2020/05/17 01:48

SHINKA代表取締役のRyoです。
プロジェクト終了まで残り24時間となりました。
現時点で300万円を越すご支援を頂き心より感謝とお礼を申し上げます。
本当にありがとうございます。


本日は少し長文になってしまいますが、私がどうしてSHINKAを築いてくることが出来たか。というお話をさせていただきたいと思います。自分のストーリーを書き始めると色々とありすぎて終わらなくなってしまうので、今回はサラッと読んでいただければ幸いです。

『初めてのオシャレ美容室』
高校2年生の時です。友人の付き添いで初めてオシャレ美容室に行きました。その時は付き添いで行っただけでカットしなかったのですが、その友人をカットしている美容師さん(オーナーさん)がとってもとってもカッコよく目に移りました。
「美容師さんって凄くかっこいいですね」と、そのオーナーさんに話しかけると、もし良かったらヘアショーのビデオ見てみる?とお店の待合に置いてあったテレビデオ(古い!)でヘアショーのビデオを見せてくださいました。それにしても格好良さが衝撃的でしたね。そのサロンのオーナーでトップに君臨していたのがMINXというヘアサロンの高橋マサトモさんという方でした。いやー本当にその映像を見て自分も美容師になってカッコよくなりたい!ってそう思いました。

『自分の長所は行動力』
その衝撃から数日もしないうちに、「将来美容師になってやる!」そして「まずは美容師とはどういう仕事なのか現場で働いてみたい!」と想い行動に起こします。家に置いてあったタウンページで美容室を調べ「あ行」から順番に電話をして「高校生なのですが、お金はいらないのでお仕事させていただけませんか?」と働ける場所を探しました。何十件も電話してやっと「無給でいいならおいで」と言ってくれるサロンがみつかり17歳にして美容師の道に足を踏み入れました。(高校はバイト禁止でしたが(^◇^;))その後、半年後くらいから時給300円を頂けるようになり、東京へ就職するまでお世話になったので、自分には掛け替えのない貴重な経験になりました。

『倍率100倍!!』
1998年、高校生のなりたい職業NO1となっていた美容師。
「将来絶対に有名になるんだ!」と心に誓っていた自分は、青山にあるカリスマ美容師界の巨匠が経営しているサロンを志願しました。新卒の応募人数は約500人で合格をもらえるのは5人。厳しい審査の結果、まぐれで!?合格をいただきました!(合格者:男性1名女性4名)

『クオリティよりもオリジナリティ』
奇跡的に合格をいただけた自分は、(高校生から働いていた自分はこの時すでに美容師歴3年くらいあり、東京でも技術が通用すると勘違いしていました^^;)そのクオリティの高さに驚かされ、当たり前ですが1から技術をやり直しです。朝練、夜練、朝練、夜練、、、、。
少し仕事のペースも掴めてきたある日、高校生の時から将来は経営者になりたいと志していた自分は、ある時ふと考えが湧きます。「このまま技術を追求して行っても、おそらく先輩のカリスマ美容師以上にはなれないのでは?」「将来サロンを経営しようとした時に、他のお店と差別化をしないと生き残っていけない?」と。やっぱりオリジナリティを持った経営をしないとダメだ。ここで将来海外に出て日本の美容師と差をつけよう。と閃いた最初の瞬間でした。


ここから初めての海外でハワイに渡り、そこで奇跡的に出会った方とサロンをやることになります。しかしながら、そのサロンのオープン直前になってパートナーが失踪!?
嘘のような本当のお話が沢山あります。少し前になりますが、テリー伊藤さんとの対談でその物語を一部お話ししています。



『SHINKAは1年で閉店してたかも!?』
10年一区切りという言葉があるくらい、物事は始めることよりも続けることの方が何十倍も大変だと思います。2008年にシドニーで1店舗目をオープンしたSHINKAはスタッフ3名からのスタートでした。自分の資金で開業した初めてのサロンということもあり、緊迫感は毎日MAXでサロンの空気は常にピリピリしていました。フロアでも大声で注意したり自分の経営方針についてこられないスタッフは必要ないと、、、。プレーヤーとしてお客様からはそれなりに支持をいただいていましたが、スタッフからは全く良い経営者ではなかったと思います。売上を持っている美容師が凄いんだと勘違いしてました。そのため、新しくスタッフが入社してくれてもすぐに辞めたり、募集をすれば変わりはいくらでもいるから自分に従ってくれるスタッフを見つければいいや。そんなワンマンな考えでしたので、あのまま続けていたらあっという間に崩壊していたと思います。

『救世主現る!』
採用と退社を繰り返すことでスタッフが安定しないことから売上も伸びない経営を続けていた時に、そのワンマン経営のやり方に面と向かって想いを伝えてくれた2人のスタッフがいます。
現在のSHINKAシドニーの社長を務める「Hiro」と東京3店舗の統括マネージャーの「Kaori」です。(トップ写真の二人です)彼らは「今のBOSSのやり方で経営を長く続けることは難しいと思います。それよりも一人一人のスタッフが長く働きやすい環境を整えてしっかりとした会社組織を一緒に作っていきたいです。」入社して1年くらいでそんな凄い事を言ってくれました。今思えば(笑)本当に有難いですし、そんな風に言ってもらえるのは幸せですよね。
この2人の存在はSHINKAのターニングポイントと言っても過言ではないです。SHINKAの活性化はここから始まりました。

*10年前の写真です(^^;;

SHINKAのインタビュー記事です。

10年ブランディングストーリー 前編

10年ブランディングストーリー 後編


『夢は叶う!』
話が少し前後してしまいましたが、シドニー店をオープンしてから4年目の2012年、日本へ逆輸入として念願のSHINKA六本木店をオープン。当初はお客様ゼロからのスタートで大使館への営業や足を使ってのチラシ配りなど正直大変でしたが、24歳でシドニーに渡った時から絶対に2カ国でサロン経営をしてやる!という構想が現実となりやっとスタート地点に立てた喜びで一杯でした。そして、10年ぶりに日本の美容業界に戻ってきて、スタッフ全員が英語対応できるグローバルカンパニーとして沢山のインタビューをいただきました。(今はシドニー店から帰国したスタッフや海外経験者が英語を使って働けるサロンとして活躍してくれています。)

そして、冒頭でお話ししたように美容師を志したキッカケとなった憧れの美容師であるMINX高橋マサトモ氏との対談が現実的なものになり、美容業界に入って20年目で初めてお会いすることができました。イメージしていた通りのオーラとカリスマ性を持ち合わせたとても優しい方でした。夢は叶えるためにあるんだと本当に思います。

*美容業界誌IZANAGIより

『最後に』
不動産の神様のお話や、APAホテルの女社長を路上でお見かけして口説いたお話など、まだまだ語り尽くせないことが山ほどあります。39歳で美容師を引退して、今は経営をしっかりとやらせてもらっています。恐らく、他の美容師さんの考え方や生き方とは少し違うかもしれません。
でも、そんな個性的な自分についてきてくれているスタッフが今も沢山います。
正直このコロナウィルスの影響で沢山の大切なものを失ってしまいました。
今重要なのは何をやるべきか、今後何をしていくべきかだと思います。

私たちの仕事には必ずお客様が必要です。
一人でも多くの方を綺麗にして、心地よくリラックスしていただける空間をこれからも追求していきます。そして、サロンのコンセプトである外国人のお客様も日本にあるグローバルサロンとしてしっかりとやってきます。グローバルイベントである2021年開催予定のオリンピックでもお手伝いしたいと思っていますのでしっかりと動きます。

しかしながら、まずは皆様の体調と世界的経済の回復を心より願っております。
今回初めてのクラウドファンディングで皆様からの暖かいご支援・ご声援でとっても救われました。全ての方への感謝を忘れずにこれからも精進していきます。
本当にありがとうございました。


代表取締役 Ryo
Instagram : shinka_ryo

*美容業界誌IZANAGIより