軒猿体験プログラムに向けてのクラウドファンディングですが、ようやく三人目、四人目の支援者が現れました。ありがとうございます。
また、2人ほど支援の約束も頂いております。ありがとうございます。
そのほか、クラウドファンディングを達成した先輩たちからもアドバイスを頂いております。
この場を借りて感謝申し上げます。
さて、この忍者体験プログラムについて聞かれる「軒猿」について紹介します。
軒猿は上杉家に仕えた忍者集団でした。でも、なぜ伊賀や甲賀に比べて無名なのか。
それは「優秀だから」としかいえません。
本来、影の存在である忍者は、権力者でも記録には残しません。記録に残せない活動を行わせるために忍者がいるのです。ですから、基本的に忍者は記録には残らないです。名前が時折、断片的に出る程度で実態はなかなかわからないのです。
逆に伊賀や甲賀はなぜ残ったのか。それは、徳川に仕えたからでしょう。太平の世になれば、忍者も戦国時代ほどには必要がなくなります。そして、太平の世になったら、先祖の活躍を残したいものです。そこで、徐々に口伝の話が書類に書かれて伝えられていくということが多くなります。
ただ、軒猿に活躍を推察させる出来事はあります。
謙信公と信玄公が激突した川中島の戦いです。
この戦いでは、武田軍別動隊が上杉軍を急襲し、八幡原に出てきた上杉軍を武田軍本隊が迎え撃つ「きつつき戦法」が取られました。そこを察した謙信公が、夜陰に乗じて八幡原に下り、あと一歩で信玄公を討ち取るかという所まで追い詰めました。
しかし、信玄公はなぜ上杉軍が動いたのを知らなかったのか。当然、武田軍も忍びを放って上杉軍を監視していたはずです。夜中に上杉軍が動くことは察知できたはずで、信玄公に伝えることも可能だったはずです。
ここで導き出される結論は、軒猿が武田の忍者を「始末」したということが推測できます。
こうした歴史を陰で支え、動かした軒猿をもっと知ってほしいと思い、今回の体験プロジェクトを企画したわけです。