こんにちは。NPO法人自殺対策支援センターライフリンクです。
みなさんは「自死遺児」をご存知でしょうか?
自死遺児とは、家族を自殺で亡くした子どもたちのこと。日本も韓国も、自殺が非常に深刻な社会問題となっており、自殺を防ぐための様々な取組が国を挙げて進められていますが、その一方で、自死遺児への支援はまだまだ立ち遅れています。
その理由のひとつが、社会に根強く残る「自殺への偏見」です。自死遺児の多くは、家族を自殺(自死)で亡くし、その衝撃や悲しみ、止められなかったことへの自責の念などから、極度の心的ストレスにさらされています。とりわけ韓国においては、家族が自殺したと知られれば、進学や就職、結婚など、人生の重要な局面で不利な状況に陥ることも少なくないそうです。
しかも、「自殺は弱い者がする、恥ずべきこと」、「死にたくてやったんだから自己責任だ」など、無理解や偏見からくる心無い言葉におびえる中で、遺児たちは、周りの誰にもそうした苦しみを吐露できず、孤立を強いられがちです。
やり場の無い悲しみや苦しみをひとり抱え続けることで、遺児たちは無力感や虚無感に襲われ、将来への希望どころか、今を生きる気力まで奪われてしまうことがあります。毎年、日本でも韓国でも多くの人が自殺で亡くなり、その裏で自死遺児が増え続けています。ライフリンクでは、自身が自死遺児でもあるスタッフが中心となって、自死遺児支援の輪を広げる取組を始めました。
その一環として、2016年(東京開催)と2018年(ソウル開催)に「日韓自死遺児交流会」を開催しました。きっかけは、当時ライフリンクでインターンをしていた韓国人留学生、朴ヘソンさんからの提案でした。
「自殺対策において、韓国は日本の10年前と同じような状況(自殺が深刻な社会問題でありながら、タブー視されたまま遺族支援も社会的な対策も進んでいない状況)です。日本の自殺対策は、自死遺児たちが声をあげたことで進みましたが、韓国の遺児たちにもそのことをぜひ伝えたいんです。きっと大きな励みになると思うんです」。
実際に交流会を通じて、日韓両国の遺児たちは、これまで封じ込めてきた胸の内を、互いに語り合いました。長い沈黙の後、参加者のひとりが勇気を振り絞って自身の体験を語り、その勇気に押されて、今度は別の遺児が自身の体験を語り、そしてまた別の遺児がと、まるで勇気をみんなでリレーするかのようにして、言葉の壁をも超えて、思いを分かち合いました(分かち合いの間、ボランティアの通訳がずっと日韓の遺児たちの話を通訳してくれました。時には言葉を詰まらせながら)。
こうした「分かち合い」を通して築かれた遺児たちの「絆」、そしてその基盤となる「交流会」の存在は、参加した遺児たちにとって、生きる上での大きな支えにもなっています。
みんなでひとつの輪になって思いを分かち合った後、言葉を超えた絆が生まれました。
当事者だからこそ感じる、社会からの疎外感や偏見について、自分たちで何ができるかを語り合いました。
①ファン・ユダムさん(韓国・29歳)
私は6年前、21歳だった弟を自殺で亡くしました。私と弟は、(家父長的な)父親の下で育っており、父親の態度は高圧的でした。私はソウルの大学に進学して、そこから脱しました。しかし、弟は実家に残ったので、そのストレスを受け続け、ついに自らいのちを絶ってしまいました。
すべての事に意味を感じないほど悲しみがいっぱいで、泣くしかできませんでした。しばらくは生きる意味を見つけられず、希望もありませんでした。自ら死ぬこともできず、ただ生きていました。愛する家族を亡くした私の心を誰も理解してくれなかったし、悲しみを慰めてくれることもありませんでした。私はひとりぼっちで、世の中から見捨てられた感じがして生きていることが虚しかった。なぜ生きているのか分からず、出口のない暗いトンネルの中にいました。
そんなとき、4年前にはじめて開かれた「日韓自死遺児交流会」に参加することになり、日本の自死遺児やライフリンクのスタッフの方々と出会いました。日本は、自殺に追い込まれる人を減らすために多くの努力をしており、しかも自殺対策が自死遺児の声から始まったと聞いて、とても衝撃を受けました。韓国社会は自殺に対する偏見が強く、私の体験を誰にも言えない状況でしたが、交流会での出会いから、声を上げた日本の遺児のみなさんの勇気に感銘を受け、私も生きる意味と使命感を持てるようになりました。私の使命は、人々が生きている中で死に追い込まれないように助けながら生きることと決めました。日韓自死遺児交流会は、私が自分らしく人生を歩むための座標軸であり、国を超えた仲間たちとつながれる貴重な場です。
② LHさん(韓国・20代)
日韓交流会で最も大切なのが「遺児同士の分かち合い」の時間です。第1回目は、韓国人は韓国人同士で、日本人は日本人同士にわかれて分かち合いをしましたが、第2回目は国別ではなく、一緒に分かち合いを行い、本当に心に響きました。自分と同じような感情について話を聞きながら複雑な感情が溢れ出てきました。まるで心の蛇口が開かれるよう溢れ出した感情は脱力するまで流れ続け、これまで意識的に考えることを止めて我慢していたものが溢れ流れ出るような不思議な気分になりました。
最初は、交流会に参加する前の数ヶ月間、「やっぱり参加するのをやめよう」と何度も考えました。ある時は、「(家族が自殺で亡くなったのに)自分が生きていることが間違っている」「自分が死ぬべきだ」との考えにも襲われました。自責の念や罪悪感をずっと拭えずにいました。でも分かち合いの場で、他の遺児が「自分も同じように考えたことがある」「自分と似ていると感じた」という話を聴いて、自分も大丈夫かも知れないと思えた。自分の気持ちをしっかり話せる遺児の方たちと接して、自分も「この人たちのように心が強くなれたら良いな」と、目標ができました。
③KSさん(韓国・30代)
日本語はわかりませんが、日本の遺児たちが話をするなかで、亡くした家族の「おとうさん」「おにいさん」という言葉を話すときの慎重な面持ち、声と手の震え、赤くなる目など、細かな変化がそのまま伝わってきて、一人ひとりの繊細で率直な感情を感じとれる貴重な時間でした。
以前、自分は最も耐え難いほどの無力感や空しさについて、「長いトンネルの先に存在する壊れた出口」と表現したことがあります。その当時は、暗くて長いトンネルを通り抜けたとしても、自分が行きつく先には壊れた出口しかなく、その前に座り込んでただ泣くことしかできないという気持ちでした。
その時間を過ぎ、回復力を持って少しずつ自分を起こす時間を通じて、壊れた出口の前に立ちはだかる力が生まれて、だんだん出口を通り抜ける小さな勇気も持てるようになってきました。自分の中に生まれているこのような変化を、普段は無意識で認識できませんでしたが、2回にわたって交流会に参加する過程で、自らの内面の変化を確認することができました。交流会は、とても貴重な機会です。
④DTさん(日本・大学生)
8年前に父親をうつ病による自殺で亡くしました。
正直、信じられませんでした。そして祖父に、「周りに(自殺だと)絶対言うな」と言われました。今でも稀に、友人などから「お父さん、なんで亡くなったの?」と聞かれることがありますが、その都度、言葉に詰まり、嘘をつき、一瞬胸がすごく苦しくなります。
この交流会では、日韓の遺児たちがそれぞれの思いを分かち合う時間がありますが、その時間は僕にとって本当に貴重です。自分が父のことを本当はどう思っているのかを、ここでは振り返ることができ、自分の内面を知る機会になるからです。
交流会は自分にとって、「本当のこと」を全て話せる場所であり、「本来の自分」に戻れる場所です。また、自殺問題に対して新たな考え方を得ることが出来る場所でもあります。同じ背景を持った仲間たちと話をして、自分だけじゃないんだと心強く思い、自死遺児問題に対して、自ら向き合っていきたいと考えるようになりました。
家族を自殺で亡くすことは、一言でいえば、想像もしていなかった真っ暗などん底にいきなり突き落とされるような感覚になります。「自殺した家族は、悪いことをしたのか」「家族の自殺について、周りにも話せない」「もしかしたら自分も同じ道を選んでしまうのではないか」など。そうした「考えたくもないこと」を次から次へと考えてしまいます。地獄にいるような思いをするのは、むしろ遺された遺族の方かもしれないとさえ思います。
交流会への参加を通して、僕は「"自死"遺族であること」を受け入れることさえも難しい、そんな遺族を少しでも救うことができるような社会に変えるために、自分たちがすべきことを考えたいと思うようになりました。
⑤MKさん(日本・30代)
交流会に参加して、同じ体験をした遺児たちや、「自死で大切な人を失う痛みがどれほどのものか、わかりたいけれどわからない。でもどうにかそういった人たちの力になりたい」と尽力されている日韓のスタッフの皆さんに会うことができて、非常に心が救われた気がします。
父と共に生きた年数と、父を失ってからの年数がちょうど同じ年に差し掛かっていて、以前は「今がどんなに幸せであっても、父が生き返ってくれるのならばその方がいい」と言っていた私も、「今の幸せがあるのも父の死があったからだ」と、父の死に対して客観的に物事を考えることが出来るようになりました。ただ、自分自身が限りない幸せの中で、今もなお、要所要所で突然、不安感に襲われることがあり、交流会という、そんな自分をさらけ出す場所があるのは、非常にありがたかったです。
⑥TNさん(日本・30代)
ソウルでの歓迎会で、韓国遺児のCさんが自分に話して掛けてくれたのですが、自分は韓国語がわからず、そうしたら英語で話してくれて、でも自分は英語もわからなかったので、するとこんどは簡単な英語をゆっくり話してくれて、それでもわからなかったらスマホを取り出して翻訳機能を使って、という風に様々な方法を用いてコミュニケーションを図ってくれた、ということがありました。
このことが自分に取っては本当にうれしくて、人と人のコミュニケーションというのは相手と話すだけではなく相手を知りたいとか相手と仲良くなりたいという気持ちそのものなのではないかななんていうことを感じました。言葉がわからない分、その足りない言葉を埋めるように気持ちを寄せ合うことによって、言葉がわかる人同士よりも気持ちが伝わるようなこともあり不思議だなと。
いまでは、人と人を繋ぐのに国と国の間で隔たりを感じる必要はないのかも知れないとも思います。立場や生まれ、それまでの経験、環境、そういったもので隔たりというものはすべての人同士の間では埋まることはないとは思いますが、気持ちを寄せ合うということがもっとも大事なことなんだと交流会を通じて強く感じました。
これまで2回の「日韓自死遺児交流会」を通して、遺児たちは自らの苦しみを互いに分かち合うことで、「耐え難い痛みが、生きる力に変わりうる」ことを知りました。参加した多くの遺児たちにとって、交流会が生きる支えにもなっています。
そして、いまも孤立して苦しんでいる自死遺児たちのためにも、さらにこの絆の輪を広げて、「自死遺児にとって、より生きやすい社会づくり」への力に変えていきたいと考え始めています。「痛みを知っている自分たちだからこそ、他の人たちの痛みに寄り添うことができるのではないか」。これは、第2回交流会に参加した大学生遺児の言葉です。
そこで今回、第3回交流会を開催することにしました。1回目は日本で、2回目は韓国で開催したため、3回目の今回はまた日本での開催になります。日程は、2月22日(土)~24日(月)の3日間。参加する遺児のひとりの故郷でもある福岡での開催が決まっています。
ただ、昨今の日韓関係の悪化もあり、開催のための資金が十分に集めることができていないため、急きょクラウドファンディングで協力をお願いすることになりました。国家間の関係悪化に、遺児たちの交流会を巻き込むわけにはいきません。むしろ、国同士がこういう関係の時だからこそ、「同じ痛み」でつながった遺児たちの交流会をなんとしても実現させたいと思っています。
日韓あわせて25名(自死遺児とスタッフ)が3日間集う交流会の開催には、航空機代等の交通費や宿泊費、分かち合いの会場費や懇親会の開催費、韓国の自死遺児へのお土産代等、約170万円が必要となります。これまで80万円を確保できているため、残り90万円を目標額とさせていただきます。
第3回日韓自死遺児交流会@福岡市 スケジュール(予定)
◆2月22日(土)
夕方:歓迎会(挨拶、自己紹介、アイスブレイクとして手巻きずし作り体験など)
◆2月23日(日)
午前:分かち合いの時間(これまで参加したことのある自死遺児を中心に)
午後:分かち合いの時間(はじめて参加する自死遺児を中心に)
夜 :分かち合いの時間(日中、話をすることができなかった自死遺児を中心に)
◆2月24日(月)
午前:ディスカッション(「自死遺児にとって生きやすい社会」をどう創るか)
午後:ディスカッションの続き
夕方:福岡観光(送別会)
以上、どうかご支援のほど、よろしくお願いいたします。
NPO法人ライフリンクは、誰も自殺に追い込まれることのない“生き心地の良い社会”の実現をめざして、「つながり」をキーワードに、自殺対策(=生きる支援)を社会全体で推し進めるための様々な活動を行っています。 つまり、①自殺対策の社会的基盤を作り、②自殺の実態を解明することで、その基盤の中でやるべき対策を明らかにする。そして、③明らかとなった対策をどう実践すればよいのか、具体的なモデルを作って提示し、④そうしたモデルに従って、行政が自殺対策に取り組んでいるかどうかを監視する。また、⑤すべての活動を社会的な啓発につなげることで、あらゆる実務的な活動が根付きやすくなるように自殺対策の土壌を耕す。そうやって、自殺総合対策を自律的な安定軌道に乗せていくというのが、ライフリンクの活動戦略です。
※本件に関するお問合せ先
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NPO法人 自殺対策支援センター ライフリンク(下野)
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E-mail: info@lifelink.or.jp
最新の活動報告
もっと見る皆様へ御礼:日韓自死遺児交流会 無事に終了いたしました
2020/02/27 19:20こちらの活動報告は支援者限定の公開です。
「日韓自死遺児交流会の開催に関して」
2020/02/21 20:40こちらの活動報告は支援者限定の公開です。
「日韓自死遺児交流会」のきっかけを作った朴ヘソンさんより
2020/02/17 20:19※写真:ライフリンクの清水(左)と朴さん「日韓自死遺児交流会」を開催するきっかけを作った朴ヘソンさんから、寄稿をいただきました。自殺対策に関わるようになった経緯こんにちは、朴ヘソンと申します。私は韓国のソウルで大学を卒業して、英語を教える会社で働いていましたが、ある日、結婚2年目だった姉が胃がんで亡くなりました。当時、身籠っていた姉は自分の病気に気づかず、子どもを産んだ後、検査でそれを知ることになりましたが、既に末期状態で手遅れでした。一年間の姉の看病を通じて自分に何ができるか必死に祈っていました。そして、姉が亡くなる前に発した「本当に“生きたい”」という言葉を聞いて、いのちの大切さを心から実感しました。姉のように生きたくても生きられない人たちのため、私ができることがあれば、何かしようと思い始め、福祉のことを考えるようになりました。ちょうど妹が日本に留学していたので、迷わず日本への留学を決めました。日本語を習得した後、日本の大学院で「自殺」をテーマに研究することを決めた私は、2008年、自殺対策を社会全体で推し進める、NPOライフリンクでボランティア活動を始めました。ライフリンクの活動を通して多くの「自死遺族」の方々と接し、自死遺族のための研究や活動を本格的に始めました。そして、同時に、私は韓国人として、韓国の自死遺族のことも考えなければならないと思い始めました。2010年10月に韓国へ戻り、韓国の自殺対策に尽力している民間団体「韓国いのちの電話」を訪ね、自死遺族に会いながら、相談や分かち合いの会などの自死遺族支援を続けてきました。日本よりさらに根強い韓国の自殺に対する偏見分かち合いの会を始めた当初、参加者の大半は子どもを亡くした母親でした。そして、その母親たちが一番心配していることは、遺された子ども(自殺で亡くなった子どもの兄弟、姉妹)でした。自分の心にある悲しみよりも、遺された子どもも後を追って自殺で亡くなるのでないかと心配をしていました。そのため私は、その子どもも分かち合いの会に参加してもらい、相談に乗らせてほしいと言いましたが、母親たちは、「下手に手出しをすると最悪の結果が起こるかもしれない」、「そもそも子どもには、兄弟が自殺でなくなったことを言っていない」と口ごもりながら、わが子の参加を拒否しました。しかし、実際に、子どもたちに会ってみると、ほとんどの子が、自殺のことに感づいていました。そして、子どもたちのほうもまた、親の苦しみに触れまい、また親が後追い自殺をするのではないかと怯えるあまり、「自殺」について、切り出すことができなかったのです。こうして、当事者自身も自殺をタブー視せざるを得ない環境が韓国には根強く残っています。自殺に至るには、貧困や就労、パワハラ、いじめど、いろいろな要因があるにも関わらず、自殺が起きてしまうと、まず世間は、「その家族の不和や家族の間に問題があるかもしれない」などのような先入観と偏見を持っています。自殺を防げなかった責任のすべてが、その家族に問われ、非難の対象になるために、自死遺族たちは、家族を亡くした悲しみや苦しみなどを誰にも話せず、心に封じ込めて生きざるを得ないのです。日韓の自死遺児交流会の開催を、遺児たちに約束私は2016年3月に、大学院の博士課程のために日本に戻りました。その際、韓国の遺児たちには、「来年、必ず私が日本の自死遺児たちと会える場を作るようにする」と約束をしました。日本に戻って、ほどなくして、ライフリンクの清水代表に提案したところ、その場で「ぜひ、やろう!」と2つ返事をいただき、その半年後の2016年の9月に「第1回自死遺児交流会」の開催が実現し、2018年には第2回が開催されました。この会により、韓国の遺児たちは、大きな安心と力を得て、自分たち自身の中で「変化」が起きていることを感じ始めています。交流会を通して、自死遺児たちに生じた大きな変化ある遺児は、人間関係が苦手で会社で働くこともできず、就職してもなかなか続けられなかったのですが、交流会に来たら一番積極的であり、良く笑ったり、話かけてくれたりします。私の考えでは、いろいろな人と出会って、良いことや悪いことなど、すべてそのまま自分のことを受け入れてくれた人たちに勇気をもらっているのではないかと思います。今は会社に就職し元気に働いています。ほかには、最初は自分のことを誰にも話さないようにして、誰かに知られたらどうしようと心配していた遺児が、今は名前も顔を出して堂々と自死遺児として、自殺対策に積極的に参加しています。また将来の目標として同じ経験をしている遺児たちのため自分ができることをしたいと考えるようになっています。そしてまたある遺児が、第2回の交流会が終了時、私にこう言いました。「朴さん、別れたくないです。日韓自死遺児交流会は、私の生きる意味になりました。また1年間待たないといけないですね。でも第3回で、皆にいろいろな話ができるように頑張りますね。」その瞬間、その遺児含め、韓国で出会ってきた自死遺児たちが強いられている数々の苦しみが、頭の中で思い出され、私自身も10年以上の活動で経験した辛い思いが浮かばれる気分になり、思わず涙が出てしまいました。その遺児を抱きしめながら思い切り泣きました。日本は自死遺児の声により、社会問題として対策が進むようになり、今や全国規模で「生きる支援」としての自殺対策が進められる枠組みが整ってきています。その一方で、韓国は、まだまだ自殺対策も自死遺族支援も立ち遅れています。韓国の遺児にとって、意を決して声を上げ、社会を変えてきた日本の遺児の皆さんは、人生のモデルであり、目標であり、これから安心しながら生きてもよいという生きる希望を示してくれていると思います。交流会を通じて、「今の自分を信じて生きても良いんだ」、「私の隣には私を支えてくれる仲間たちがいるんだ」と感じています。どうかこの生きる力となる「絆」を絶やさず、さらに広げていくために、ご支援のほど、よろしくお願いいたします。 もっと見る
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