決死救命僕らは先の野馬追を取材に行っている合間をぬって、希望の牧場にお邪魔して来ました。野馬追がおこなわれている、小高の街よりも放射線量が高い森に囲まれた小道を車で走っていると、その看板は急に姿を現します。物々しい看板と迫力のある重機をみると、ここが帰還困難区域になった場所ということを改めて実感します。身が引き締まる思いで看板の横の入り口から小道に入っていくと、奥に放し飼いにされている牛たちがポツポツと見えて来ます。車を駐め近くへ歩いていくと、迫力のある牛たちが僕らをお出迎えしてくれました。イメージしていた牧場と違いそこは柵などなく、一本の針金がはってあるだけのエリアで、牛がこっちに向かって来ないかすこし怖くなるくらいでした。泥の中でパイナップルの切れ端を食んでいた牛たちを観察していると、そこに「待たせたね」という声がしました。牧場主の吉沢さんです。吉沢さんは震災が起き福島第一原発が事故を起こした後、帰還困難区域に取り残された家畜や動物たちのおせわをしています。吉沢さんは僕たちを牧場の横の納屋に案内してくれました。そこには多くの資料や当時の写真があって牧場での活動や生活を僕らに説明してくれました。命を扱っている吉沢さんが見せてくれた写真の中には、死んで行った家畜たちの姿がありました。骨と皮だけのミイラになった牛、ピンク色の液体のようなものに浸かっている牛(近くでよく見るとその液体は全てウジ虫の集まりだった)などの写真をみながら吉沢さんはこう言っていました。「自分の育てた牛たちがこんな状態になった仲間たちは、トラウマで、もう牛飼いなんかできない。ここは物理的に戻ってこれない場所になった。でも精神的にも昔に戻れない状況になってしまった」と。そして、「ここの牛たちは牛肉になるための牛だが、放射能で被曝してもう金にもならない。でも、俺らは命を扱っているんだ。金にならないからと言って意味もなく殺してしまっては命に失礼じゃないかと思うんだよね。だから俺はこいつらが、いつまで生きられるかわからないけど死ぬまで世話をするつもりだよ」とも仰っていました。なかには、帰還困難区域から避難せず、牛を世話している吉沢さんを批難するひともいるようです。でも、吉沢さんは「そんな人たちの気持ちもわかるんだよ。必死に育てはぐくんできたものを一瞬で持って行かれたんだから、悔しくてたまらないよ」と仰っていました。記録として残す国は今回のこの事故を隠そうとしていると吉沢さんは仰っています。被爆した牛や豚を殺してその事実を消そうと。現に希望の牧場にも牛の殺処分命令が来ているそうです。しかし、こんな事故を起こしてしまったからこそ、その記憶を風化させてしまってはいけないんだという想いで、震災後ご自身も被爆する覚悟で牧場を運営して来たそうです。「自分の牛は国の命令で泣く泣く殺さなければいけなかったのに、なんでお前のとこの牛は生かしてるんだ?」って言ってくる同業者のためにも、ここを続けて行かないといけないという想いもあると思います。僕らはここまで命をかけて原発事故の記憶を残そうとしている方の活動やお話を聞いて、この牧場を多くの人に知ってもらわないといけないと思いました。そして、少しでも多くの人に足を運んで考えて欲しいと思いました。「命ってなんだろう?」「原発の事故ってなんだったんだろう?」と。その答えは僕らもまだ出ていませんが、時間をかけてみんなで考えていくことが、この時代に生まれ原発事故を引き起こしてしまった我々人類の責任ではないのだろうか? とすら感じました。希望の牧場での取材はとても内容が濃く長くなるので、続きの活動報告は【希望の牧場パート2】で報告させていただきます。また、希望の牧場について気になる方には木村友祐さんが書いた『聖地Cs』という小説をご紹介します。希望の牧場を取材されて書かれている作品なので、僕らが現地で吉沢さんから聞いたようなお話の内容がたくさん詰まっているので、オススメです! ぜひご興味ある方読んで見てください。