2021/01/12 13:17
こんにちは
【ともす想いたくす灯火】プロジェクトの鹿嶋静です
震災の時私は都内に住んでいました
震災後、1週間、宮城県東松島市にいる母とは連絡がとれませんでした
連絡がとれた時、母のところにはあまり情報が入っていませんでした
そして、私が手伝いに行くよというと母はこう言いました
「いま静がきてもできることはない。まずは自分の家族を守って。」
私は車の免許がありません。
なのでいま東松島に行っても、水も運べないと言われました。
シドニーに住む兄が急遽、帰国して、実家の手伝いをしました。
私は一ヶ月後の4月に行きましたが、その時もまだ水道は通ってなくて
歩いて水を汲みに行きました。でも、何度も何度もはできなかったです。
母は、震災後、しばらくすると「今は静に来て欲しい」と言いました
役割があって、手伝える時期がくるまでは何もできないけど
待つことも、大事な役割だと知りました。
鹿嶋