はじめに・ご挨拶
はじめまして、「株式会社テランガ」の家木 麻菜(いえき まな)と申します。
はじめまして、ではない方にも、ご覧頂いているでしょうか。36年間の人生で出会い、名刺や連絡先を頂いた皆様に今回、不躾にもはがきやメッセージをお送り致しました。
17年前、当時19才の私が「恋のから騒ぎ」に出演していた時、
番組のADだったKさん!
その4年後に、目黒駅でタクシーに乗ったら、私が運転していたから、とてつもなく驚いて、動転し、なぜか名刺をくれましたね。私も物凄くビックリしました。
その節は、ご乗車頂き、ありがとうございました。何かのご縁だと思って、是非ご支援をお願い致します!
私はどちらかと言うと貧乏寄りの、一般家庭で育ちました。車の運転と、人と話す事が大好きだったので、23才の時、突然思い立って、タクシー運転手になりましたが、地元で普通に暮らしていたら、まず出会えないような、様々な職業の方に、たくさんのお名刺を頂戴しました。
昔「恋から」に出ていたのに、今はなぜかタクシー運転手をやっていて(しかもかなり楽しそうに)、次はバスの運転手になりたいとか、ゆくゆくは社長になりたいって、ちょっと変な子だけど、面白い!と思って頂いたからではないでしょうか。
あの時のあの子が今、こんな事になっているのかと、楽しくご覧頂き、お気持ちだけでも、応援して頂けたら、こんなに嬉しい事はございません。
タクシーの乗車時間など、たかだか小一時間の事ですし、昨今では女性ドライバーも珍しく無くなりました。全く覚えていないという方も当然いらっしゃるかと思いますが、こういった経緯で、10年以上も前に、頂いたご連絡先です。
もし、ご不快な思いをお掛けしてしまったとしたら、誠に申し訳ございません。
タクシー以外にも、様々な職業を経験してきました。
ひとつの仕事に就いて、1年半から最長でも6年と、やりたい事がコロコロ変わり、長続きしないのは、「自分の我慢が足りないからだ」と思い悩んだ時期もありました。
でも、「今度は〇〇をやってみたい」「人生は一回だし、どうしても〇〇になりたい」と思い立った事を、周囲の理解のお陰で、実現する事が出来、色々な経験を積んで来られた事が、セネガルと日本を股に掛けて、新しい事に挑戦しようとしている今、とても役に立つのではないかと思っています。
「株式会社テランガ」社名の意味
「テランガ ”teranga”」とは、唯一の社員でもある、夫・アジズの母国、アフリカ最西端の国、セネガルの「ウォロフ語」で、
「おもてなし」や「思いやり」「助け合い」という意味です。まさに、私達の目的にぴったりの言葉だと思い、社名としました。
家族で中古タイヤ集め
もうすぐ11カ月の息子サンバは、毎日一緒にどこへでも連れて行きますが、
初めての飛び込み営業先でも、ニコニコと笑顔を振りまいてくれます。
「おめめと頭、クリンクリン!かわいい~!!」と、自然に笑顔になって、
「いらないタイヤを頂けないでしょうか!」という無遠慮なお願いにも、親切に耳を傾けてくださいます。
怒涛の1年11カ月
どこからお話しするべきか、大変悩みましたが、私達を知らない方や、何年もご無沙汰している方にも、ご支援のお願いをするのですから、少し長くはなりますが、最初から聞いて頂きたいと思います。
長いと言っても、よく考えてみると、アジズと出会ってすぐに、「軽自動車で日本半周」の一人旅に出発し、
戻って間もなく結婚、出産、会社設立と、一つだけでも「人生の一大イベント」と言えるものが、たった1年11カ月の間に、目まぐるしく起こりました。
彼と出会う前の私は、ずっと無神論者でしたが、この怒涛のようなスピード感に、神様の存在を感じずには居られません。
出会い ~お互いの夢~
2017年8月、共通の友人が経営する、行徳のバーで出会った私達は、すぐに惹かれ合いました。
育った国や人種は、見ての通り全く違いますが、実は言葉さえも、ほとんど通じない状態でした。
アジズは当時、来日4カ月で、日本語は挨拶程度でしたし、セネガル共和国は、現地語であるウォロフ語と、植民地支配(約60年前に独立)の影響で、現在でもフランス語が公用語です。
私のフランス語レベルといったら、絶望的で、「ボンジュール」と「マドモアゼル」の2語ですし、2人とも決して真面目な学生とは言えなかったので、英語もほとんど喋れません。
片言の英単語や、ジェスチャーと、翻訳アプリを駆使して、沢山の事を語り合いました。
その日は終業時間未定の仕事が終わり次第、会う約束でしたが、16時に終わって電話をかけると「電源が入っていません」のアナウンス。
知らない国で、ほとんどお金も持っておらず、携帯まで充電切れだなんて、さぞかし不安で心細いだろうと、私はいてもたってもいられず、周辺を捜し回りました。
30分程経って、闇雲にこんな事をしていても、きっと時間の無駄だと思い、会社に戻って作ったのがこの張り紙です。
ところが、充電切れだと思っていたのに、5時になると、電話がかかってきました。
お昼頃に、電池残量が2%になってしまったので、ずっと電源を切っておき、終業時間を見計らって、電話をかけたんだと言います。
私は「アジちゃんって機転がきくんだなぁ」と驚いて、惚れ直しましたし、彼も私の張り紙を見て「まなちゃんすごいよ!」と、とてもはしゃいでいました。
日本人同士なら、こういう事自体、まずあり得ませんが、始まったばかりの、恋を盛り上げるのには、とても有効に働きました。
雨が降った翌日の話です。散歩中に私の雨靴の、靴底が外れた時、私は当然のように、コンビニでサンダルを買おうとしました。
一軒目には売っていなかったので、違うコンビニに行こうとすると、アジズがキョロキョロと辺りを見回して、落ちていた傘用の細長いビニール袋で、私の靴を縛ったのです。
アジズと一緒にいると、嬉しい驚きがたくさんあって、それと同時に考えさせられる事も少なくありません。恵まれた環境で、素晴らしい国で、便利や安心、快適が当たり前だと思っていましたが、これは本当に、すごい事なのだと。
でも決してそれが、良い事ばかりでは無いという事も。全てに感謝して、いつも反省をしなければならないと、教えてくれます。
セネガルの良い所と、日本の良い所を足して2で割れたら、とてもバランスの良い国になると思います。
サンバにはどちらの国の現実もしっかりと見せ、それぞれの言葉も教え、自分で物事の分別が出来る大人になって欲しいと思います。
もちろん言葉は、通じた方が便利ですが、たとえ簡単ではなくとも、「伝えたい」と一生懸命、話す時の表情や、「理解したい」と必死に、聞こうとする姿勢。
それだけで、「こんなにも相手の事がわかって、自分の事をわかってもらえるのか…」
出会ったのは、前の彼氏と別れて1カ月の頃で、日本人同士なのに、言葉が通じないかのような喧嘩を繰り返して、疲れ果てていたので、人種や言葉は、関係無いんだと、本当に驚いた事をよく覚えています。
そしてお互いを、知れば知る程、好きな事や、価値観が似ているとわかりました。
将来の夢についての話をした時には、こんな事があるのかと驚き、興奮しました。
「皆で助け合って暮らせる村を作りたい」という全く同じ夢を、それぞれが何年も前から持っていたのです。
なぜ、村なのか ~日本~
私がこのような夢を持ったのは、ごく自然な流れだったと思います。
母は私が7歳と20歳の時の、2度離婚をしており、身近な周りの大人たちも、また私自身が大人になってからは、親しい友人達も、「あんなに幸せそうに結婚したのに、数年後には離婚」という夫婦が大多数だったのです。
そして、離婚のために心を痛めている、大切な人の様子を間近で見るたびに、
「結婚なんてしない方が、絶対に幸せだ」
「傷つきたくないし、このまま自由でいたい」
「誰にも迷惑をかけずに、生きていきたい」
「だけどやっぱり、年を取ったらひとりは寂しいのかな」
といった事を、常に考えるようになっていました。
約7年の結婚生活に終止符を打ち、離婚したばかりの友達と、将来について話をしていた時の事です。
「もう二度と結婚はしたくないけど、子供が出来なかったから、一生このまま一人で生きていくのかと思うと、不安で押しつぶされそう」
と涙ながらに語る彼女に、思いつきで、こう返した事が始まりでした。
「じゃあ、もしおばあちゃんになっても、お互いに一人だったら、一緒に住んじゃおうか」
「それいい!!お願い!一緒に住んで~!!」
それから、別の共通の友人にこの話をすると、
「私もそこにまぜて欲しい」 シングルマザー(37才子供2人)に始まり、
「仲間に入れて頂くために、今から役に立つ何かを勉強しておきます」とは、 母の同僚(43才独身)
「時間が無いから早くしてよ~!」だなんて笑 祖母の友人(87才夫と死別)
と次々に希望者が増えていき、 ついには「じゃあもう、それって村だね!」という壮大な夢へと、自然に膨らんでいったのです。
仕事とは
千葉県市川市の「行徳」という住宅都市で育った私は、仕事とは、毎朝満員電車に揺られて会社に行き、毎月お給料を貰って、するものだと思い込んでいました。
母は初めの結婚の時、専業主婦になりましたが、父の、幼馴染とのダブル不倫(相手にも家庭がありました)が原因で、幼い子供を2人抱えて、離婚しました。
“何が起きても大丈夫なように、誰にも依存せず、自分の生活を自分で賄える、自立した大人になりなさい”
真面目にコツコツ働いて、でもずっとお金が無くて、だけど悲壮感は全く漂わせず、明るく育ててくれました。
一つの会社に何十年と、当たり前に勤めてきた母を見て、弟は同じように成長しましたが、なぜか私は学生時代から、そういった環境にうまく自分を合わせられず、大人になるにつれ、ますます、生き方や働き方に、疑問を覚えるようになってしまいます。
軽自動車で一人旅 15日間で109,256円
2017年8月に行った一人旅では、本当にたくさんの事を学びました。
当時の彼氏が営んでいた設備屋で、一緒に仕事をしていた私は、別れる事になった途端、大好きだった仕事まで、失ってしまったのです。
ちょうどそのタイミングで車を買い替えた為、古い車を、母の2番目の元夫(仲の良い育ての父)に、譲るべく、岐阜まで運転して届けようと思い立ちました。
仕事も彼氏も無いなんて、せっかくのチャンスだからと、大好きな海に沿って、行ける所まで行ってしまおう!と結果、九州まで行く事になります。
前日の夜、食事をしながら、大まかに決めたルートを、軽自動車でゆっくり進んで行く。
面白そうな所があれば立ち寄り、
お腹が空いたら、美味しそうな物を探して、綺麗な景色を見掛けたら、車を停めて写真を撮る。眠くなったら、車にカーテンをして眠り、また走る。
そんな風に気ままに旅をして、私の知らない日本を見ました。
「日本って、良いとこ、
いっぱいあるんじゃん!!!!」
国内旅行は何度もしていますが、新幹線や飛行機は勿論のこと、車でだって、高速道路に乗ってしまえば、目的地まではあっという間です。
観光地では無い場所にも、景色が綺麗な所は、数え切れない程ありましたし、土地代が安そうで、あまり人が住んでいなさそうなこの辺り・・・村、出来る!と思った場所も一か所や二か所ではありません。
良い仕事は都会にしか無いと思い込んでいた私は、都会では無い場所で、真摯に仕事に取り組んでいる方々に出会い、これこそが生きていく為の、本当の意味での「仕事」だと、ずっと疑問に感じていた、働き方や生き方の答えを教えて貰った、感動しきりの旅となったのでした。
実現できる、理想論
「シェアハウスのように、それぞれが個室を持ち、大きなリビングとキッチンは共有する等、適度な距離感は保ちつつ、それぞれが得意な仕事を頑張る」
例えば、お金を稼ぐ能力がある人は、それを実践し、家事が得意な人は、料理や掃除をする。時間があって、子供が大好きなおばあちゃんには、時々子供をみてもらう。
これは子供を預けたり、家事をお願いして、仕事をするという意味ではなく、子供や皆と一緒に出来る、それぞれの仕事を作るのです。
インターネットショップの写真撮影や、商品の掲載は、カメラとパソコンがあれば出来ます。子供に触られて困る物は区画し、常に目の届く範囲で、自由に遊ばせていれば良いのです。
仕事ですから、どうしても集中しなければならないタイミングは、当然あると思います。そういう時には、コーヒーでも飲みながら、子供に何かが起こりそうだったら教えてくれる、もう一人がそこに居てくれれば、良いのではないでしょうか。私なら、他人に何時間も預けるより、余程安心できます。
農業だってレストランだって、雑貨屋さんだってタイヤ運びだって同じです。
もちろん愚図ってしまい、思うように進まない事もありますが、いてくれるからこそ頑張れる事や、役に立ってくれる事だってあるのです。
私は結婚するまでずっと、子育てに関する事だけでなく、環境問題や恐ろしい事件・事故を耳にする度に、「今がこんな世の中なら、子供の未来はたぶん、もっと真っ暗だから、一生産まないでおこう」と、考えてきました。
これらは全て私の主観による「世の中の理不尽や失敗」ですが、男女雇用機会均等法と女性の負担増、核家族化と個人主義の浸透、食物アレルギーや、過度の除菌、抗生物質の薬剤耐性、ゆとり教育等、数え上げれば切りがありません。
そして今、正しいと信じているその常識が、また覆される事もあるでしょう。
でも、もしかするとこれは、より良い世の中にしようと、人々が変化していく途中経過で起こる必然で、どんなに努力しても、いくら頭の良い人が考えても、所詮人間には、正解なんて分からないから、ずっと途中経過のままなのかもしれない。世界中の皆が幸せで、素晴らしい世の中になるなんて、夢物語なのかもしれない。
今の日本では、子供が犠牲になる等の、考えられないような事件が多く起こります。今回改めて聞いたところ、セネガルではそんな出来事は一切無く、殺人事件と言えば、ほとんどが喧嘩や強盗だそうです。もちろんそれなら良いと言っている訳ではありませんが、日本が進んで来た方向は、間違っていた気がしてなりません。
アジズはよく、一緒に車に乗っている時に、横を通り過ぎる歩行者や自転車に乗る人の表情を見て、「日本人は皆、ストレスを抱えている、顔を見ただけで分かる」と溜め息をつきます。そう言われてよく観察してみると、確かにそういう顔色をしている人が、本当にたくさんいます。
それならば逆に、世間のせいにして、自分の生き方を抑え込んだりしないで、悩みながら、間違えながらでも、自分の心が正しいと感じる方に向かって、たとえ夢物語だとしても、「私は信じて、生きていこう」と考えるようになりました。
このクラウドファンディングに挑戦するにあたり、たくさんの方々のプロジェクトやブログを拝見しました。時代の流れなのか、働き方や、生き方を見つめ直すという事を、発信されている方の多さに驚きました。
という事は、頭の中にある考えや計画を、上手く言葉にすることが出来れば、共感や応援をしてくださる方や、一緒に村を作ってくれる仲間は、必ず見つかる筈だと、苦手な書き物に、一生懸命挑戦しました。
そして、人はきっと、誰かに頼られたり、誰かの為に何かをしてあげる事でこそ、本当の幸福を感じられるのではないかと思っています。
自分の大切な人を、喜ばせる事が出来た時ほど「心が気持ち良い~(byアジズ)」瞬間は、他にありません。
そしてそれは、繰り返すと、どんどんお互いの心が綺麗になって、別の誰かにも、広がっていくものだと思うのです。
アジズと出会うずっと前から、考えて来た夢でした。きっともう、一生結婚はしないだろうと思っていた私が、一人で生きていく為に、一生懸命考え出した夢でした。
二度も辛い離婚を経験し、弟が巣立った後は、ずっと二人で生きて来た、とても仲の良い母が、順当にいって、先にこの世からいなくなってしまったら、私はその後、どうすれば、生きて行けるのだろう。元々は、そんな風に考えて、必死に生み出した、夢でした。
遠く離れたセネガルで、同じような事を夢見ていた、アジズと出会ったのは、本当に運命なのかもしれないと思います。
二人で力を合わせれば、それぞれが思い描いていた村よりも、もっと素晴らしい村が出来るはずです。そして、村作りという難しい仕事に、こんなにも心強いパートナーはいないと、お互いに思っています。
アジズの場合 ~セネガル~
セネガル共和国では、人口の約95%が、ムスリム(イスラム教徒)だそうです。
そして彼は、その中の一種である、ムリッド教団の「バイファル “Baye Fall”」という集団に属しています。
彼らは「労働する代わりに、御祈りや断食をしない」という一風変わったムスリムなのですが、
そのバイファルたちの指導者である、「セリンビー “Serigne bi”」(先生)は、フランス人の奥さんと、子供と一緒に、フランスで暮らしていました。
しかし、首都であるダカールの東、約120 kmに位置する、故郷の小さな村 「ンデム “Ndem”」の、急速な過疎・高齢化に危機感を覚え、30年程前に、2才の女の子を含めた家族3人で、絶滅寸前の村へ、移住したのです。
何も無い所に作物を植え、家を建て、ミシンを買って、新たな移住者には仕事を教え、また1台ミシンを買ってと、少しずつ、人と仕事を増やしていきました。
そして、コットン製品をメインにしたブランド「マームサンバ ”MAAM SAMBA”」を立ち上げます。
店舗の上階には、マームサンバの布や竹製品で、室内を装飾した、ホテルをオープンしました。
また、生活用水は井戸水だけに頼っていましたが、新たに水道を引き、学校や病院を建設して、人々が戻って来て、快適に暮らせるように、少しずつ、村を作り直していったのです。
セネガル人とフランス人の夫婦が、2才の女の子との、家族3人だけで始めた、村作りでしたが、今ではNGO団体も設立され、お年寄りが数人しかいなかった、絶滅寸前の村は、約350人が暮らす、活気溢れる場所になりました。
マームサンバの製品はフランスやイタリア等のヨーロッパ各地でも人気があり、以前はフランスにも直営店を出していたそうですが、そこを閉めてしまった理由がセリンビーらしくて、とても素敵です。
マームサンバ製品を気に入って、長年買い付けに来ていたフランス人のお客さんがおり、その人はフランスでセレクトショップを経営していました。
数年間に渡って、売れ行きはとても好調でしたが、直営店が出来れば、そちらの方が安く購入できるので、当然顧客は流れて行きます。
このままではそのセレクトショップが潰れてしまうと、出したばかりの直営店を、早々と撤退してしまったそうです。
最初に考えなかったんかい!とは正直思いましたが、そこもまた先生のお茶目なところなのでしょうか。
皆で村作りをしていて、建物を作る予定の場所にアリの巣を発見すると、そこを途中で止めて違う場所に、始めからやり直す人です。
そして、アジズが命を捧げた人です。
現在のセリンビーは、家族やバイファル達と、ンデムとはまた別の、新しい村「ンバケ・カジョール“Mbacke Kadior”」の開拓を進めています。
NDEMの動画(2013年頃)
マームサンバの店舗内の様子や、インタビュー(フランス語翻訳あり)、生地の染色や、村の給水設備が見られます。途中で出てくる、オレンジ色の服を着た、綺麗な女性は、最初に移住した時2才だった、セリンビーの長女です。
セネガルはこんな国です
セネガル共和国は、面積197,161平方キロメートル(日本の約半分)、人口約1,500万人と、とても小さな国ですが今、アフリカ諸国の中でも、経済成長が著しいと言われ、実質GDPは、2014年以降、毎年6%以上の成長率を維持しています。「出典:IMF2019年4月版」
2年前には新空港の建設が行われ、土地の価格も高騰し始めて、新しい物が次々に流行し、日本との輸出入業を始めるには、絶好のタイミングだと考えています。
一方でまだまだ、貧困により、毎日満足にご飯も食べられない子供達がいます。
アジズも実は、離婚経験者で、前妻との間に3人の子供がいますが、離婚後別々に暮らしていたアジズの家に、毎週末会いに来る度に、一緒に大量の料理を作り、近所の子供達に配っていたそうです。
そして自分もいつかは、セリンビーのように、「テランガ “teranga” おもてなし 思いやり 助け合い」の精神で、「皆が助け合い、安心して暮らせる村を作りたい」と自然に考えるようになったのです。
直行便は無く、最短ルートでも20時間以上と、遠く離れた日本とセネガルで、同じような事を、夢見ていた2人が、1年11ヶ月前に出会って結婚し、子供を授かって、会社を設立しました。
大変な事や、凄まじい喧嘩も、もちろんありますし、私はそもそもずっと、こう思いながら生きて来ました。
「所詮人間には、他人に幸せを貰う事はあっても、他人を幸せにするなんて、大それた事は出来ない」
でもどうしても今、「たくさんの人達の幸せの為に、あなた達にはやるべき事がある」と、神様に言われているような気がして仕方が無いのです。それを途中で諦める事など、到底出来ません。
そして、サンバがいつも、こんな笑顔で、すぐそばに居てくれるから、何があったって、いくらでも力が湧いてきます。もしこの子が居なかったら、そもそも始める事すらしていなかったとは思うのですが、周囲から「豆腐のメンタル」と言われる私の事です。もし始めたとしても、きっと苦しくて、とっくの昔に投げ出してしまった事でしょう。だからこそサンバが私達のところに来てくれたのではないかと思っています。
これまで周りの迷惑は省みず、我がまま放題で楽しい事ばかり、愛情と幸せいっぱいの人生を過ごさせてもらった分、これからは人として、母親として、経営者としての責任を果たせるよう、有り余るくらいのお返しが出来るよう、全身全霊で頑張ります。
このプロジェクトで実現したいこと
村を作るという壮大な夢を、実現するために、資金作りの第一歩として二人で計画したのが、「40フィートのコンテナ船で、中古タイヤを輸出し、マームサンバ製品を輸入する」というプロジェクトです。
これまでの活動
今年の3月から、無料の中古タイヤを、集めて回っていましたが、当初考えていたよりも、時間がかかり、経費が嵩んでしまった事。
また、無料で集めることのできる、サイズの小さなタイヤのみで輸出しても、セネガルでの販売が難しいという事がわかり、トラック等の大きなタイヤを、購入する必要が出てきてしまった事。
そして、出資の約束をしてくれていた方に、やむを得ない事情が起き、約束が反故になってしまった事。
これらの理由により、資金が底をついてしまい、また、実績が無いために、銀行や公庫の融資は受けられず、恥を忍んで、皆様にご支援をお願いする、決心を致しました。
資金の使い道
リターン商品の購入や仕入れは、セネガルでタイヤの売上が、上がった後に行います。また、本プロジェクトはAll-in方式で実施致しますので、もし目標金額に全く届かず、セネガルに行くことすら叶わない場合には、アジズの兄弟に、リターン商品のみを送って貰い、プロジェクトは時間を掛けて、実行致します。
これまでたくさんの方々のお力添えを頂き、かなりの時間と経費を掛けて来てやっと今、どのサイズのタイヤを何本、いくらで購入し、現地ではいくらで販売できるかの、見通しが立ちました。一本目のコンテナを送ることが出来れば、資金は必ず回ります。そして、輸出入者コードや、古物商許可等の必要資格は、全て準備が整っています。
しかしながら、今の日本では、生後11ヶ月のサンバを連れて、私が出来る仕事は限られており、アジズレベルの日本語で、外国人が就ける仕事もまた然りです。それらの微々たる収入では、生活費を賄うだけでも精一杯で、また一から貯金をし直した後に、再スタートを切るというのは、どう見積もっても、現実的ではありません。
私達にはたくさんのプランと、それを実行する能力、そして日本とセネガルは勿論のこと世界中に、応援してくれる仲間がいるという自負があります。
どうか皆様のお力をお貸しください。何卒宜しくお願い致します。
リターンについて
「マームサンバ "MAAM SAMBA"」のコットン製品各種
制作過程の動画(2013年頃)
コットンを糸状により、巻いていく作業や、畑から収穫する様子、糸から布を織り、葉っぱや泥で染める、縫う、等の工程が見られます。丁寧に一つ一つ手作りされている事がよくわかります。
オリジナルグッズ(マグカップ、Tシャツ)
アジズの弟「ポ」の親友が描いてくれた2枚の絵を、オリジナルグッズにしました。
アクセサリーMade in Senegal
色・柄・種類はお任せください。
置き場でBBQとセネガル料理を振舞います(9月半ば開催予定)
私達3人がセネガル各地をご案内します(10月末頃から1週間程度の予定)
私達3人がセネガルのお土産を直接お届けします(帰国後、2020年3月中を予定)
インターネットショップのお買い物券(2020年4月オープン予定)
「お礼のサンバちゃんポストカード」
とびっきりの写真を印刷したサンバちゃんはがきに、一枚ずつお礼を書きます。
下記は例です。
実施スケジュール
2019年
7月半ば クラウドファンディング開始
8月末 終了
9月半ば 置き場でBBQを実施
9月末 資金の受け取り・タイヤ購入
10月半ば コンテナがセネガルへ出発
10月末 「セネガルをご案内」のご参加者様と
一緒にセネガルへ出発
11月半ば 「セネガルをご案内」のご参加者様が帰国
タイヤ置き場の確保・販売先手配
11月末 コンテナがセネガルへ到着
税金、書類の手続き
12月半ば タイヤが手元に入り、
「タイヤinタイヤ」を外す作業
販売開始
12月末 リターン商品の購入
仕入れと輸入手配
1月末 帰国
2020年2月~4月末頃までに順次
リターンの実行
商品の発送
最後に
現在、千葉県長生郡に、タイヤ置き場として、約200坪の土地を借りています。
一宮町の釣ヶ崎海岸から、車で15分程の場所にあります。
マームサンバ製品の販売は、基本的にはインターネットで行う予定なのですが、資金に余裕が出来れば、この場所に、実店舗兼ガーデンレストランを開店したいと考えています。
横開き可能なトラックの荷台やコンテナを二つ購入し、内部を雑貨屋と、調理場に改造します。
そのまま移動販売が出来て、各地で行われるアフリカンフェスティバル等に出店する事も可能です。
また置き場は借地なので、将来的に移転する可能性が高いという事も理由のひとつですが、
何はともあれ、こういう事って、考えているだけで、本当にワクワクしてきます。
敷地の周りを廃タイヤの花壇や樹木で囲い、
マームサンバ製のテーブルや椅子、
ハンモックで、ゆったり寛ぐ事が出来て、
タイヤで作った椅子や、遊具があって、
「え?!何ここ?」とつい足を止めてみたくなるような、
インスタ映え(今さらインストールしました!勉強中!)するような、誰もがウキウキするような、
皆が幸せな時間を過ごせる場所にしたいと思っています。
村の始まりはここからです。宜しくお願い致します。
「“Alhamdulillah” アルハムドゥリラ 全ての事に感謝します」
MAAM SAMBAの所在地・連絡先
facebookページ 公式ホームページ
ブレーズ・ジャーニュ国際空港より車で一時間半
Espace Maam Samba
Num. 633, Ngor Almadies Extension
Mme Jamilla MBOW
Coordinatrice Générale
Tél : (+221) 77 191 50 12
Mme Anna SEYE
Service Réservations et Suivis
Tél : (+221) 77 191 50 17
Tél fixe : (+221) 33 868 13 36
Email : contact@aubergedakar.org
以下マームサンバのカタログ全27ページです。
私達が現地で実際に見て、どの商品を取り扱うかを決めようと考えていますが、もしこの中にご希望の商品がありましたら、可能な限り仕入れて来たいと思いますので、ページ番号とどの商品かをお知らせください。宜しくお願い致します。
最新の活動報告
もっと見るあっという間に終了間近となりました
2019/08/28 19:14現在の支援総額は370,120円です。ご支援くださった皆様、拡散にご協力頂いた皆様、本当にありがとうございますm(_ _)m一日も早く恩返しが出来るよう精一杯頑張ります。そして、残り3日となりましたが、最後まで宜しくお願い致します。クラウドファンディングの、このページは、私が一生を終えるまではきっと、ネット上に残っているはずです。色々な事を忘れてしまいがちなダメ人間ですが、これから先の人生で挫けそうになった時には、このページを見て常に思い出し、皆様のお気持ちを、いつも大切に励みにします。目標金額は4,887,500円ですので、達成までは遠い道のりですが、100万円のセネガルご案内リターンもあります!宜しくお願い致します! もっと見る
泣きながら、はがきを出しに来ました!
2019/07/19 15:46おひとりずつご支援を頂く度に、メールが来るんですねCAMPFIRE!!メールが届く度に涙が出てきてしまいます。嬉しくて申し訳なくて、パトロンになってくださった皆様、本当にありがとうございますm(_ _)m本日はプロジェクト中に記載した、ご支援のお願いはがきを投函しに参りました!20年ぐらい前に頂いた名刺もあるので、ほとんど届かないかもしれません。全部で119枚、届かなくても行く先々で、万が一気になってくださる方がいたらと思い、封書では無くはがきにしました。うふふ。なんのか分からないのですが、くじ付きです。宜しくお願いします!! もっと見る
コメント
もっと見る