2019/09/11 13:18

  早いもので、あっという間に422人マラソンリレーも終わり、2週間以上が経ってしまった。楽しみにしていたお疲れさん会も終わり、何とも、楽しかった祭りが一気に終わってしまった寂しさをよそに、時間の経過と日常の業務は容赦なく押し寄せてくるのだ。
ようやく、筋肉痛もなくなり、ふとした拍子に今までの事を思い出したくなったので、書く。

  このマラソンが発足したのは、去年の冬。
会長が、忘年会で、「こんなんやろうと思う」みたいな感じで発表していたのを聞いて、「よっしゃ!走ろ!」ランナーとしての参加を直ぐに決めてしまった。年が明けて、2月くらいだったか、「実行委員募集」というお知らせが来る。何をしたらいいのやらわからないまま、単なる興味だけで応募する。しかし、この時の頭の中はあくまで私はランナーなのである。まあそんなことはどうでもよい。いざとなればどうとでもなるのだ。多分。。。

そして、栄えある第一回実行委員会に参加するのだが、これがなんと!
話には聞いたことはあるのだか、ぢぶんが一切触れたことのない「クラウドファンディング〜!(ドラえもん風で)」

どうしよう!どうしよう!どうしよう!言よることが分からん。

クラウドファンディングで支援金を募ってマラソンをやる。それは本当に「クラウド」だけに雲の上の話。自分にとってはまあそんな感じのスタートだった。そんな感じではあったが、何度も会に出て関わらせて頂くことで、何となく色々自分のものになってきたように思う。
そんな中、初めてレグザムフィールドを走る時が来た!

 話はそれるが、去年の春、諸事情によりダイエットを始め、その一環で毎日5〜7キロを走りこんできた自分にとって走る事など得意中の得意だったはずなのだがが、この100メートルを全力で走るのは使う筋肉が違う!2回ほど走っただけで足はフラフラ、まるで生まれたての仔馬。下手でもすれば、こむら返りである。どうやら、ランナーなのは頭の中だけだったようだ。完膚なきまでにやられた。でもこれではいけないので、時間を見つけては全力で走る練習もした。

そうやって時間が経っていくうちに、関わっていた方全員が、それぞれできることを精一杯やってくださっているのが、会に出るたびによくわかった。全体像を作り、常に修正しながら皆に分かるようにいつもまとめてくださった方々、協会でクラウドファンディングに加えてその他の処理まで一切をこなして来た事務局の方、私にエクセルによるデータ処理の足がかりをくださったり、ランナーもたくさん集めてくださった方々、忙しい中宣伝や広報活動で広めてくださった方々、支援金集めに奔走してくださった方々、当日の受付を段取ってくださった方々、当日のランナーの管理やタイム計測の段取りをしてくださった方々、駐車場の確保や駐車場の段取りをしてくださった方々、実際ご提供いただいた企業様、当日振る舞うおにぎりやバナナ他仕入れや、氷冷の段取りをしてくださった方々、宣伝には欠かせないプロモーションビデオの作成など、プロのお仕事をしてくださった方、自ら街頭に立ち宣伝してくださった方々、いろんなシュミレーションをして、貴重なご意見を下さった方々、何かできる事はないかと常にマラソンリレーに歩み寄ってくださった方々、実際支援金を出してくださった方々、ランナーとして参加してくださった方々、今それぞれの人のお顔が浮かぶのである。そして、土の方一人欠けても良いものにはならない。

そんな事を日増しに感じながらも、あっという間に8月は半ばを迎えた。ちなみに、私はと言うと、もう、数字や行が少し違っているだけで違和感を感じるくらいになっていた。笑
まるで、参加者一人一人の人物像が自分の中にできてしまったかと思うくらいである。

いよいよ迎えた大会前日。
みなさん多分シュミレーションしすぎて、もはや趣味レーションになっていたと思う。
もうやり残したことはないか。抜けはないか。

刻一刻と当日に近づくにつれ、
あとは精一杯やるだけと思い始めた。

とはいえ、実際当日には各パートごとにいろいろな予期せぬことも起こったのだとは思うが、各人その時できること精一杯考えてを臨機応変に対応してくださったので、
何とか無事にゴールを迎えることができた野だと思う。

各ランナーにとってのスタートやゴールははその人の数だけある。
しかし、こうやって、全員で共通のゴールを迎えることができ、しかも素晴らしいタイムを出してしまったとなれば、感無量である。

 スタートを切ってからの時間の流れは恐ろしいほど早かった。あっという間に楽しい祭りが終わってしまったという寂しい気持ちとともに、一回しか走ってないのに結構きている筋肉痛だけを頼りに、昨日の今頃はブースの設営していたなあ、8時間前だと家を出ていたなあとか、4時間前は走っていたなあなどと余韻にひたっていたのだ。そして、容赦なく押し寄せてくる日常が寂しさをどこかに持って行ってくれながら、もう走る必要もなくなった足をただひたすら時間だけが筋肉痛を和らげてくれ、そして、思い出す回数が減ってきて、何か月か何年かわからないが、次に思い出すころには本当の意味で熟成された思い出となるのだろう。

長くなりましたが、この度は一実行委員として関われたことをとても嬉しく思うとともに、仲間に加えてくださったことを心より感謝いたします。

By ある実行委員より