種子島で誕生した品種「松寿(しょうじゅ)」の
一番茶を使用したクラフトビール「松寿」
日本一早い新茶の里「種子島」の美味しいお茶「松寿」を全国に広めたい。
種子島大学が中心となり「松寿」の消費拡大を目的に茶業農家さんと種子島ブルワリーがタッグを組んで一番茶「松寿」の味と香りを活かしたクラフトビールを開発。生産者と消費者が繋がることを目的に、初出し!一番茶を使用したクラフトビール「松寿」をボジョレーヌーヴォの様に解禁日をもうけ全国の消費者に「松寿」を楽しんでいただくキャンペーンを計画。
種子島大学とは
3市町(西之表市・中種子町・南種子町)広域民間団体が種子島の地域資源再発見を目的に歴史・文化・産業・自然などを学ぶ講座を展開。
種子島大学「お茶講座」の様子
クラウドファンディング達成!
種子島大学を中心に種子島の茶園とブルワリーが連携。開発資金はクラウドファンディングを活用。目標額の129%を達成。ご支援いただきありがとうございました!!!!!
農家さん応援プロジェクト
農家さんと対話する中で茶業の厳しい現実を知る。日本人のお茶離れによる消費の減少や一番茶の価格下落など農家さんを取り巻く環境は大変厳しい状況。地域活性化を目的にはじまった種子島大学として農家さんの課題解決に対するお手伝いをしたい。農家さんを応援して茶葉の消費拡大につながる一助を担いたい。その様な思いと考えから当キャンペーンスタート。
種子島でのみ栽培されている茶葉「松寿」を使用
「松寿」は松寿園4代目の松下栄市さんが選抜・育成した品種で、種子島にしかない希少種。お茶を注いだ時の水は黄金色で、ほのかに香るミルクともバニラとも感じられる風味と、他の品種にはない独特の甘味が特徴。
種子島のタネが新旧まじわり新しいタネが生まれる
111年の歴史を持つ松寿園さんと、2017年に誕生した種子島ブルワリーからはなさんがタッグを組んで、新茶を使ったプレミアムなクラフトビールを開発!
種子島ブルワリーからはなの伊藤さんは、2000年に種子島へ移住。ビールづくりを通して地域に貢献したいと奮闘中!地域の果物などを使った種子島ならではのクラフトビールが人気。
お家で楽しむクラフトビール
種子島でのみ栽培されている茶葉「松寿」の認知度向上と消費拡大を目的に始まった一番茶のクラフトビール「松寿」開発プロジェクト。一番茶のクラフトビールをボジョレーヌーヴォの様に解禁日をもうけて、YouTubeやアプリを活用してクラウドファンディング支援者と生産者が繋がるキャンペーンを実施。
プログラムは支援者に直接ご連絡いたします!
最後に
多様性が豊かさの源「種子島DNA」
いま、日本の文化の中に定着している多くのものが、種子島発祥あるいは種子島を経由してこの国にひろがったことをご存知だろうか。例えば戦国時代の勢力図を激変させた鉄砲、あるいは近世の飢饉から人々を守ったサツマイモなどだ。鉄砲と同じくして伝わった洋鋏ばさみは種子鋏としてその姿を残している。その背景には黒潮という海上の高速ハイウェイがあったことも見逃せないが、種子島の人々があらゆるものを受け入れる柔軟性と多様性を持っていたことが大きいと言っていいだろう。
県内各地からはもちろん、日本各地や遠く海外から新天地を求めてやってくる移民を拒もうとはしなかった。それは異文化の流入を進んで受け入れてきたことに他ならない。入ろうとする人を柔らかく受け入れる。いまでも移住者が絶えないのは、この多様性を受け入れる島民性が途切れることなく受け継がれているからだ。
このように種子島は多様な人や文化が集まり、 共創することで発展してきた。この島をかたちづくる基本理念を我々は“ 種子島DNA”と呼ぶ。
はじまりは、よそ者の目だった。
ぼくたちが目をつけたのはお茶だ。種子島がお茶の産地だというと驚く人も多いと思うが、種子島はれっきとしたお茶の産地なのだ。それは大手飲料メーカーのペットボトルのお茶に姿を変え、日本中に届けられている。
そのはじまりは100年以上前に静岡から種子島に移住した茶農家の奮闘努力によるものだ。それ以前に種子島に赴任していた静岡出身の役人が、この島はお茶の栽培に向いていると見抜いたのだ。そして故郷の茶農家に種子島の開拓をすすめた。
最初の移住者、松下助七は家族と仲間を伴い島を歩き適地を探し回った。そこには島の人々の容認と協力があったことは言うまでもない。深い山の中で道に迷った夜、狭い住居の一部を快く貸してくれた上、寝具がないからと遠くの家まで借りに行ってくれたこともあったそうだ。そうして古田番屋峰の地にたどり着き文字通り根を下ろしたのだ。借地の交渉にあたってもよそ者だからという理由で不利は無かっという。
そうして種子島のお茶の歴史は、種子島DNAによって耕された風土と迎え入れのこころに支えられてはじまった。
ぼくたちは、そのお茶に種子島DNAの現在と未来の種子島の姿を再発見しようとしているのだ。