私が多摩少年院の運動会を観させていただくにあたり、最も考えさせられる演目が「保護者参加競技」と「昼食会・集団面会」である。少年たちが少年院に来るまで、そして少年院から出るまでの期間は概ね一年を越える。
つまり、通常の面会の機会を除き、保護者や家族が子どもと会える機会は著しく制限されている。しかも、面会室は互いに座って話をすることから、子どもの心身の成長を目の当たりにすることは難しい。10代は数か月みないだけでも身体つきが変わる。そんな成長著しい時期、保護者がわが子の「動く状態」を見ることができ、制限の少ない形でコミュニケーションを取りながら食事をともにすることができるるのは運動会という機会くらいしかない。
そもそも、少年院にいる少年たちの家庭は複雑である。実父母が揃っている割合は男女とも3割前後で、母子家庭の割合の方が多い。
今年の「保護者参加競技」は、少年が風船を膨らませ、家族ゾーンまで走って来て、家族の誰かと背中合わせで両手の肘をそれぞれ掛け合わせ、身体の間に風船を挟む。そしてグランドの中央までそのまま移動して、風船を割る。その後、家族ゾーンまで一緒に戻り、少年は家族と離れてもとの場所に戻っていく。
最初、法務教官が見本を見せる。少年役の教官はわざと大げさに「おとうさーん」と叫ぶ。その声を聞いた父親が登場し、久しぶりの再会に強く抱きしめ合う。その後、風船を背中で挟みあい、コミカルな動きで移動し、風船を割る。戻るときには手をつなぎ、スキップをしながら、笑顔で戻っていく。「大げさに」と言ったが、誰にもわかりやすく、笑いを誘うべく大げさに振る舞う。
そして、実際に競技が始まると少年たちは次々と家族ゾーンに向かい、家族を探す。
ある少年は満面の笑みで家族のもとに駆け寄る。そして父親と抱擁し、笑顔で所定の位置へ移動。風船を割ったあと、肩を抱き合い何かを話しながら家族ゾーンへ戻って来た。10代らしい笑顔だ。父親の表情も久々の息子との再会に笑顔がはじけている。
別の少年は、法務教官のように大きな声で「おかあさーん」と叫んだ。恥ずかしさで感情を抑えてしまいがちな少年たちのため、法務教官がとったオーバーな見本の意味に気が付いた。そして近づいてきた母親に、大きな身振り手振りで駆け寄り、楽しそうに会話をしている。その安心した表情は少し長く家に帰ってこなかったお母さんと再会した園児や小学生のようでもあった。母親と小学校低学年くらいの弟が出迎えた少年は、何やら話し合って背の丈が合わない小さな弟と風船を運び、抱っこして家族ゾーンへ。
家族といっても実父母、または、そのどちらかがいる少年ばかりではないのだろう、祖父と思しき年齢の離れた男性が迎え出たこともあれば、親子というには年齢は近く、おそらく、姉とみられる女性ひとりで出迎えているケースもある。外国にルーツがあると思われる母子の姿も見られた。
すぐに身体を密着させられる親子、互いに遠慮してうまく移動できない親子、満面の笑みで会話する親子、どちらも涙を流しているように見える親子、積極的に会話する祖父母や、誰が競技に参加するかを譲り合っている家族の姿があった。さまざまな競技や出し物があり、対抗戦としての競技得点があり、音楽や号砲など、中学や高校の運動会と変わらない風景のなかでも、少年たちがおかれた家族の複雑性が、少年院運動会にはあった。
少なくない数の少年は、出迎える家族や親族が不在だった。理由は知りようもないが、周囲の少年が久しぶりに家族との再会を果たすなか、彼らは何を思うのだろうか。出迎えのない少年は、膨らませた風船を持って法務教官のもとへ行く。法務教官も大きな笑顔で子どもたちを迎え、そして実の家族であるかのように背中で風船を挟み、あえて大げさな動きで移動、風船を割って家族ゾーンに帰ってくる。笑顔の少年もいれば、感謝の意を表した動きをしながらも表情はあまり変わらない少年もいる。
※この記事は、2016年10月15日に、Y!ニュース掲載原稿より抜粋しています。全文は下記より読むことができます。
躍動する少年と家庭の複雑性、少年院運動会を見て(工藤啓) - Y!ニュース
文責:工藤