2019/06/20 15:57

みなさま、

バタフライボードの福島です。
本日はボーズでの製品開発ストーリーを共有させて頂きます。

< ボーズ編 その2>
なんとか最終の社長面接を通過し、1997年5月に無事ボーズへの入社が実現致しました。しかし、直面した課題は、ビクター時代の音づくりとボーズの音づくりは全く違ったという事です。簡単に言うと、設計者個人に依存する職人的なビクターの音の作り方と、だれが設計してもブランドの音になる理論的なボーズの音づくり。そして目指す音は「原音再生」のビクターと「コンサートホールの感動を家庭に」というボーズの正反対なアプローチでした。どちらが正しいかという解はありませんが、日本と米国の音づくりの両方を学んだいい経験でした。

そして、開発ストーリーとして最も記憶に残っているボーズ入社後4年目の29歳(2001年12月)の作品ペンシル型スピーカー55WER。

開発のきっかけは、私が当時住んでいたアパートの家具の隙間にピッタリ収まるサイズで超個人的理由で開発をスタート。箱型スピーカーが常識の中で、パイプ型で如何に低音を出すかが大きなテーマ。そしてボーズ創業者のアマー G. ボーズ博士 の特許技術Acoustic Wave guide technologyの理論を改良し、プロトタイプが完成。自身初の国際特許を出願し、なんと10年後の2011年に特許化されました。そして世の中にペンシル型というカテゴリーが出来上がるまでに至りました。

こう書いてしまえばへーで終わるのですが、プロトタイプから販売に至る経験は今でも脳裏に焼き付く大胆な作戦と行動でした。その指揮をとった当時の日本法人社長には今でも様々なアドバイスを頂いています。

まずは音響理論が確立し、プロトタイプを制作を行い、シミュレーションと実測を1年くらい繰り返し最適化を実施。(この時はハンズで買った水道管を繋いで実験してました)

そして、8割くらいの完成度で社長に「びっくりデモ」を行い製品化したいプレゼンを実施。
*びっくりデモとは当時のボーズではグローバルで行われていたデモンストレーション方法で、人は見た目で音を判断するという理論を利用して、大きなダミースピーカーから音が出ている雰囲気を出し、曲の最後にダミースピーカーを取り、実際音が出ていた小さいスピーカーが出現するというデモンストレーション

このデモンストレーションが見事社長にはまり、

社長)よし製品化だ。しかも直ぐにだと。。。。

福島)直ぐにと言ってもUS本社の承認プロセスは長く、早くても設計着手までに1年はかかりますが、、、、

社長)そんなのはわかっとる。俺には2週間で承認させるアイデアがある。

福島)さらにまだ完成度が8割ですが、、、

社長)いいからそれを持っていけ!

福島)え?

<ゲリラ作戦開始>

社長)2日後ハワイに飛べ、そしてこのシステム全部をハンドキャリーしろ
ボーズ博士が来週いっぱいハワイの別荘にいるで、一緒に直にデモンストレーションしに行くぞ!

福島)え?

社長)ハワイの後そのままボストンへ行け、本社役員を集めておくので、同じデモンストレーションをしてこい。俺は行かないけどね

福島)え?

ということで、ドタバタでしたが何とか2日後に、ボーズ博士の別荘へ到着。

そして、機材セッティングやデータを準備しデモンストレーションを実施。そして、課題は頂いたものの、何とかボーズ博士から製品化のGOサインをもらいました。この課題を言わせるという事が重要だという事を後から言われ、ようやく、なぜ社長が8割で聴かせろといった意味がここで分かりました。。。時間をかけて100%完璧な商品よりも、早く80%のもので反応をみる事の重要性は、まさしく今のバタフライボードの開発思想そのものとなりました。

ボーズ博士の別荘にて、左から当時の日本法人社長、私(29歳)、ボーズ博士、博士の秘書


その後、中国での量産で金型不具合により、発売延期とさせてしまった反省はありますが、過去に類を見ない速さで商品化に至りました。

私は社長の指示に従っただけでしたが、かなり綿密に計算された根回しが行われたゲリラ作戦でした。

「行動を起こす事」、「根回しは綿密に」、「完成度は8割で早く」、といったビジネスの基本を体で学んだ経験でした。


もっとディープな話が聞きたい方は、私を呼べる権利もありますので、ぜひご検討ください!


次回に続く