はじめに・ごあいさつ
はじめまして。私は埼玉県内の私立大学で国際関係と日本語教育について学ぶ大学3年生です(2019年現在)
簡単に私のことをお伝え致しますと埼玉で生まれ育った生粋の埼玉県人。
スポーツが好きで小学校で水泳とミニバス、中高でバドミントン部に所属しておりました。
大学ではE.S.S(英語部)の副部長として活動し、先日引退しました。
ファッション関係と飲食店、派遣のアルバイトをしています。現在奨学金とアルバイトで学費と一人暮らしの生活費を何とか自分の力でやりくりしています。動物と海外が大好きな俗に言う"よくいる大学生"です。
このプロジェクトで実現したいこと
ざっくり言うと“大学卒業までに(後一年)に東南アジア制覇する" です
プロジェクトをやろうと思った理由
2018.2当時大学一年生、海外に漠然とした興味があった"私"はアルバイトで貯めた10万円で1週間のフィリピン留学をした。親にも相談せず独断で行く!と決めて勝手に申し込みました。初めて海外に1人で行って感じたのは自分の世界の狭さ。行った場所がフィリピンと言うこともありあまりの生活環境の違いに衝撃を受けました。常温で売られている生肉、意味のない信号機、物乞いする子供、溜まった雨水でシャワーを浴びる人、全てが初めてで全てが私の知ってる"常識"と違いました。
ただ私が最もインパクトを受けたのはフィリピン人の人柄。私の滞在した地域はザ・ローカル
街はくさい、うるさい、あぶない、ただ人々はいつも笑顔でとても幸せそうでした。偏見ですが初海外ということもあり甘い言葉を吐いてくる人には警戒していました。しかしスーパーの警備員さんはいつもフレンドリーに挨拶してくれて、街中を歩いて目があった人は何故か笑顔で韓国人?日本人?って話しかけてきて、街中で急に晩餐始めるし、、文章力が乏しくてすみません。、とにかく私が当時感じたのは日本の豊かさと人の心の非豊かさ。フィリピンの貧しさと人々の豊かさ。
当時私はインスタグラムに自分の思った事をそのまま綴りました。
この1週間という短期間で私は今まで日本、埼玉しか知らずによくもまあ国際関係学部で学んでいたな、と恥ずかしくなりました。机の上では絶対にわからない現地の現状、暮らし、実際に行かないと私には絶対に理解できなかった。
大学生の私にとって10万円は大金です。ですが当時思い立ったら行動精神で後先考えずフィリピンに行って良かった。10万円で私の考えは全く変わった。
もっと、もっといろんな世界を知らなきゃ。私の生きている世界は狭すぎる。
感情的になって文章がよくわからなくなってしまいすみません。(´・ω・`)
うまく文章で表せませんが私が感じた全てです。実際にお会いさせて頂ければ口下手ですがマシンガンの様に語れます
これまでの活動
フィリピンで衝撃を受けた私ですが帰りの飛行機でまたフィリピンに行こう、それもすぐに。(と決心して1人で決め勝手に留学エージェントに行って大学二年生の後期、休学はせず学校の授業は履修せず、奨学金でちゃんと学費を納めつつアルバイトで30万貯めて2ヶ月間またフィリピンに行く事になるのはまだ先の話)
フィリピンの後、父の援助を得てインドネシアでインターンシップ、その後自費でカンボジア、香港、ベトナム、韓国に行きました。
インドネシアで感じた優しくて穏やかな国民。
カンボジアで感じた悲しい現実。
香港で見た貧富の差。
ベトナムで見返りのない優しさに触れ
韓国のバス内でおばさんに助けられた
一つ、また一つと未知だった国へ行く度に私の世界は広がり、偏見も無くなっていった。
そして2度目のフィリピン。
前回できなかったボランティア活動をスラム化した墓地で行いました。
その後私は大学のタイ人の友達に会いにタイヘいき陽気な国民性に触れ
そして父の援助で2ヶ月間のオーストラリア留学。移民の国だけあり沢山の国の友達ができました。
帰りにフィリピンで会った台湾の友達に会いに台湾へ。平和で優しい国。(2019/3)
、、、と、ここまで長くなってしまいましたが最後に行った海外は台湾です。
インドネシア、オーストラリアでの費用を父に出して頂いたため学費、一人暮らし諸々の費用をアルバイトと奨学金で賄っています。今現在次の国に行くのは保留中です。
資金の使い道
残りの東南アジア
ミャンマー、ラオス、シンガポール、マレーシア、ブルネイ、東ティモール。
そして中国にも行きもっともっと自分の世界を広げたいです
今はまだアジア近辺ですがいずれかはアジアを飛び出すぞって勝手に思っております
最後に
リターンについてのご質問、ご要望ございましたらお気軽にお尋ね下さい!
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2020/02/01 21:17こちらの活動報告は支援者限定の公開です。
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