2019/05/05 15:33


どうも、この大会を主催しています

北林と言います。

今回はこの大会を始めるきっかけについて皆さんに伝わればと思い書かせてもらいます。


アンリミテッドパラ陸上というスタイルを考えて始めたのは、2008年北京オリンピック・パラリンピックを見て具体的に構想を描きはじめました。

私自身も数々の海外派遣を経験してきましたが、2008年オリンピック・パラリンピック大会の誘致には、当時、大阪市も名乗りを上げていて、結果、大差で落選ということは衆知のとおりです。

当時、日本ではまだ、障がい者は別扱いという時代に、中国では、オリンピック選手・パラリンピック選手に分け隔てなく、同じ報奨金が支給される。

さらには家1軒をプレゼント?など本当かどうかはわかりませんが、とにかく国家事業として、オリンピック選手もパラリンピック選手も差別しない取り組みを知り、日本ではこの先到底無理だなあ~と落胆したものです。

それから、なぜ日本では障がい者を取り巻く環境が特別扱いになるのだろうか····といろいろ考えているところに、2016年アフリカのジンバブエという国に、障がい者スポーツの指導ということで、派遣要請があり、ジンバブエに行ったことで、障がい者に対する特別視をする日本の弱点が見えました。

物が豊富にある日本、物がないジンバブエ!

障がい者を別扱いする日本、特別扱いしないジンバブエ!

障がい者自身が制度を活用できる日本、障がい者自身がより逞しく生きていかねばならず制度がないジンバブエ!

障がい者には優しくしようと教育される日本、障がいのあるなしに関わらず、その人自身に必要とされる手助けしかしないジンバブエ!などなど

障がい者自身の逞しさと偏見がないジンバブエの人々とふれあったことで、人としての本質に気付かされました。

人として···という無形の文化を日本に取り入れるには、国や行政の政策を待っていてもスピード感はないので、結局、庶民が築き上げ、自由度が高い民間の力で意識を変えていくしか方法がない!という結論に至り、分け隔てない、アンリミテッド=無制限のスタイルに辿り着いたわけなんです。

その中でも、障がいクラスごとに分けられている数が、一番多い陸上競技から、ごちゃまぜスタイルに挑戦することにしました。

一番難しいところで、成功すれば、いろんなスポーツにもアンリミテッドスタイルを応用できる!

そんな考えが、始めるきっかけなんですよ!