しあわせなみだ理事長中野宏美です。性暴力撲滅に向けた啓発活動を始めて10年、しあわせなみだを法人化して8年になります。活動を通じて、性暴力を経験した方とお会いする機会をいただく中で、1つ気付いたことがあります。それは「性暴力被害を経験した方の中で、障がいのある方の割合が、明らかに高い」ということです。信じていた相手からレイプ被害に遭った、発達障がいのある方は、支援者や警察に相談しても、信じてもらえなかった経験を、涙を浮かべながら、話してくれました。だまされて、水商売や風俗で働かされ、必死に逃げてきた、知的障がいのある方は、障がいにより家族から疎外されてきた中で、時折ホストや風像経営者からかけられた、甘く優しい言葉を、心の支えにしていました。性暴力被害によって予期せぬ妊娠した、身体障がいのある方は、子どもを1人で産み育てる決意をし、子どもの名前を一生懸命考えていました。(個人が特定できないよう、複数の方を組み合わせています)しかし「障がいのある方が性暴力被害に遭っている」ことは、ほとんど知られていません。公的機関による包括的な調査も行われておらず、国は実態を把握していないのが現状です。いくつかの理由があると感じています。まず障がい児者が「性加害の対象」とされていることへの想像が、困難だからです。障がい児者に対しては、「無垢」「汚れがない」「素直で純粋」等のイメージが与えられがちです。このため「性」や「性暴力」といった「欲」や「快楽」、もしくは「犯罪」等を想起させるカテゴリーには、つながりづらい実態があります。次に、性暴力が持つスティグマ(差別や偏見に基づくネガティブなレッテル)が挙げられます。芸能人による性犯罪事件等で、被害者に対し、「有名になりたかっただけでは」「ハニートラップだ」「相手を活動休止にさせるなんてひどい」といったバッシングが起こることからもわかるように、性暴力被害当事者であることの告白は、大きなリスクを伴います。性暴力撲滅に関わることは、こうした誤解や偏執とも、向き合うことになります。そして、「障がい児者」も「性暴力被害」も、「他人事」であり、「できれば関わりたくない」と思われる分野です。障がいを持つことは、この日本社会では、まだまだ様々な不利益や困難を抱えることにつながります。そして性暴力被害は、その後の性交や妊娠出産、PTSDをはじめとする精神疾患等、人生において、心身に深い影響を及ぼし続けます。「障がい児者にはなりたくない」「性暴力被害には遭いたくない」という本音が、「障がい児者への性暴力」への理解を妨げます。私は障がい当事者でもなく、その家族でもありません。凄惨な性暴力被害を経験したわけでもありません。それでも「障がい児者への性暴力」という、見えなくされ、隠されてきた社会課題を知り、「何とかしたい」と考え、活動してきました。2018年に実施した、発達障害当事者団体を対象とした調査では、回答者32名中23名が、何らかの性暴力を経験していることが、明らかになりました。国会議員等への働きかけの結果、与党性暴力議連内における障がい児者プロジェクトの発足、野党参院選マニュフェストへの反映等の成果を上げることができました。最終的には刑法に、「障がいに乗じた性犯罪」が新設されることを目指し、活動を続けています。法制度見直しを求める署名は、11,437名からの賛同を得ています。そして、この社会課題を1人でも多くの人に知ってもらうために、「障がい児者への性暴力撲滅啓発全国キャンペーン」を、2019年5月から開催しています。知的障がい者への性暴力を取り上げた映画「くちづけ」を上映し、有識者をお招きしたトークセッションを開催しています。これまでに鹿児島、山口、大阪、福岡、徳島、東京の6か所で開催し、533名の皆様に、ご参加いただきました。2020年1〜3月にかけて、残り4か所(神奈川、新潟、鳥取、宮崎を予定)、全国計10か所での開催を実現したいと考えています。これまでに312万円を確保することができました。あと124万円、手数料を含めると、145万円が必要となっています。障がい児者への性暴力に対する法制度を要望した際、ある方から、「まずは健常者、障がい児者は後回し」と言われたことを、私は絶対に忘れません。でも、この世の中、そんな人ばかりでないことも、知っています。この社会をもっとよくするために、たとえ当事者でなくても、できることがたくさんあると、私は信じています。「障がいのある方の中に、性暴力被害を経験している方が少なくない」事実を日本中に届け、法制度の整備を実現するために、あなたの力を貸してください。よろしくお願いいたします。<シェア歓迎>本日最終日!【障がい児者の性犯罪裁判が困難な現状を変えたい】啓発イベントを10か所で開催!クラウドファンディング実施中!※本日サイトでエラーが発生しており、アクセスできない可能性がございます。時間をおいて再度お試しください※
障害者 の付いた活動報告
東洋大学社会学部社会福祉学科の岩田千亜紀です。私がはじめて「しあわせなみだ」さんの活動に参加したのは、2018年に行った障害児者への性暴力に関する実態調査報告書の作成の時でした。前年の2017年6月に、性犯罪に関する刑法が110年ぶりに改正されました。画期的な改正ではありましたが、障害児者への性暴力に関することについては記述されず、何も変わることはありませんでした。障害児者への性暴力の問題については、これまで実態が明らかにされていなかったため、問題として認められることはなかったのです。しかし、「しあわせなみだ」さんが行った実態調査の結果、アンケートに回答した発達障害者32名のうち23名が何らかの性暴力を経験していたことが分かりました。32名中23名という数は、決して大きな数ではありません。しかし、これまで日本では障害児者への性暴力に関する調査がほとんどされてこなかったことを考えると、この調査を行った意義はとても大きいと考えています。そして、この調査を皮切りに、「しあわせなみだ」さんでは、全国各地で知的障害者への性暴力被害を取り上げた映画「くちづけ」の上映と、有識者によるトークセッションを精力的に開催されています。この「くちづけ」の映画は、実際に行った実話を基に制作されたと聞いています。映画の主人公である「マコちゃん」は、性暴力の被害に遭い、長年、その被害の後遺症に苦しみます。「マコちゃん」のような例は、実は決して珍しい事例ではありません。海外の調査では、障害児者は健常者の約3倍も性暴力の被害に遭っていることが分かっています。そのため、先進諸国の多くでは、「被害者が障害児者であることに乗じた性犯罪」を創設して、被害者を守り、加害者を罰しているのです。しかし、日本では刑法に規定がないため、障害児者が性暴力に遭ったとしても、加害者は罰せられず、被害者やその家族は長年、その被害に苦しみ続けています。私の専門である「社会福祉」という意味は、英語では「Well-being」(より良く生きる)という意味になります。障害のある人も、無い人も、どんな人も「よりよく生きる権利」があります。「障害のある方の中に、性暴力被害を経験している方が少なくない」事実を共有し、「何とかしたい」と思ってくれる人が増えれば、障害のある人々を性暴力から守り、より良く生きることに繋がっていきます。2017年に改正された刑法は、来年の2020年に見直しをすることになっています。たくさんの皆様の声が届けられれば、法制度が改正され、性暴力のない社会を実現することができます。来年の見直しに向けて、ぜひ「しあわせなみだ」さんの活動にご賛同頂くたく、よろしくお願い致します。
しあわせなみだ理事の千谷です。私たちしあわせなみだは現在障害児者に対する性暴力をもっと認識してもらうため活動しています。はじめに、私たちしあわせなみだが目指しているのは「性暴力を無くすこと」であり、「障害者に対する性暴力を認識してもらうこと」はあくまで通過点だと考えています。世の中から性暴力をなくす上で、「障害者に対する性暴力」この道は必ず通らないといけないものです。私の考えるその理由は2つあります。1つ目 性暴力はただ単に「女性」がターゲットになるものではなく、社会的弱者が被害者となりやすいものであることを認識することで性暴力の恐ろしさがわかるから。性暴力は長く女性が受けるものだと認識されてきました。そして被害を受けた側にも非があるという風潮があります。しかし、性暴力の被害者は女性だけでなく、男性もいます。どのような人が被害に遭っているかを紐解くために性別だけでなく他の属性でも考えてみましょう。そうすると親から子どもに対する性暴力、教師から生徒、上司から部下、そして施設職員から障害者など、社会的に弱者となる構造的な力関係の中で性暴力に遭っていることが分かります。性暴力は社会的弱者に対して振りかざされる暴力のひとつとして、相手を征服するための武器として、用いられていることは戦争や虐殺など歴史が教えてくれるところです。性暴力は深くその人を傷つけ、社会との関係を断絶される人もいます。そうなると人間らしい生活をおくることが困難になることだってあります。障害者は多くの場面で社会的弱者となりやすい存在です。つまり障害者は性暴力にも遭いやすい存在です。これは国際的に調査でも広く知られており、しあわせなみだの調査でも明らかになりました。これまでそれを「しょうがない」と考える人が多かったのか、障害者に対する性暴力は社会に認知されてないように感じます。しかしほんとにそれでいいのでしょうか。上記の言葉をよく考えてみてください。仮にそれを「しょうがない」と考える人がいるのであれば、周りの人は「そんなことない」と共に生きる姿勢を示すべきであり、困っている人のために福祉や制度が1番に寄り添ってくれるような社会で生きたいと思いませんか。2つ目は私は「性暴力のない社会」これは、「障害のない社会」ということができると思います。私はこれまでの経験上、性暴力について考えてもらうことに抵抗がある人でも障害については考えることができると思っています。性暴力について考えることに抵抗を感じる理由は大きくこの2つといえると思います。性暴力は自分の身に起きて欲しくないことで考えたくないということ。これまで身近に感じたことがないこと。それに比べて障害については公共の施設を利用していれば、障害者を見かけたことがある人も多いと思います。また、自分とはまったく関係のないことと思っているため考えるとができるという人もいると思います。そのため、なにを感じたかは別にして障害について考えることができると感じました。話は変わりますが、障害者は障害の特性上ハンディキャップを背負っているから性暴力に遭いやすいことがしあわせなみだの調査で分かりました。ぼんやりとそのことは想像できると思います。では、そのハンディキャップはどの段階で背負ったものなのでしょうか?それは社会で生きていくなかで段々と積み重なったものです。「生まれた時」と考える人もいるかもしれません。それは大きな勘違いです。医学的に障害と言われるものが定義されている場合、身体機能や発達段階での遅れなどがいわれることが多いですが、それは社会がつくりだした「普通」との違いであり、「普通」の基準が違う世界に生まれていればその人はハンディキャップを背負うことはありません。生まれた時ではなく、生まれてから出会う人や環境によって段々とハンディキャップを背負わされていくものだと思います。つまり障害をつくりだすのは社会であり、「普通」との違いにより障害者がうまれるのです。性暴力の被害に遭うと今後の生活に大きなハンディキャップを背負うことになります。また、しあわせなみだの調査で、障害の特性により褒められた経験のない人が言葉巧みに拐かされ、傷つけられることで更に自尊心が低下してしまうというような連鎖が生まれることがわかりました。皆さん誰かに怒られて委縮してしまい、その後もたじたじだった経験はありませんか?程度の差はあれ、これは障害をつくられたといえます。人によっては「そういう性格だから」と自分の欠点と認める人もいるかもしれませんが、その性格を足かせとしたのは紛れもなく「怒られた」という経験です。「障害」とはなにかを考えた時、誰でも障害をつくる側にも障害をうける側にもなる存在であることが分かると思います。話を戻します。障害は自分とはまったく関係ないと思っていても実はとても関係の深いものだったりすると思うんです。「障害」は他人事ではなく、誰にとっても我が事であるといえます。障害をつくりだしている社会の一員であるということはこれからそれに「おかしい」と言うことのできる存在であるということでもあります。同じように性暴力も他人事ではありません。できることなら自分や周囲の人が被害に遭うことは考えたくありません。しかし、障害と同じように下手すると知らないうちにする側、される側になっている可能性があるかもしれないのが性暴力です。先に述べた社会的弱者に対して性暴力は振りかざされるということを今一度考えて頂ければそのことが分かると思います。知らず知らずのうちに「性」が凶器となっていることがあるのです。私は「障害」と「性暴力」は類似するところもあるし密接な関係性であると思っています。性が障壁と感じない社会。「性暴力のない社会」これはつまりある意味「障害のない社会」ということができると思います。じつは私もこの活動を始めるまでは「障害者が性暴力に遭いやすいこと」「性暴力に遭いやすい環境におかれている障害者が多い」ことを知りませんでした。もちろん、「障害者だから」性暴力に苦しめられている人がいるなんて思いもしませんでした。最後まで読んで頂き、本当にありがとうございます。テレビなどで報道されることもほとんどないこのような問題、しあわせなみだの活動に少しでも興味をもって頂き本当にありがとうございます。できれば知りたくなかったという人もいると思います。その気持ちの裏で苦しんでいる人がいることを忘れないでいてくれれば、これからこのようなことに関わらないで済む社会を実現できるかもしれません。そのために私たちの活動にお力をお貸し頂ければ幸いです。日本には身体障害児者は436万人、知的障害児者は108万人、精神障害児者は392万4千人いると言われています。合計936万4千人。(参考資料 障害者の状況 平成30年版障害者白書 内閣府)複数の障害を併せ持つ人もいるため単純な合計にはなりませんが、日本国民のおよそ7.4%がなんらかの障害を有していることになります。国民の7.4%ときくと少なく感じるかもしれませんが、日本で2番目に人口の多い神奈川県の人口917万9835人とほとんど同じと考えるとその数を無視してはいけないことがわかると思います。私たちは「障害者だから性暴力をはたらいてもいい」と考えている人を絶対にゆるしません。そして、性暴力のない社会の実現を目指します!