こんにちはKENTOです^^今回は自分がジャパンキーパーをしているカバン屋さんビーキーパーパレードのファウンダー(立ち上げた人)であるコーキィとの出会いについてのお話です^^そしてどうして、ケントがビーキーパーとして活動をするのか?についてです。世界を変えるエシカルファッションとのそもそもの出会い もともと自分がカバン屋さんをやることになるとは夢にも思っていませんでした。出会いのきっかけはとても単純なもの。「旅をもっとするライフスタイルで生きる」という自分の夢プロジェクトに向けて活動を始めていた時、2019年の始まりの1月です。自分が住んでいるオーストラリアのメルボルンで仲の良い友達と遊んでいました。 その時に友達が持っていたのがビーキーパーパレードのバムバッグ。( トロピカル柄のビーキーパーパレードのバムバッグ)そのデザインの格好良さに魅力を感じ「そのカバンをどこで手に入れたのー?」をと友達に聞きました。「前に話をしていた友達のブランド、ビーキーパーパレードだよ、覚えてる?」と友人。正直、その友人が以前にビーキーパーパレードについて話をしてくれたことは、ぼんやりと覚えていましたが詳しいことは全く覚えていませんでした。笑覚えていたのはとにかくすごい友人のブランドがある!といつも落ち着いている友人が熱量たっぷりにブランドについて語っていたな〜、という事。(写真はメルボルンのお店の1周年記念イベント後の打ち上げにて)左下がその友人のレイシャです。(大学の同級生で仲良し)「近くにお店があるから後で行ってみようよ!」友人がお店に連れて行ってくれることになりました。それが自分とビーキーパーパレードの出会いです。友人の友人がコーキィだったんです。初めてお店を訪れる 初めて訪れたお店は「メルボルンセントラル店」。オーストラリア・メルボルンの中心にある大きな駅のショッピングモールに入っているお店でした。まず入った瞬間にビックリするのはとてもカラフルなカバンの数々。まるで、小さな頃に遊園地に遊びに行ったような気分を思い出させます。ただ、それ以上にビックリしたのはそこで接客をしてくれた店員さんのお話でした。 ビーキーパーパレードがカンボジア系の難民だったコーキィとソフィア、兄と妹によって立ち上げられたこと。売上からカンボジアに学校を建てて、子供たちの教育支援をしていること。カバンに使用されている生地は全て寄付された物か他のブランド等によって捨てられてしまう運命だった生地を使っていること。ブランド立ち上げた妹のソフィアは志半ばで癌で亡くなってしまっていること。兄のコーキィは妹との約束を守るために今も毎日お店で働いてること。このお話を目に涙を溜めながら自分に話してくれた店員さんに胸を打たれました。そして、こんなブランドがこの世の中にあるんだ!ということを知りました。 そして、すぐに購入したくなるようなカバンがいくつか見つかりました。なかなか決められませんでしたが最後はこのカバンに決めました。(メルボルンのホージャーレーンにて)あなたの夢は何?自分が初めてお店を訪れられた時、コーキィはカンボジアのプノンペンに出張中でした。是非、彼と会って話がしてみたい!そう思った自分はすぐに彼にメッセージを送りました。今思えば、とても唐突で全く見ず知らずの自分に、コーキィはよく返事をしてくれて会ってくれたなぁと思います。笑 彼がメルボルンに帰ってくる予定に合わせて翌週に会う日時を決め彼に会いに行きました。再びメルボルンセントラル店を訪れた自分は初めてコーキィと会いました。近くのカフェに2人で行き簡単に自己紹介を済ませるとすぐに自分の心の中にあったことを彼に伝えました。それはビーキーパーパレードを日本に出店させたいという想いでした。 彼の返事は少し意外なものでした。「あなたには夢がある?あなたの夢を教えて欲しい。」というものでした。なんでやりたいのか? 質問は少し意外なものでしたが自分には答えがありました。それは世界中を旅して生活をしたいということです。小さな頃から世界中の人とコミュニケーションをしていろいろなところで生活をしてみたいと考えていました。オーストラリアに永住することを決めたのもそれが理由のひとつです。コーキィには、正直にそのことを伝えました。人生の時間は限られている、とても貴重なものであると考えていること、その時間を「自分の大好きなことに、そして価値を感じている事に使いたい。」その事を話しました。彼は、「素晴らしい夢を教えてくれてありがとう」と笑顔で返してくれました。そして彼は自分はいつも「夢を追いかける人を応援している」ということを話してくれました。 そこで彼からの次の質問です。「そのケントの夢とビーキーパーパレードがどう繋がるのかを教えて欲しい。 」初めて知り合ってお互いのことをしばらく話していたこともあり、その日は一度それきりにして、また別の日に会って話をすることになりました。 そして彼はお互いに一緒にプロジェクトをできるかどうかはまだわからないけれど、ケントの夢を応援したいからまたお店に遊びに来てほしい。フィッツロイのお店ではコーワーキングプレース(共有使用のできるオフィス)があるので良かったら使ってねと言ってくれました。彼と再び会うまでの2週間ほど自分がやりたいこととビーキーパーパレードがどう繋がるのかを考えていました。そもそもカバン屋さんになるなんて事は全く考えた事がありませんでした。急に出会っていわば雷に打たれたように胸にビビッとくるものがあって決めたことでした。夢を叶えた後に、、、ビーキーパーパレードと出会った当時、実は自分は夢を叶えた直後でした。それはオーストラリアの永住権を取得するという夢。18歳で高校生の時に初めてオーストラリア に来た時に決めた目標をおよそ10年かかって達成したばかりでした。 ただそれと同時に、何を次にしたら良いのか分からなくなってしまっていた時期でもあります。次に何をしようか、、、とどうしようか考えている時でした。ただ、思っていたのは、これまでの約10年は自分の夢を叶える事に使ってきてたくさんの人にサポートもしてもらったのでこれからは誰か人の為や環境のためになるようなことをしたい!ということ。そんな時にビーキーパーパレードと出会いました。そして、ビーキーパーと自分の夢がどう繋がるのか?という答えは自然と出てきました。それは自分がカバンを日本で販売できるようにオンラインの店舗を持つという考えでした。そして、日本で定期的に短期出店をする。それがオーストラリア ・カンボジア・日本を繋ぐ事になり、旅をする事にも繋がる。彼と再び会い、「旅とカバン屋さんがどう繋がるのか」を自分の想いを込めて説明しました。コーキィは話を一通り聞いてくれた後で、「どうもありがとう、何かきっと素晴らしいことが起こる気がする」と返してくれました。自分が、ビーキーパーパレードの「ジャパンキーパー」になった瞬間でした。その後、何度もお店に足を運び、店舗やカバンの写真撮影やブランドやコーキィについてのお話を聞いたりお客さんに接する事によりブランドについて多くを学ぶ機会が増えました。また実際にカバンが作られているカンボジアの首都プノンペンにも足を運びました。カンボジアの現状を自分の目で見て肌で感じることが大切だと思ったからです。ビーキーパーパレードが建てた学校にも足を運びました。 1つのブランド、カバン屋さんがどれだけ人や社会に影響を与えられるのかという力を感じました。現在私たちは来年2020年春に日本に出店に向けて準備を進めています。また、それに合わせたオンラインショップの可能なウェブサイトの準備進めています。 オンラインショップをメインとした定期的なポップアップショップの出店を日本では考えています。 そして、それがコーキィとソフィアの夢を追いかけることのサポートとなり、自分の夢を追いかける事になると考えるからです。記事を最後まで読んでいただいてありがとうございます。クラファン開始からおよそ半分の期間が経過しました、残りあと23日です。(クラファン を開始した12月2日のカウントダウンライブ)クラファンの内容やご支援方法について分からない事がある人はお気軽に質問をしてください^^喜んでお答えさせていただきますー!ご支援をして頂いた方も検討して頂いている人も、家族やお友達にビーキーパーのストーリーを伝えてくださったらとても嬉しいです。また、SNS等でシェア・拡散をしていただけたらとっても助かります。Eメールアドレスはこちらです。支援方法・リターン品についてなど不明な点やご質問がありましたらお気軽にこちらまでお願いをします。beekeeperjapan@beekeeperparade.comもしくはインスタグラムやフェイスブックからでもメッセージを受け付けています。www.instagram.com/beekeeperparade_jp/www.facebook.com/beekeeperparadejp/感謝を込めてケントより
ご縁 の付いた活動報告
【今日は特別な投稿です】クラファンページのビデオを見てくれた人、そしてブランドの立ち上げの説明を読んでくださった方の中にはあれ?と不思議に思われた方もいるかもしれません。ビデオの終わり方。どうしてコーキィが、「このプロジェクトは妹を忘れないための方法です。」と言ってビデオが終わるのか?(妹のソフィアと兄のコーキィ)そしてブランドの立ち上げの説明文でも、兄と妹で立ち上げたプロジェクトです。とご説明をして始めているのに、その後、妹であるソフィアについて触れていないのか?今日はその事についてのお話です。今日はクリスマスイブ、明日はクリスマスですね^^ビーキーパーの生まれたオーストラリアではクリスマスは家族と時間を過ごす日です。日本でもきっと大切な人と一緒にお時間を過ごされる方が多いかと思います。クラウドファンディングをすることによってたくさんの人と繋がれたこと、良いご縁があった事をとても有難い事だと思っています。(メルボルンにあるお店の様子)昔からの知り合いだけれどなかなか再会をする機会がなかった人たち、そんな人たちからも支援をしたよ〜!応援しているよー!という温かい言葉をいただけて、とっても嬉しいです。またクラウドファンディングをしていなければ繋がることのなかった人たち、初めて見たけれども素晴らしい活動をしているので応援しています!そう言った言葉が身に染みて本当に嬉しいです。そして、そんな皆さんとの繋がりやご縁に感謝を感じているからこそ、皆さんにお伝えをしたいお話があります。【ブランドを立ち上げた1人ソフィアのお話】ビーキーパーパレードの原動力。それは兄と妹が交わした、たった一つの約束です。ビーキーパーパレードは兄と妹が立ち上げたビジネスによって、世界をより良い場所にしていくソーシャルエンタープライズです。ご支援をしていただいた方やいつも応援をしてくれる方々はご存知かもしれません。ビーキーパーパレードの始まりは、カンボジア難民としてオーストラリアに移住しオーストラリアで育った兄と妹(コーキィとソフィア)が立ち上げた、カンボジアを支援する慈善プロジェクトでした。そこから、カバン屋さんとなりました。地球や人にやさしいプロジェクトとなるように2人で一生懸命に考えました。そこから、現在のビーキーパーパレードと発展しました。他のブランドによって使用されずに捨てられてしまう運命だった過剰な布を救い、美しいカバンにアップサイクル(価値を高めるリサイクル)ことで衣類による環境汚染を減らし、カンボジアの子ども達の教育サポートができるように運営をしています。ビーキーパーパレードを立ち上げた2人のうちの1人、ソフィアはブランド立ち上げ当時、病院で子宮頸癌と診断を受け、闘病中の身でした。(お茶目なソフィア)そして、とても残念ながら彼女は、2012年8月15日に18か月の闘病生活の後に亡くなってしまいました。ソフィアの喪失を経験した事は、ブランドにとってもコーキィにとっても過酷な経験でした。彼女は遺言の中で彼女の車を兄のコーキィに譲り、「それを売ったお金で、未だに貧困に苦しむ人のいる故郷であるカンボジアをサポートし、私たちの生きる社会をより良い世界にするプロジェクトを継続して夢を諦めないで欲しい。そのためにそれを資金として使って欲しい。」とコーキィに言い遺しました。 (ソフィアの車・マックス)その後、コーキィは毎日彼女との約束を叶えるために働き始め、周りの人のサポートがあったおかげで結局、彼はその車を売ることはありませんでした。たくさんの人に支えられながらコーキィはビーキーパーパレードで毎日働いています。全ては彼女との約束を守るために。ソフィアが亡くなって以来、コーキィは妹との約束を守るために人生を捧げてきました。そうして活動を続けていく中で、妹のソフィアの名前を冠した「ソフィア・サリースクール」は海近くの沿岸の村、ケップに建設されました。彼女の願い通り、カンボジアの子どもたちをサポートできるように。(ソフィアの名前のついた学校)ビーキーパーパレードとして活動をすることは、コーキィにとってもスタッフ全員にとっても、私たちなりのソフィアを忘れないための方法でもあります^^最後まで読んでくださってありがとうございます。当クラファン は残り28日です、皆さま最後まで応援をよろしくお願い致します。どうか、皆様がご家族の皆さんやご友人と良いクリスマスと年末年始をお過ごしになられますように。皆様に感謝すると同時にソフィアの事を想いながらコーキィとケントより