2018/02/06 13:24
昭和20年(1945年)7月14日午後2時36分、米機動部隊の攻撃を受け沈没した豊国丸。その沈没した位置は、大間崎から北北西4キロ沖だと推測されています。(※諸説あります)
豊国丸は、この日の午前中に受けた攻撃で、通信室を失い、無線連絡ができなくなっており、それ以降の沈没に至るまでの経緯を裏付ける正確な資料が残されていません。目撃情報や生存者の証言等から、推測される沈没位置が地図上で示した地点です。大間から沈没する豊国丸を目撃した人も数名いたのだとか…
潮の流れが速く、艦を引き揚げることも叶わず、豊国丸は今なお、戦没者とともに大間沖の海底に眠っています。
本州最北の地を訪れ、弁天島やその向こうの北海道の地をご覧になることがございましたら、「あのあたりかな?」と揺れる波間の心標(こころしるべ)に思いを寄せていただきたいものです。
※このレポートは「豊国丸遺族会」発行の「豊国丸遺族会と揺れ動く墓標」の内容をまとめ、ご紹介させていただきました。
豊国丸は、この日の午前中に受けた攻撃で、通信室を失い、無線連絡ができなくなっており、それ以降の沈没に至るまでの経緯を裏付ける正確な資料が残されていません。目撃情報や生存者の証言等から、推測される沈没位置が地図上で示した地点です。大間から沈没する豊国丸を目撃した人も数名いたのだとか…
潮の流れが速く、艦を引き揚げることも叶わず、豊国丸は今なお、戦没者とともに大間沖の海底に眠っています。
本州最北の地を訪れ、弁天島やその向こうの北海道の地をご覧になることがございましたら、「あのあたりかな?」と揺れる波間の心標(こころしるべ)に思いを寄せていただきたいものです。
※このレポートは「豊国丸遺族会」発行の「豊国丸遺族会と揺れ動く墓標」の内容をまとめ、ご紹介させていただきました。





