昨日1月14日、なんとオイミャコンと「地球寒極」の位置を競うベルホヤンスクに渡航した日本人の方の渡航報告会に行ってきました!
実はその方と僕らは、以前から知り合いでした。
東大5月祭でメンティがロシア系の屋台を開いて、普段日本では買えないレアなウォッカを売っていたところ、その方がウォッカの全種類を制覇して何度も来店してくれて、メンティの仲間とも沢山話し混みました(笑)
メンティの団体でやっていたロシア関連の料理交流会にも来てくれて、その後ずっと仲良くやっています!
その方は車でウラジオストクからロンドンまで走ったり、大変旅好きな方でロシアにも今まで数回行ったことがあります。ロシア好きな彼はどのようにしてベルホヤンスク渡航の難業を達成できたのかを知りに、昨日僕らも渡航報告会に行きました。
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「寒極って2つあるの?そんなんだったらオイミャコンを地球寒極となんて呼んでいいの?」とさっきから気になっている方々もいらっしゃると思いますが、今説明させていただきます^^
オイミャコンの最低記録気温は1926年に観測されたものですが、その頃のロシアであったソ連と国交を持った国はほとんどなく、先進国にはほぼほぼ無視されていた逆鎖国されていた状態にありました。
そういう状況もあり当時の世界の有力機関(アメリカ気象庁など)はオイミャコンでの最低記録気温を北半球最低のものとは認めていません。これが現在までずっと続いている状態なのです。彼らが認めていた、認めているのはロシア帝国時代19世紀のベルホヤンスクの-67.8℃なのです。
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会場に来てみると人で溢れかえっていました。主催者本人に聞いてみてもPRもしていないのになんと、知り合いでもない全くの赤の他人が会場にいる方々の役30%を占めていたのです。
意外にも「サハ共和国」や「ベルホヤンスク」、「オイミャコン」って日本でも熱いテーマなんだなと改めて感じました。
報告会自体はベルホヤンスクに行かれた方が写真を見せながら自らの旅のことを分かりやすく丁寧に語っていくというスタイルでした。空港や飛行機の中の様子、身につけていた服装などのディテールから現地の住民との交流や文化、猟師と過ごした刺激いっぱいの日々や、食事などまでとても広範囲に及びました。
僕らも渡航に使える防寒服や、現地の移動などについての実用的な情報を沢山得ることができたので、それをFULLに僕らの渡航にも生かそうと思っています。
刺激も意義も沢山あった、そんな会でした〜!
僕ら3人が日本に帰ってきてからやる報告会では、そのベルホヤンスクに行って来られた方にもお話をしてもらうので、僕らの報告会にもみなさん来てください^^