こんにちは
【ともす想いたくす灯火】プロジェクトの鹿嶋静です
被災地の範囲ってどこからどこなんだろうと思います。
地震があったのは東北だけじゃないし、津波もそう。
放射能のこともそうです。
それでも
津波が来たところや原発の近くにいなくても
そこに家族がいたり、友達がいたり、親戚がいたり、
旅行で訪れたことがあったり、仕事で行ったことがあったり、
好きな物語の舞台になったとか、
それぞれ、様々な思い入れがある人もたくさんいると思います。
そして、そこにいないからこそ声があげずらかったり。
まだ母とも連絡が取れていなくて、テレビで気仙沼の様子を見ていた深夜。
なかなか東松島の情報が出てこなくて、寝ずにネットの情報を検索していました。
すると
関西や九州の友達からたくさんのメールがありました。
実家、大丈夫?って。
その時、正直、普段連絡取らない人には苛立ってしまったんですよね。
大丈夫だと思うのか?って。
でもその時はそうは返しませんでした。
・・・
その年の五月に、大学時代の同期の結婚式が関西でありました。
彼らも様々に悩んで、私の気持ちを確かめてくれていました。
私は行くことにしました。
その時も、仲の良い人にこっそり実家のことを聞かれるのは大丈夫だったんですが
そんな仲良くない、久しぶりに会った人に
大勢の前で
「実家、大丈夫なんですか?」
って聞かれたんですよね。
その時に、私は溢れてしまったんです。
「大丈夫だと思うの?大丈夫じゃなかったらどうすんの?そうやって質問して、大丈夫じゃなかったら、私の話、聞いてくれんの?友達や親戚や近所の人が亡くなって、今もまだ元に戻れてない地元の景色とか、遺体安置所の話とか全部聞く覚悟があるの?」
本音でした。
でも後から思えば、まあ、その人は悪くないし
友達にも「聞かれてきついだろうけど、その人に静の状況や心情は分からないよ」と
言われて、そうだよな、と思いました。
私を通して、その場所に思い入れもある人もいるんだなって思いました。
友達の実家っていうのも思い入れのひとつ。
被災地にはいないけど被災地に思い入れがある人々はたくさんいる。
これは今回の私の心の中でのテーマでもあります。
そしてこれは、そのあとの自分にも返ってくることでした。
鹿嶋静