2017/03/05 12:48

今日は坂本が忙しくて書けなかったので、増田が代わりに書きます。

深夜に書いているのであまりまとまっていないかもしれません。

そもそも文章を書くのが下手くそなので、すみません。

 


(タラタラ書いてしまいました。時間のない人は飛ばしてください。)

 


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さっきまではマンションの下の駐車場をフラフラとしていて、今は河川敷に座って携帯に文字を打ち込んでいます。これはすこし関係ない話なのですが、iPhone3GSの頃からスマホを使っていて、最近初めて画面が割れました。修理はせず、このまま使おうと思います。iPhone6です。

 


さて

3月になり、すこしずつ気温も上がってきました。すこし前まで冬休みだったのに、ぐーたら過ごしていたらすぐに春休みを迎えました。もちろん映画や大学受験で忙しかったこともあるのですが。

桜も咲き始め、花見の約束をしている友人もいます。

 


ええっと、いきなり自分の話になりますが、

僕には6歳の妹がいて、ついこないだ産まれたばかりだと思えば、いまは「さよならぼくたちの幼稚園」の歌の練習をしているようです。

練習なのに泣き出す子がいるとか、

ワタシは泣かないかもしれない、だとか

そんな話を妹から聞きます。

 

お腹が空いたら泣いて、いないないバァで無邪気に笑って、そんな姿を見てきたので何か感情をコントロールできるようになっていく妹を見ながら、これも成長なのだなと思ったり。

まあ僕も同じように母からは思われてるかもしれないですけど、

 

僕も12年前に「さよならぼくたちの幼稚園」を歌いました。その頃仲の良かった友人とはもう遊ぶことがなく、本当にさよならしてしまいましたが。

 


高校を卒業したら絡むことがなくなる友人がいるのでしょうか。いるのでしょう。そんなことを考えながら、誰もいない深夜の河川敷でボーッとしてます。

 

また妹の話に戻りますが、

妹は震災の一年前の2010年4月に生まれ、

僕は震災の年(2011)に中学に入学し、明々後日高校を卒業することとなります。あっという間だったという感覚はないし、長かったという感覚もない。


中学に入学する直前に起こった311の本震のときは、たまたま妹をおぶっていた母と一緒に、僕がさっきまでフラフラしていた駐車場にいました。マンションが目に見える程大きく揺れていたのを僕はまだ鮮明に覚えていて、いまでも昨日のことのように思い出すことができます。


311のことは鮮明に思い出せるのに、震災があってから今までの時間の中で起こった出来事や人との出会いなど、多くのことは断片的なピースとして、或いは自分じゃない誰か(或いは自分)が遠くで記録した静止画での記憶としてしか思い出すことができません。何故でしょう。何故かはわからないけど、考えないことにします。

 

ただ、ある友人は昔と変わらずに僕と一緒に二郎に並びながら僕のつまらない話を聞いてくれるし、変わらない二郎の味が僕の喉を通っていきます。

 

 

 

話がゆらゆらしてしまいますが、、

 

 

 

この2日間はオフだったので、散歩がてらたまたま上野の東京都美術館でやっている女子美大卒業制作展を観に行きました。東京都美術館まで行くまでに通る上野公園では、桜が咲きかけていて、外国人観光客は嬉しそうに写真を撮っていました。僕は最近リリースされた台湾の好きな歌手の歌を聴きながら、桜を素通りしました。

あまり時間がなく展示をじっくりと見れなかったのが残念でしたが、その中の映像展示で印象に残っているのが「震災なんて大変なことがあったらしいけど小さかったから覚えていないよ」と語る少年の姿で、

ほぼ同年齢である妹のことを思い出し、当然のことなのですが、僕と妹は同じ時間を共にしているようで、実は違う時間軸の中で生きていたのかもしれないと思うと、何故か言葉で説明できない「不思議」な感情、もしかしたら罪悪感なのか、無力感なのか、それでもない何かわからないものに襲われました。

 


なんだろう、何が言いたいのかわからなくなってきたけれども、

 


つまり、「あの時」と変わらずに深夜の駐車場や河川敷でフラフラしている自分がいることが何故か「不思議」で、何故繋がっているような感覚にさせられるのかがよく分からなく、不安になることがあります。まあそれも、考えないことにしましょう。


展示を見終えて同じ上野公園の道を歩いていると、中国人or台湾人観光客の話す中国語が聞こえてきます。その言葉が僕はたまたま分かるので、他の人とは違って雑音の一つとしてではなく、きちんとした人が話す言葉として入ってきます。6年前には聞こえなかった言葉が今は聞こえます。「不思議」です。

そろそろこのモードは口説いですかね。

 

自分が中国語の勉強を始めたのも偶然で、だけどなにか必然的で、、

もしかしたら映画も同じようで、偶然始まり、且つ必然的だったのかな、なんて思ったり。山田が「俺はやらん」と言っていれば今のように上手く回ることがなかったし、太田ちゃんが「俺もやらん」と言っていれば脚本を一緒に書くことがなかった、坂本に「いいや」と断られていたらこの映画に関する音楽は僕と結びついていなかったかもしれない(他のメンバーも同様です)、そんな偶然性の重なりである今があるのと思うとなんだか「不思議」な気分です。

 

このページでご支援いただいた皆様とも、誰かのリンクシェアや紹介がなかったら作品を通して関わることはなかったのかもしれない、と思うと、やはり何か思うことがあります。偶然であり、必然的だったのかもしれませんが。(なんだか偉そうな口調ですみません...そうではなくて...)

とにかく、ご支援いただき本当に有り難うございます。

 


話は戻りますが(もう少しタラタラ書きます)、

 


数週間したら桜は満開になり、近所の公園に行けばブルーシートを敷いてビールでも飲みながら花見をしている人がいると思います。

その人たちは去年も一昨年も同じように同じような人たちと飲んでいるのかもしれません。

 

僕は桜を見ると、何故か小学校の入学式を思い出します。小学校の山桜が満開に咲いていて、何かキラキラした新生活を思わせるような光景の中で、ランドセルを背負った僕が走り抜けている風景を遠くから見ている自分がいます。

 

なんだろう

 

夏になれば、ギンギラした太陽の下で虫取り網を持って兄と同じく近所の公園に行きます。網でセミを捕まえると、網の根元を結んでセミが逃げないように汗だくになって家に帰ってからやっとカゴに入れます。兄と僕が走っている光景も、僕は後ろから眺めています。兄は今大学三年生です。一緒に遊ぶことはなくなりました。

 


年を重ねていくにつれて、何かそのキラキラしたもの、ギンギラしたものを強烈に感じなくなっていく自分がいて、更には将来のことを考えていく中で、自分と「自分を見ている自分」の距離がどんどんと離れていっているような気もします。

 


タラタラと何が言いたいのか分からない文章を書いてしまいましたが、、

最後に

 


中途半端に震災の話を持ち出してしまいましたが、あれからそろそろ6年が経ちます。その前年に生まれた僕の妹は4月からランドセルを背負って小学生になります。この時間の中で何かが失われ、新たなものが作られ、創られていきます。元々無かったものが、あったものとして当たり前になっていきます。

なんて俯瞰した気分に勝手になっている自分が、今日も深夜の街を彷徨っています。

春を前にタラタラと、なんだか「不思議」な気持ちになっています。

 


やっぱり文章を書くのが苦手です。ごめんなさい。

 

坂本は少し忙しいみたいなので、次は山田に書いてもらおうと思います。

 

監督 増田 捺冶