2019/11/20 05:01

quazero – カゼロウ

今沢カゲロウ ルワンダ滞在目撃録5


(現地ガイドが目撃したことを書き記しています)


お茶とクッキーを前にして打ち合わせをする。

私が食べつつ、飲みつつ、質問すると、他のすべての動作を止めて回答をしてくれる。
話すこと、考えることに強くフォーカスしていることがうかがえる。

回答がひと段落し、ティーカップの取っ手を持って、顔に近づける。
その途中に追加で話すことを思い出すと飲まずにカップを置いて続きを始める。

それがひと段落すると、再度ティーカップを手にとって持ち上げるも、また話すことを思い出し「それで、、、」と続く。その時カップはご丁寧にソーサーの上に巻き戻し。

ようやく飲めるかと思いきや  “あ” という顔をして両手を膝に置いて話し始める。

宙を行き来するお茶。


話が収束を迎えると、今度は私の方に追加の質問が思い浮かんでしまう。

「と、いうことはXXXだったりするんですか?」

「あ、それはですね、、、」とあと数センチで役目を果たすお茶を、問いかけでまた遮ってしまった。


結局一口目を飲んだのは私がほぼ飲み終えた時。

一口目のクッキーは20分以上経ったあとだった。

丸ごと残っている自身の側と、丸ごと無くなっている私の側にふと気付き

「同時に複数のことできないんですよね〜」と笑いながら言う。


あんなに?同時に?複数すぎることを?ベースでやっているのに???


「あれは一つのことなんです。別々のことではない」そういう趣旨のことを教えてくれた。





猛烈な集中を一点に置く彼にとって、急にあれが増えたりこれが減ったり、スコールが来たら街の活動が停止し、誰かが来なかったり逆に急に誰かが来たり、やると言っていてもやらなかったり、やらなさそうだったのに「やってるのになんで来ないの?」と言われたり、
そういう突発的なあれこれの中でほどよく選択しながら生きて行くルワンダでのスタイルが、もしかしたら集中の邪魔になるんじゃないかとそわそわする部分もあった。


思った通りに行かせる、ということは時としてとても不自然な力を使うことになり
自然な力に任せた時に、思った通り以上になることがある。


ガイドとしてきっちりとスケジュールを整えるのが本筋だろうが、そうしすぎずに偶発を拾うことで結果的にルワンダがより染み込むことになる、
そういうことがこれまでの経験からなんとなく見え始めていた。





「あ、もうその辺からテキトーにやるんで大丈夫ですよ!」


屋上での撮影で電源の位置が遠く困っていた時。

おそらく「テキトー」というフレーズを聞いたのは今回が初めてだ。

全てをビシッと完璧にミリ単位秒単位のズレもなく風も水も通さないパーフェクションを瞬時に積み上げる彼の活動スタイルを、それまでは前面に感じていた。

今日に至るまで、様々なイレギュラーな場所での撮影、収録、セッション、ミーティングなどがあり「通常」のセッティングのように一筋縄では行かないシーンにたくさん出くわせてしまったことを振り返っていた。


工事中の屋上



この日の演奏撮影はいつもの通り、猛烈な集中力でその場にいた人を圧倒させた。


ただなんとなく柔軟性を身につけたのではなく、集中と解放のスイッチングが明らかに変わっているようにみえた。「テキトー」ということばがポジティブな意味でそれを象徴している。

移動中のインタビュー




TV1というテレビ局のインタビューと演奏撮影を行った後、その場に居合わせたルワンダ人のギターの先生が駆け寄ってきた。

カゲロウさんの演奏の感想を言わずにはいられないといった様子で握手を求めてくる。

あ!そうだ!と鞄から冊子を取り出しニコニコ説明しながら見せている。
ルワンダのギター教室で使っている教科書だ。

「一回目はこういうことを教えて、その次はこの持ち方、次はこういう弾き方、練習曲はこういう感じで、、、」と数十ページを一枚ずつ共有する。

大事そうにカゲロウさんの名刺を両手で持ちながら、今後も連絡取り合いましょう、今後もよろしくお願いします、今後も、、、と繰り返し名残惜しそうに別れていった。


そういう出会いが、増える一方だ。


嬉しそうにギターの教科書を見せる先生




曲ってなんですか?と聞いたことがある。


「一本の線なんです。一本のつながった線が波をうつ。それが曲です」


途切れたり、千切れたり、離れたり、見失ったりしない。

空白や静寂も一本の線になる、想定外の出来事もトラブル(に一瞬見えるもの)も一本の線の上。
そういう曲ができていく過程を今まさに目にしている。



この日のインタビューの様子はこちら



(文・写真:masako kato)