
国際協力NGO Anya's 代表/園長 佐々
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