はじめに・ご挨拶
初めまして。原田と申します。
昔から色々と事業を起こしてみたいなと思っていたのですが
30歳になる前にチャレンジしてみようと思い起業する運びになりました。
商品・お店が作られた背景
今、大人気なタピオカドリンクですが、私自身大好きで毎日飲んでいましたが
糖質やカロリーが高いということを知って、気軽に飲めなくなりました。。
タピオカの良さを失わずにもっと気軽に飲める方法はないかな?と考えていました。
そこで「粒こんにゃく」という物に出会いました。
「これ、タピオカの代わりに入れたらいけるんじゃ??」と思い、試してみるとこれはイケる!
もちもち感は少し劣るものの、美味しい!しかも糖質もカロリーも低い。
おまけに食物繊維も高く、これならもっと気軽に飲める!と思ったのが始まりです。
こんなに美味しくて、カロリー・糖質を気にせず飲めるタピオカ風ドリンクを、もっと多くの方飲んで欲しい!という思いから開発しました。
タピオカは日本だけでなく、世界中で人気なドリンクです。将来的には、世界へ展開していくことを目指し、挑戦していきます!
私たちの商品・お店のこだわり
タピオカの代わりに粒状のこんにゃくを使った、ヘルシーなタピオカ風ドリンクを皆様にお届けします。
「粒こんにゃく」とは、こんにゃくを粒状に加工した製品です。私たちのタピオカ風ドリンクには、日本のこんにゃく生産量第一位である群馬県の市川食品さんの粒こんにゃくを使用しています。
タピオカだと乾燥状態の糖質→100g当り87.3g カロリー→346kcal
粒こんにゃくの糖質→100g当り2.5g カロリー→9kcal になります。
一般的なタピオカドリンクと比べるとかなり抑えられます。
左:原田、右:市川英久社長
市川食品とは
株式会社市川食品は大正14年の創業以来、こんにゃく・ところてんを主体に地域食文化の向上を目指し、高品質・高付加価値な製品作りをモットーに邁進しております。
群馬県は古くから、良質なこんにゃく玉の産地として知られています。その良質な群馬県産こんにゃく玉にこだわって、伝統の技と新しい技術との融合を図り、皆様に愛される、健康的な自然食品の製品開発に尽力してまいります。※市川食品HPから引用
この創業95年の市川食品さんのご協力を頂き、このドリンクを開発することが出来ました!
インターネットの画面を通して、株式会社市川食品のバーチャル工場見学をご覧ください。
プロジェクトで実現したいこと
・最初は、六本木付近にてUberEats限定店舗の出店を予定しています。その後、東京を中心に全国展開していき、1年以内には海外(中国・アメリカ)への出店を目指します。
・このタピオカ風のドリンクを通じて、海外の方にも、日本発祥のヘルシーかつ美味しいこんにゃくの存在を知ってもらいたいと思っています。
資金の使い道・スケジュール
・店舗取得費、家賃 18〜25万円
※第1号店は、東京都港区麻布十番付近に構え、六本木ヒルズにお勤めの方などをターゲットとする予定です。
・法人設立費用 25〜30万円
・機材費用 15万円(製氷機、レジ等)
・仕入れ費用 45万円
・半年間の運転資金 180万円
最後に
粒こんにゃくを使用した新感覚タピオカ風ドリンクを、より多くの方に届けるため、皆様の支援をお願い致します!
自己紹介 よければ是非読んでください
原田英憲(はらだひでのり) 1993年4月28日生まれ 26歳
北海道小樽市生まれ。
小学校ではサッカー・カードゲーム、中学校ではバスケ・TVゲーム、高校ではバスケ・ゲームセンターにハマっていて学校以外の時間は遊ぶことに全力でした。笑
そんなやんちゃな性格でしたが、3歳の頃からパイロットになりたい!という夢がありました。
ですが貧しい家庭で育った為、パイロットになるための学校に行くお金なんて当然ありませんでした。
なので高校を出たら自衛隊に行こうと思って頑張っていました。
が!中学3年生の時から右膝に激痛が走るようになり、高校生の時には歩けなくなるほどに・・・。
病院に行っても原因が分からず、高校2年生になり、本当に歩けなくなり病院を何件も周りやっとガングリオンという病気だということが判明しました。手術をしないと治らないと言われ凄く悩みました。
というのも自衛隊は病気・怪我に厳しいので手術をすると入れない可能性があると・・・。
苦渋の決断でしたが手術をしました。入院は2週間程度だったのですが、夢を失い何もする気になれず色々と考えていました。「お金さえあれば何も考えずに済むのになー」と。そんな状況で勉強するにも気にもなれずなんの為に学校に行くの?高校・大学を出なくても稼いでる人はいっぱいいるんだから行ってる時間が無駄だなーと思い、高校を中退しました。ここが人生の大きな分岐点だったと思います。
その後バイトをしながら遊んで暮らしていました。当時EXILEが大好きでライブによく行っていたのですが
たまたまライブのステージを作っている職人さんと出会い「自分もやりたいです!!」とすぐ電話しました。そうすると「東京に住むことが条件でやる気があるなら今すぐ来い!」と言ってくれ、電話から2週間で上京しました。笑
ライブの設営スタッフになり、全国各地を飛び回っておりました。
1年の半分は東京に居ないし、力仕事で辛い面もありましたが、ライブはタダで観れるし、自分にとっては凄く楽しくてやりがいのあった仕事です。
ですがそんなある日、高さ21mの鉄塔の上で事故に遭い、軽い怪我をしました。
3針縫うくらいの怪我だったのですが、正直死んでいてもおかしくない状況でした。
その時に高さが怖くなったと同時に将来の不安が込み上げて来て、『体が動かなくなったら自分、将来の家族はどうなるんだろう』と。生活出来ないじゃないかと。
一生は出来る仕事ではないと思って辞めて、またもや夢もなく途方に迷いながらフリーターを1年程していました。この1年はMLMに誘われたり、ホストの勧誘やら色々とありました。
ライブの仕事がそこそこ稼げたのもあり、もっと稼ぎたい!何かやりたいけど元手もなくどうしようもないなとこの時は諦めてしまい、ちゃんと仕事をしなければいけないなと思い就職しました。
大手ショッピングサイトの配送業に就き、2年ほど働きました。
この職業は本当にストレスが半端なかったです。自分がいくら仕事が出来ても、結局お客さん次第なところが大きく自分じゃどうにも出来なくて本当にストレスでした。不在問題、夜の時間指定に集中しているなど
これは辞めた今でも解決しないといけない社会問題だと思っています。配送業でもそこそこの稼ぎはあったと思いますが、もっと稼ぎたいと思って悩んでるタイミングで友人に誘われプログラマーに転職することにしました。あるSESの会社に入社し、そこで同時入社のTさんという方に出会いました。
お互いプログラムを勉強したいという目的で入ったのですが、実際入ってみるとプログラムを勉強するどころか、アルバイトよりも酷い現場に行かされることが確定し、このままじゃ成長どころか一生社畜の道に。。そこで入って2週間(1月の末)に退社。退社から2日後、Tさんから連絡があり、「起業しませんか?」との突然の誘いを受けました。
何も分からず、スキルも無い自分でも出来るの?と疑問と不安と期待が入り混じった感情でしたがとりあえずやってみようと思い起業しました!!
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
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