こんにちは
ともす想いたくす灯火 プロジェクトの鹿嶋静です
私は18歳まで宮城県東松島市(旧鳴瀬町)に住んでいました。
今も実家はそこにあります。
友達も親戚も住んでいます。
山、川、海があり、自然豊かで食べ物も美味しいです。
小さい頃から、地震の話はされました。
ちょうど私が生まれる前年に宮城県沖地震というのがあったのもあり
揺れたら窓や扉を開けて逃げ道を確保する、というのは体に染み付いていました。
でも津波にはあったことなく育ちました。
震災のあと、地元の同級生に会うと
「津波が来るってなったけど10センチとか20センチとかで大したことないと思ってたら
そのぐらいでも歩けなかった。津波の中歩いてきた人の足を見たら傷だらけだった。
そういうの知らなかったよね。」
と話してました。
そう、確かに、海岸近くとかに「ここまで津波がきます」みたいな看板はあったんだけど
だからどうしたらいいかは知らなかったんですよね。
東京の知り合いに
「地震が多い地域なら津波のことって授業とかで習ったりなんか言われたりしてたの?」
と聞かれましたが、地震のことは結構聞いてきたけど、津波の話はされたことなかったです。
私自身、これまでちゃんと震災のことを振り返ることができずにいました。
10年目の今年、子供達にも正しく伝えられるように、見つめ直したいです。
また
鹿嶋静