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諦めきれないプロサッカー選手への道。

昨年大学を卒業後、プロになるためドイツへ渡航。ドイツ5部でプレーするがコロナによりリーグ中断。日本へ帰国。「諦めてたまるか」「ドイツでプロになるって決めたんだ」という強い気持ちとともに、リーグ再開の目処が立ち次第再度ドイツへ挑戦します。必ずプロになります!応援よろしくお願いします!

現在の支援総額

412,833

130%

目標金額は316,000円

支援者数

44

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2020/04/21に募集を開始し、 44人の支援により 412,833円の資金を集め、 2020/06/24に募集を終了しました

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諦めきれないプロサッカー選手への道。

現在の支援総額

412,833

130%達成

終了

目標金額316,000

支援者数44

このプロジェクトは、2020/04/21に募集を開始し、 44人の支援により 412,833円の資金を集め、 2020/06/24に募集を終了しました

昨年大学を卒業後、プロになるためドイツへ渡航。ドイツ5部でプレーするがコロナによりリーグ中断。日本へ帰国。「諦めてたまるか」「ドイツでプロになるって決めたんだ」という強い気持ちとともに、リーグ再開の目処が立ち次第再度ドイツへ挑戦します。必ずプロになります!応援よろしくお願いします!

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【自己紹介】

初めまして、辛島侑烈(からしまゆきよし)です。


福島県出身の23歳、現在は日本でドイツのリーグ再開を待ちながら資金を貯め、コンディションを調整しています。


【経歴】

・ベガルタ仙台


・桐蔭学園高等学校


・びわこ成蹊スポーツ大学


・FC Hürth(ドイツ5部)


【軌跡】

 

物心ついた頃からボールに触っていた。


サッカーをしていた2人の兄の影響で、自然とサッカーという環境に身を置いていたため、気づいた時にはプロサッカー選手になることが自分のになっていた。


小学生の頃は周りより始めたのが少し早かったこともあり、自分で言うのもなんだが少し周りより上手だった。(笑)

福島県の選抜や東北選抜等も何度か選んで頂いたが、宮城県のレベルの高さに驚愕した。

宮城県選抜はその大半をベガルタ仙台ジュニアの選手が占めていて、彼らの「技術」「スピード」「強さ」全てが格上だった。宮城県選抜と試合をする時だけは何もできず、とにかく悔しかった。小学生ながらに福島の外でプレーしたいと思うようになった。


両親の協力のもとベガルタ仙台Jyのセレクションに行くことができ、結果は5次試験中「4次内定。」信じられなかった。そしてもちろん嬉しくもあった。

当時手も足も出なかった相手と一緒に練習でき、試合ができる。毎日が刺激的だった。

上手な選手たちと練習することで自分が成長していることを実感できた。

周りの環境に恵まれたこともあり、全国まである大会はすべて全国まで、U-14のエリートプログラム、メニコンカップにも選出してもらった。

順調に成長していたと思っていたがこれらの経験で更に思い知ることになった。

全国大会では最後こそベスト16に入れたものの、勝った試合は数えられる程度、選抜でも個人としてはなにもできなかった。関東、関西にはもっとすごい選手がいっぱいいるのだと感じた。

ありがたいことにベガルタ仙台ユースのオファーを頂いたが、関東へ行けばもっと上手くなれる。という単純な考えで当時インターハイを優勝した桐蔭学園への入学を決めた。


当時の桐蔭学園は、ディフェンスラインから短いパスで組み立て、連動した動きと美しいパスワーク、要所で魅せる個人技、まさにバルセロナを見ているようで強い憧れを持った。自分もこんなサッカーがしたい。と思ったが現実はそう甘くはなかった。

1年目から試合に出させていただいたものの、同じリーグにいた「柏レイソル」「横浜Fマリノス」「川崎フロンターレ」などの強豪には手も足も出ず、何もできずにただ降格した。

2年目は結果が出ないこともありサブからのスタートが多くなった。

なかなか思うようにいかない、結果も出ない、それでも監督は自分を試合に出してくれた。

選手権の全国出場がかかった試合でも延長戦に最後のカードとして使ってくれた。出場したワンプレー目でようやくの点を決めることができたが、同店に追いつかれPKで負け、2年目が終わった。

しかし最後の1点は自分にとって大きな1点だった。ようやく大舞台で結果が出た。

この流れを大事に次の年を迎えようとした矢先、監督が代わり、「メンバーから外された。」

自分にとっては予想もしていなかった出来事だった。実際誰もが認めるような結果を出せていなかったのは事実だったが、当時の自分はそのことを素直に受け止められなかった。

監督からは

「天狗になるな。走れ。そうじゃないと成長は止まる。」

と言われ続けたが、なかなか自分を変えることができなかった。

今思えばこの半年が自分のサッカー人生にとって一番重要だったのではないかと思う。

もしこの言葉を素直に受け止め自分を変える努力ができていたら。

その後の自分のサッカーは良い方向に変わっていたのかもしれない。


その後、何も変わらぬままだったが後期のリーグから試合に出してもらうことになった。しかし大事な選手権ではまたもやあと一歩のところで負け、3年間1度も全国に行くことができなかった。


自分の人間としての弱さが表れた3年間だったと思う。


大学は知人の紹介でびわこ成蹊スポーツ大学に入学し、1年から4年までトップチームとI1(Bチーム)を行ったり来たり。練習はトップチームで行い試合はI1でプレーすることが多かった。

4年間でトップチームの試合に出たのは最後の試合の後半45分だけだった。情けの45分だろう。

「情けなかった。」

周りの選手たちがだんだん就活を進めていく中で進路については死ぬほど悩んだ。

大学卒業後、日本でプロになることはほぼ無理。海外にチャレンジするか?しかし自分にはつてがない。社会人チームでアルバイトをしながらサッカーするよりは就活した方が生活も安定するかもしれない。



何度も悩んだがやはりサッカーを辞めることはどうしてもできなかった。



その理由として一つは両親や友人などの期待にどうしても応えたいということ。

今まで自分のプロになるという夢に幾度となく協力してくれた両親、そして高校から県外へ出た自分に「すごいね」「絶対プロになってね」と応援してくれる友人の期待にどうしても応えてあげたい。いや応えなければならないと思った。


そしてもう一つ、大学のトップチームでプロになった選手と一緒に練習や練習試合をこなす中で、自分で自分の「可能性」を多少なりとも感じたことだ。


この「可能性」というのが自分のなかでサッカーを辞めることができなかった一番の要因だと思う。


しかしどのチームに練習参加をしても、実績のない自分を受け入れてくれるチームはなくどうすればいいか考えていた時、大学のOBでドイツのチームを紹介できる方がいるという情報を聞いた。

ドイツでは1部から10部近くカテゴリーがあり、そのカテゴリー間の移籍が頻繁に行われるという。今の自分がプロになれる可能性があるとしたらこれしかないと感じた。


日本の社会人リーグはアマチュアで始めるとコネや知名度がある程度ないとそこからプロに転向するのはなかなか難しい。しかしドイツではそんなもの関係なしに結果やプレーが良ければ上のリーグからオファーが来ることも少なくないという。


これが自分にとってラストチャンスだと、3年のうちにプロになる。そうでなければプロになるという夢にけじめをつけ、違う道で生きると心に決めドイツへ行くことを決心した。


(関西Iリーグアシスト王受賞時の写真)


そしてドイツへ渡ってからは、最初に練習参加したドイツ5部で毎年上位に食い込むチームと契約することができた。

最初の9試合はビザやケガの関係で欠場し、チームも7敗2分と不調だったものの、自分が試合に出てからは8試合1点3アシスト、6勝2分。個人の結果がまだまだ足りないがチームの勝利には少なからず貢献できていると思う。

個人の結果さえ伸びれば、2年目から4部でプロとしてサッカーできるかもしれない。という大事なときに...


コロナによるリーグ中断

 

後期リーグが始まりこれからという、そして移籍の話がだんだん進められてくる大事な時期に何もできなくなり、いつの間にかレストランもカフェも閉まり始める事態となった。


チームと話し、急遽日本に帰らせてもらうことになり、2週間の自主規制後、家でコンディションを整えながらコロナの事態の収束、そしてドイツのリーグ再開を待っている。

(FC Hürth 集合写真)


今回のコロナが収まったら必ずもう一度ドイツへ行き、プロになります。


【このプロジェクトの目的】

このプロジェクトを使う目的は、資金面を補うことです。

海外挑戦において資金面の問題は避けては通れないものです。実際私が初めてドイツにいった際の渡航費、そしてチームと契約し初めて給料が入るまでの生活資金はとても安いといえるものではありませんでした。当時は大学生時代にアルバイトをして貯めたものと、足りない分は両親に援助してもらいましたがそう何度も援助してもらうわけにもいきません。

実際、資金面で海外挑戦を断念した選手を見たこともあります。


そして今回のコロナによりドイツに戻った後のチームとの契約がどうなるのか、ビザの手続きや住居探し、もしかするともう一度1からチャレンジしなければならないかもしれない。そういった状況を加味したうえで、資金不足による不安を少しでも和らげることができればと思っております。


私が大学時代に感じた、そして約半年ドイツ5部でプレーをして感じた「可能性」というものを資金不足で諦めたくない。

このプロジェクトを1つの手段として有効活用することができれば良いと思っております。




【集まった資金の使い道】

・渡航費     100,000円

・ビザ新規取得  10,000円

・語学学校    60,000円

・滞在費     100,000円

・手数料(掲載手数料12%、決済手数料5%) 46,000円


集まった資金は、渡航費とチームと新規契約が出来るまでの滞在費用を、自分が最初にドイツへ行った時にかかった費用を参考に割り出しています。




【最後に】


ここまで読んでいただきありがとうございます。


【軌跡】にて話したように、プロサッカーになることは私の夢です。

その夢を叶えるために両親、友人、今まで指導していただいた方々にさんざんお世話になりました。今まで私に関わってくださった方々へ恩返しするため、そして自分の夢を叶えるために必ずドイツという舞台でプロになります!


辛島侑烈(からしまゆきよし)という名前を知っていただき、応援していただければ幸いです。


ぜひご支援のほどよろしくお願いします。



<All-in方式の場合>

本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。


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  • 試練再び

    2020/10/22 21:39

    こちらの活動報告は支援者限定の公開です。

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