岡山県北部、津山を中心とした美作国(作州地方)では、旧暦の3月3日に天神さま「菅原道真公」を祀る、「男の子のひな祭り」の風習がありました。この地は「菅家」と縁のある地域なです(^^)
写真は古くより伝わる「菅原道真公」のひな飾りです。 雛まつり以外でも飾られます。
津山では「ねり天神」作州地方全体では「泥天神」と呼ばれているものです(県指定伝統的工芸品・通商産業大臣賞・全国伝統工芸品振興協会指定。 昭和天皇をはじめ、天皇・皇族への献上などなど、古くなったり壊れた人形は、自然に帰るようにと、粘土と和紙を混ぜて固めたもので、焼物でないのが特徴。先人から伝わるエコな風習です。
昨年 津山城下町雛めぐり おかみさんの雛祭会場に展示された 泥天神
美作国(作州地方)は、菅原道真公(官家)とのご縁で、学問の神様である、天神さまを厚く崇拝しています。
市内「八出天満宮(やいでてんまんぐう)」の御祭神は天神さま。「天安元年(857年)美作の国司として赴任したのが、道真公の父「菅原是善」でした。
父が病と聞き、若き日の道真公(吉祥丸)が、京から見舞いに来られました。
京に戻られるとき、人々は別れを惜しみ、暫くこの地に留まるよう懇願、考えた道真公は、この地に八日間留まり木工職人に自分の木像を彫ってもらい、「汝この像を見ること吾を見る如し」と! 人々は徳高い道真公を慕って祠を建て、この木像をお祀りしました。
この間、八日間留まって京に戻られたので、この地を八出(やいで)と言うようになったと伝わります(※八出天満宮のいわれ)。
後の平安末期にも、菅原道真の子孫がこの地に移り住み、美作菅党の祖となり、菅家七流(かんけしちりゅう)と言われる武士団を形成。この地で子孫も増え、かなりの勢力をもっていたと伝わっています。
この菅原道真公の人形は、男児誕生の初節句、進学、就職祈願等の贈り物として重宝されてました。美男で学問、歌や書に優れていた道真公、そのように成長して欲しいという親の願い、人々の願いが込められているんでしょうネ!
東風吹かば~飛梅伝説は、京から美作国の上空を旋回し、太宰府に飛んで行ったのです! と、新説を称してみる!!
お店のショーウィンドーに飾られている 泥天神