たまたま大学受験の話が出たことから始まった生島の人生を振り返るシリーズ第三弾 〜大学卒業から専門学校へ編(後編)〜
「ジャズギタリストになる、そして途中どんなに辛いことがあっても決して投げ出さない」と心に強く誓った若き日の生島だったが早速何をやっていいか全くわからず泣きそうなる
アドリブのシステムがわからないから何をやっても手応えがない、
何をもってコミュニケートしてるのかもわからない、
泣きたい
地元で何回かジャズギターを教わったことがあるがほぼ独学で半年位やっていた
それでも全く手応えがない、これでいいのかと焦ってくる
そんな時に思いついたのが専門学校に入って教わることだった
かの有名なバークリーも一度考えたことがあるが予算的に無理。
しかも4年大学を卒業してから専門学校に入り直すのでさすがにその学費は自分で捻出しなければならない
そのタイミングで唯一の突破口を見つける
東京の専門学校にジャズ科があり、しかも新聞奨学生なるものを発見
これは朝刊夕刊を配って空いた時間で学校に行き、学費もカバーできて寝床もある、そして僅かだが給料も入る
もうこれしかない!
すぐ応募した
その時は通常の応募期間を過ぎていたがゴリ押しでお願いしてなんとか間に合った
そして配属されたのが自由が丘だった
そこの寮の部屋は2畳くらいでベッドと机があるのみ
俺も最低限の荷物しか持ってきてないけど、気分は妙にすがすがしかった
一日の通常スケジュールは、
2:30起床
3:00朝刊配達
6:00朝食
7:00部屋で朝練
9:30専門学校に行き練習or授業
14:30学校から新聞屋へ戻る
15:00夕刊配達
17:00夕食
17:30新聞屋から学校に戻る
18:00授業or練習orセッション
21:30学校から新聞屋に戻る
22:00部屋で練習or自由時間
0:00寝る
この生活を3年間続けた
ジャズギタリストになると意気込んで実家を出たからもうあと戻りはできなかった、やるしかない、その思いだけでやりきった
ここで、ん? と思った方がいるかもしれない
0:00に寝て2:30起床?3年間?
そう、2:30に起きれる訳ないんです、毎回寝坊
けど何時までにここの家に配らないといけないとかあったから新聞を配るスピードは誰よりも早かった
カブで走ったままポストに入れる、
明け方だから誰もいないだろうとノーヘル、信号無視、
勢いと気合いだけで乗り切ったw
けどこの3年間は人生の中で1,2位を争うくらいキツかった、生きた心地がしなかった
今やれって言われてももうできないだろうなぁ
〜専門学校卒業後編へ続く〜