400名以上の方々からご支援頂き本当にありがとうございます。こんなに多くの方からのご支援が集まるとは思ってもいなかったので、ただただ驚くばかり。感謝の気持ちでいっぱいです。梅雨入りし各地の大雨ニュースを見ると今年すでにもびっくり映像が沢山です。みなさまの地域は大丈夫でしょうか?滋賀県も激しい雨が降ったりやんだりして不安定な天気です。サンタナ学園は生徒が増えるごとに増やした4つの建物を使ってます。2つは普通の住宅。2つはプレハブ。この4つは繋がっていないので、屋根のない外を通らないと行き来ができません。大雨が降ると、その雨の中、子供が移動したり、給食を運んだり、トイレに行ったりするので心配になります。また、プレハブなので、雨音が響きます。小雨は楽しいのですが、大雨の激しく屋根に打ち付ける音に授業は中断。先生は困り顔ですが、子供達は楽しいそう。外で遊べる夏になるのが待ち遠しいサンタナ学園です。NPO法人コレジオ・サンタナ 柳田
支援 の付いた活動報告
昨日は、マスク800枚と缶詰等食料品の支援物資と滋賀県三日月知事の手紙を持って、由布副知事がサンタナ学園に来て下さいました。学園内も見て頂き、サンタナ学園の現状をお伝えしました。「これからも何ができるか考えていきたいと思います」と力強い言葉を頂きました!サンタナ学園のある愛荘町の有村町長も来てくださり嬉しい言葉を頂きました。副知事訪問の様子はこちら↓で見ていただけます。NHK 滋賀 NEWS WEB「コロナ影響 ブラジル人学校支援」親の仕事に左右されず、子供たちみんなに「サンタナにおいで!!」と言ってあげられるよう、県や市町も協力してもらい皆んなでサンタナ学園の環境を整えていきます。皆様のご支援心より感謝しております。ご家族やお友達と、サンタナ学園のことをお話ししてもらえたら嬉しいです。NPO法人コレジオ・サンタナ 柳田
兄弟姉妹で学園に通ってる子が数名います。小学生の弟が来ているのに、高校生のお兄ちゃんの姿がないのでケンコ先生に聞いてみたら、「月謝が払えないと親から連絡があった。大きい子は分かってるから家にいます。でも、小さい子は何で行っちゃいけないのか分からない。家の前にスクールバスが来て、友達は乗る。自分が乗れないのが分からない。バスに乗ってくる子を「ダメ」とは言えない。」「子供は友達と遊びたい、勉強したい。来ていいよと言いたいけど、(家計)苦しくても、月謝を払ってくれてる人もいる。不公平になる。困ってます。」現在把握している限り、7名の保護者が職を失い、多くの方が勤務日数が減り、残業がなくなり、いつ仕事がなくなるか不安の中で毎日を過ごしています。クラウドファンディングが目標達成したお陰様で、新聞やTVの取材も入るようになりました。現状を知ってもらうことがとても大切です。ひとえに皆様のご支援のおかげです。心より感謝しております。ありがとうございます。引き続きご支援宜しくお願い致します。ご家族やお友達にサンタナ学園のことをお話し頂けると嬉しいです。*写真は、お昼休みの日課となった、大きい子がオモチャをアルコール消毒する様子です。NPO法人コレジオ・サンタナ 柳田
クラウドファンディングは現在77%達成186名約190万円が集まっています。ご支援心より感謝しています。ありがとうございます。クラウドファンディングの本文に、いつもサポート頂いている岸先生に応援メッセージを頂きました。最初に届いたメッセージはA4用紙2枚分。先生のサンタナ学園を思う気持ちに溢れてる文面で全文UPしたかったのですが、紙面の関係上、先生に「短くして下さい。」とお願いした次第です。サンタナ学園の日頃の様子、日本で暮らす外国人家庭の子供達の様子も分かるのでこちらに全文をUPさせて頂きます。========================コレジオ・サンタナのこと岸政彦(社会学者・立命館大学教授) 私がふとしたことでコレジオ・サンタナに出会ったのは、2005年ごろのことです。そのあとも定期的に学生や友人の研究者とともに訪れていましたが、当時所属していた龍谷大学で予算をつけてもらい、2009年ごろから週にいちど、学生たちとともに日本語を教えるボランティアを始めました。4年間ほど続けたと思います。その後、大学の仕事や本の出版などで多忙を極めるようになってしまい、ボランティアは休止していますが、いまでもおりにふれ支援団体に寄付をしています。 私がサンタナに直接関わったのは短い期間にすぎませんが、それでもたくさんの子どもたちに出会いました。教室の子どもたちはいつも笑顔で、賑やかで、おしゃべりが絶えません。みんな片耳でiPodを聞いていたり、ジュースを飲みながらだったり、とつぜん立ち上がって歌い出したり。自由です。一緒に行った学生たちもみんな仲良くなって、言葉もほとんど通じないのに、すぐに友だちになっていました。 何人か、忘れられない子がいます。 Sくんはとてもやんちゃな男の子で、当時小学校の3年生ぐらいでしたが、反抗的で、絶対に私の言うことをきかない、困った子でした。プリントもやらないし、書き取りもしないし、授業も聞いてません。 でも、とてもいいヤツで、授業が終わって遊びの時間になると率先して(いつも授業のあとは、学生たちと一緒に帰るまでの少しのあいだ、遊び時間にしていました)、みんなでサッカーやバレーをしていました。 ある日、いつものようにプリントもまじめにやらずに落書きをしていましたが、ふと私の顔を見て、ポルトガル語で「似てる、似てる」と言い出しました。 誰に似てるのと聞くと、「お父さん」と答えました。 おたがいカタコトの言葉でなんとか会話をして、いまはお母さんと二人で滋賀に住んでいる、ということがわかりました。数ヶ月前、お父さんは仕事の都合で、ひとりでブラジルに帰ってしまったのです。 90年に入管法が改正されてから、何十万人という日系南米人の労働者が日本にやってきました。そして、そのなかの少なくない人びとが、そのまま日本に根を下ろし、ここで子どもを生み育て、家族で暮らしています。もう30年も日本に住み続けている人びともたくさんいます。その多くが低賃金の単純労働者で、職場も生活も不安定です。 Sくんは小さいときに親に連れられて日本に来ました。母国の記憶はありません。ほかにも、日本で生まれ育ったブラジル人の子どもたちもたくさんいました。かれらを受け入れてくれる日本の公立の小学校もあることはありますが、そこでかならず日本語をイチから教えてくれるわけでもありませんし、まして母語であるポルトガル語のまともな教育もありません。こうして、「セミリンガル」あるいは「ダブルリミテッド」という状態になる子どもたちもあらわれています。つまり、日本語ができないのはもちろんのこと、母語のポルトガル語の正式な教育すら受けることができず、「どの言語も」できないまま大きくなってしまうのです。これはとても、とても恐ろしいことです。 こうした状況をなんとかしようと、日本中にたくさんのブラジル人学校が生まれました。そこではポルトガル語と日本語の両方を子どもたちに教えています。でも、政府からの補助金はほとんどありません。みんな自腹です。サンタナの子どもたちも、毎日劣悪な設備のなかで学校生活を送っています。私が通っていたころも教室はみなコンテナで、エアコンもありませんでした。真夏になると室内は40度を超えて、子どもたちは熱中症寸前になっていました。ボランティアのときは毎回、氷とジュースを配っていました。 そして、そういう学校を、コロナが襲ったのです。滋賀の工場で働く親たちも、多くが雇い止めになっています。補助金なしで運営していたサンタナも、いま存続の危機に立たされています。 どうかお願いです。 この子どもたちの笑顔を守るために、みなさんのお力を……!立命館大学大学院先端総合学術研究科教授岸政彦ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーCampfire『子供たちを守りたい!』滋賀県のブラジル人学校の存続のための支援プロジェクトhttps://camp-fire.jp/projects/view/269415