こんにちは。木石南です。現在、リターン用のポストカードの紙を選んでいます。印刷業者の紙の見本を一枚一枚色合いと紙質を見比べて、手に取って嬉しいもの、ずっと持っていたいもの、発色と手触りのバランスが一番良いもの、そして知久寿焼さんとmacaroomのプロジェクトの風味がより爆発する紙は如何なるものなのか知恵熱を出しながら検討しております。私のまかちくプロジェクトの命題。それは、この短期間で傑作CDジャケット写真を撮らなければならない。macaroomジャケット写真撮影も一触即発の気合いの入った撮影ではあるが、エマルを撮影するだけだったり、約10年撮影し続けているので、真剣ではあるものの慣れ親しんだ被写体であり、どこか「落ちついていこうや感」というか「阿吽の呼吸で撮っていこうや感」があった。あったのだが、今回はまかちくクラウドファンディング企画といういつもの真剣さに加え規模が広がったビッグプロジェクトであり、限られた制作期間中にしっかりと撮影をしなければならない。いつもエマルの撮影は走り回るリスを撮影するような気持ちで撮影しているのだが、エマルをリスに例えるなら知久さんはシロナガスクジラである。エマルのように撮影中全然違う方向に走って行くことこそしないが、ゆるりとそこに、いる、という存在感、スケールのでかさに武者震いしながらオデッセイな撮影に私は普段あまり使わないが三脚を用意して挑んだ。20年近く愛用しているカメラは「こんなに動いたっけ」というほど絶好調に稼働していた。カメラが「これがわしの最後の戦さばなるかも知れんけん」と言っているような気がした。知久さんは、面倒であろうこちらのわかりにくい指示にも、優しくカメラの前にたたずんでくれていていた。この優しく佇む風味を少しでも詰め込んだポストカードにしようと思っています。乞うご期待!
macaroom の付いた活動報告
こんにちは、macaroomのアサヒです。楽曲アレンジの作業は進みつつあります。デモトラックはいくつか出来ていて、一応は流通会社とか関係者には渡せるような状態にある。普段macaroomでは、基本的にはぼくがアレンジを考えていって、コンピュータ上で音を作っていく。その上で、ボブの力が必要な時は、なんらかのボブ手作りシステムを導入する時もあるし、emaruのアドバイスで曲の方向性が大きく変わる時もある。今回も基本的には同じ。まあ、ぼくらの好きなようにやるっていうこと。知久さんは、むしろそれを面白がってくれているみたいで、ぼくらが提案することや、ぼくらのいつものやり方に乗っかりたい、っていうことらしい。だから知久さんはおそらくあえて、あまり自分の意見というか方向性を示さない。ただし、知久さんの感覚や態度というのは確実に影響するわけだ。たとえば、ぼくはその歌詞の世界観に飛び込んで溺れながらアレンジを考えているわけだから、自ずとでたらめな夜と対峙することになる。かれこれ数年前に我々のアレンジに対して知久さんは「お気に入りかもしない」と言った。これは電車かもしれない、という曲の無断アレンジに対する声明。ぼくはその感覚や態度を観察してきた。知久さんだけじゃなくって、マネージャーのわたせさん。しこたまワインを飲んでべろんべろん状態で居酒屋を出ると、空を見上げて月に向かって投げキッス。あたしは満月が出てる夜は誰ともキスをしないんだよ。月にキスをするから。名前のない何かそのものをどうやって、純度を保ったまま音楽的に表現するか。観念論みたいな話になるから、あまりおもしろくないのだけど、そういうものって、やっぱり大事なことだと思うわけだ。単に「こうしたら感動的になるな」とか、「こういう音を入れたら躍動感がでる」とか、そういう正攻法はだいたいのところ頭に入っているし、めちゃめちゃ簡単なこと。どうやったらノリノリな感じになるだろうとか、今のトレンドはこういう音作りだよね、とか、そういうことは本当に簡単で、しかも実際上解決できる問題。ただし、観念というか、んーもっと単純に、美意識とか、漠然としたなんらかの方向性が一致してなかったら、本当に良いものは実現されないだろうな。ぼくはたまというバンドのアプローチが大好きで、そういう音作りを真似することもできるのだけど、たぶんそういう風にはしないだろうと思う。レコーディングの時にも、やっぱりそれはみんなの念頭にあった。知久さんも、「これをやっちゃうと”たま”になっちゃうよね」と言う。そうなることは避けたい。でたらめな歌を作ることの意味、というお話。これは、飲み会で知久さんが話していたこと。知久さんは自分の歌を「でたらめな歌」と形容していたけど、それは単にナンセンスとか、無意味とか、そういうだけのものではなくて、たとえばトイでへっぽこなサウンドセンスだったり、もしくは非論理的な物語だったり、意味よりも印象だったりだとか、そういうことを包括する表現だと思う。それで、知久さんは、現代は、でたらめな歌を作る意味なんか、あんまりないんじゃないか、ということを言っていた。つまりつまり、知久さんの曲は、現代日本にはそぐわないんだと。その理由を、知久さんは次のように示していた。「この国がでたらめになっちゃったんだもん」ぼくは一個一個の音を、コンピュータ上で打ち込んでいくけれど、例えばそれはかならずしも確定的なものばかりではなくて、たまたま選んだ恣意的なサンプルが輝いていたり、また、ボブがなんらかのアルゴリズムによって「偶然」的に音が入り込むようなアプローチを考えたり、そのように出来上がっていく。もちろん出来上がった楽曲自体は録音物なのだから確定的なものではあるんだけど。そもそも、エレクトロニカ とか電子音楽の、そういったリキッドな感覚っていうのは、ちくさんの楽曲にとても良くフィットするんだろうと、思っていた。これは、最初から思っていたことだけど。今の世の中に、でたらめな歌が求められているか、それとも求められていないのか、判断するのは難しいけれど、ともかくこのクラウドファンディングでは、100人を超える支援者が集まって、リリースを楽しみに待ってくれている。だから、エレクトロニカという、不思議なアプローチで再解釈された音楽をぼくはまさに今現在、奮闘して制作しているわけだけれど、その真髄のようなもの、でたらめな夜を、なるべく純度の高いままで、決して崩れることのないように、プレゼントします。
先日、一週間におよぶ「まかちくレコーディング」を終えました。レコーディングは基本的に全員集合でボブ宅で行われ、さながら合宿のようでした。ついこの間大ヒットした映画『ボヘミアン・ラプソディ』のレコーディングシーンの記憶も新しく、歴史に残る名曲をレコーディングしているのだという緊張感と実験精神。なにせぼくも知久さんも、クイーンを大リスペクトしているのだから、口には出さないけれど映画の印象は念頭にある。クイーンとデイヴィッド・ボウイのコラボレーション曲は、結構大変だったらしく、後に彼らは当時のレコーディングを「思い出したくもない」と語っていた。そのインタビュー映像を見たことがあるから、今回のまかちくレコーディングだって、ぼくらと知久さんが最終的には大げんかして、誰もが「思い出したくもない」という語り草になることも常に予感した。何日かレコーディングした後に、macaroom行きつけのサイゼリヤ(知久さんは初めてサイゼリヤに入ったのだとか)でミーティングをするというときに、知久さんは「さあ、大げんかを始めようか」と言った。まあ、アーティスト同士、そうやってぶつかりあって大げんかして大破局することなんかよくあるし、それもひとつの風物詩というもんだ。しかしながら、レコーディングは実際にはすこぶる順調で、しかも終始みんな仲良く、ハプニングもあったことにはあったが(それはここには書かない)、とにかくこんなに順調でいいのかしら? という大フィーバーでした。限られた日程なので、何よりも知久さんのボーカル録りが最優先。そして、楽器類のレコーディング、それから、emaruのレコーディング、そしてそれ以外の遊び的なレコーディング、という感じで進めていきました。ボーカルレコーディングでぼくが一番気をつけていることは、音程でもリズムでも音価でもなくて、その人のニュアンス。完成された時に、それを聴いた人が「ああ、これこそが知久さんだ!」と思えるような、知久さん独自の発音や声色や、それから人間性の揺れ(偶然出た音程の揺れや気分的な盛り上がりなど)を、バチコーンと捉えて逃さないこと。ぼくは、知久さんの音源やライブを今まで聴いてきて、「そうそう、ここの発音がかっこいいよね」とか、「この部分のなんともいえない音程の揺らぎが気持ち良い」とかいうポイントがいくつもあって、だからレコーディングでは、そういうものをひとつひとつ知久さんと確認していく。知久さんは知久さんで、「昔はこう言う風に歌っていたけど、今はこっちの気分だなあ」とか、「それをやっちゃうと”たま”になっちゃうから、全然違うものにしたいね」とか、独自の考えやなんかがあって、やっぱりレコーディングって奥が深いなあと思ったのでした。如何に歌が上手い人でも、音源を聴いただけで「ああ、この曲のレコーディングの時、たぶんこの人テンション上がんなかったんだろうなあ」とかいうのが、すぐにバレる。すくなくとも、ぼくはそういうのがすごく気になる。音程やリズムは補正できるから、あまり気づかれないというか、一応商品としてのクオリティ基準は満たしているのだけど、けれども、「なんかライブで見た時みたいな勢いがないなあ」という雰囲気の音源をいくつも聴いてきた。だから、そういう音源には絶対にしたくない。知久さんのその時のテンションや、ちょっとした気分とか、または体調とか、そういうことを見抜きながら、一緒に相談して、同じように思えるボーカルトラックのなかから「ここだ!」と思える宝石のような部分を発見していく。そして、「この部分の○○っていうトコの発音が素敵だ!」ということになったら、知久さんにそれを伝えて、さらにそれを踏まえて知久さんが再解釈する。それが結果的にぎこちなくなる時もあれば、ぼくの思い過ごしだったりすることもある。でも、感動するような、奇跡のようなテイクが生まれることもあって、そういった時には、その場にいる全員で拍手するのだ!ぼくやemaruだけじゃなくて、レコーディングの様子を撮影していた木石南も、そしてエンジニアに徹していたボブも、思わずみんなで大拍手。そして知久さんが一言、「今のは良かった気がするねえ」。ボブ宅でのレコーディング環境は、macaroomではお馴染みなのだけど、今回は、ボブ、ぼく、emaru、木石南、知久さんという大所帯で、途中、マネージャーのわたせさんがレコの様子を覗きにきたりと、結構定員数オーバー気味。でも、やっぱりスタジオをレンタルして録音するより遥かに良い。ボブ宅でのレコーディングは、そんじょそこらの宅録とはわけが違って、機材もモニタリング環境も充実しているから、プロの現場となんら遜色ない。オーディオインターフェースとデジタルミキサーの機能をフル活用しているから、歌い手は自由に音をモニタリング設計することができて、さらに別枠でボブとぼくも個別にモニタリングしている。そして、レコの途中でオケトラックに関する注文が入れば、ぼくが別のパソコンでトラック制作に入り、作業が完了するとmacaroom専用のサーバにアップして、それをすぐにボブのレコーディングシステムに導入する、という流れ。完璧な流れ。レコーディングが1日おわると、すぐにボブが2ミックスのデータを作成して、メンバー全員にそれを送る。確認には余念が無い。レコーディングの中盤に入ると、ボーカル補正の具合や雰囲気を、実際のアプリケーションを使って知久さんの前でデモンストレーションする。こうして、知久さん本人の意向と照らし合わせたボーカルミックスを実現させるのです。レコーディング中は常に、知久さんの側にギターがセッティングされていて、ちょっと不安な部分があると知久さんがギターを弾きながら口ずさんでみたり、また、ライブの時の歌い方とレコーディングの歌い方の違いを意識したり、また合わせていったりする。時には、全員で知久さんの過去の音源を聴きなおしたりもした。ギターに関するアプローチは、時にはぼくが五線譜にギターフレーズを書いたり、小一時間、楽器練習をするだけの時間があったり。思いついたフレーズを鍵盤で弾いてみて、それを知久さんが真似したり、またギターとキーボードで合奏してみて、音の具合を確かめたり。知久さんがその場でギターで弾き語りをして、emaruがそれに合わせてコーラスの確認をしたり、まあ、つまり、完璧に素晴らしいレコーディングだったわけなのです。ボーカルの凄みというのは、なんといっても、代替不可能性というか、絶対に、この人にしか、不可能だ、と思えるような圧倒的な個性。これがボーカルのすべてといっても良いと思う。そして今回のレコーディングでは、終始圧倒されたし、OKテイクの時なんかは、鳥肌が立つようだった。楽曲の良さも、素晴らしいボーカルと合わさって何倍にも味わい深くなる。だから、何度も聴いてきた曲なのに、レコーディングしながら、「ああなんて良い曲なんだろう」と改めて思ったし、ぼくのアレンジが絶対に良いものになるという確信も得た。一週間に及ぶまかちくレコーディングはおしまい。でも、まだレコーディングしていないemaruのボーカルやぼくのコーラスなんかがある。なので、レコ自体はまだ少し続きます。