
「神宿る島」沖ノ島
沖ノ島とは
沖ノ島は古来、「不言様(おいわずさま)」として、人々にその存在を知らせることなく守られてきました。沖ノ島は、島に宿る神が信仰の対象であり、人の立ち入りを禁じるなどの厳格な禁忌が今日まで受け継がれ、島内には、四世紀から九世紀にかけての古代祭祀の変遷を伝える貴重な遺跡があります。
沖ノ島全体と三つの岩礁からなる宗像大社沖津宮(むなかたたいしゃおきつみや)は、宗像大社の三つの宮の一つで、田心姫神(たごりひめのかみ)を祀っています。国史跡「宗像神社境内」の一部であり、天然記念物「沖の島原始林」に指定されています。また、特別鳥獣保護区および自然環境保全地域の特別地区にも指定され、保護されています。
「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群
古代東アジアにおける海を越えた交流−その舞台となった海域の「神宿る島」と人々との関わりが、沖ノ島を 信仰の対象とする文化的伝統を育みました。千数百年間、島では祭祀遺跡が膨大な数の奉献品とともに手つかずで残されてきました。 500年間に及ぶ対外交流と自然崇拝に基づく古代祭祀の遷り変わりを伝えています。
人々の間にはやがて三柱の女神に対する信仰が生まれ、島を守ってきた禁忌を保ちながら 海の安全を願う古代からの信仰が現代に継承されています。「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群は、こうした信仰の文化的伝統の形成と継承の過程を物語る世界でも例のない遺産群です。
「宗像三女神」伝説
宗像の地は、中国大陸や朝鮮半島に最も近く、古くから外国との貿易や進んだ文化を受け入れる窓口として、重要な位置にありました。8世紀前半に成立した日本最古の歴史書である『古事記』『日本書紀』には、宗像氏が沖津宮・中津宮・辺津宮で 宗像三女神を祀っていると記されており、海によって結ばれる三宮で宗像三女神を祀る宗像大社が成立しています。
現代まで受け継がれる信仰の場 −沖津宮− 長女”田心姫神”

長女の”田心姫神(たごりひめのかみ)”は、「海の正倉院」とも呼ばれ、今回世界遺産登録の中心となる玄海灘の孤島『沖ノ島・沖津宮』に祀られています。沖ノ島では、17世紀半ばまでに、古代祭祀の場であった巨岩群の間に沖津宮の社殿が築かれます。現在、宗像大社の神職1人が10日交代で島に常駐し、毎朝社殿で神事を行なっています。
大島における信仰の場 −中津宮− 次女”湍津姫神”

次女の”湍津姫神(たぎつひめのかみ)”は、七夕伝説発祥の地と云われ、境内に流れる「天の川」をはさんで牽牛神社・織姫神社が祀られる『大島・中津宮』に祀られています。古代祭祀の終了後、御嶽山祭祀遺跡の場所に御嶽神社、御嶽山の麓に中津宮社殿が建てられました。麓の社殿と御嶽山祭祀遺跡は御嶽山を登る参道で結ばれ、一体のものとして中津宮を形成しています。
九州本土における信仰の場 −辺津宮− 末女”市杵島姫神”

末女の”市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)”は、日本三大弁財天「主祀神」として知られ、宗像大社境内の『辺津宮』に祀られています。辺津宮は、古代に入海だった釣川沿いに位置し、海や川との関わりの深い三女神をまつる本土の信仰の場として、宗像大社の神事の中心となっていきました。12世紀までには、下高宮祭祀遺跡の麓に社殿が建てられており、現在の本殿・拝殿は16世紀末の再建で国の重要文化財に指定されています。下高宮祭祀遺跡の一部は高宮祭場として整備され、現在も神事が行われています。





