今年の1月、彼女は米子空港から日本海側を通って松江に向かった。
惣津の目の前に広がる日本海とエメラルドグリーンの湾。そして片江の集落にヨーロッパのある風景と重ねた。
そしてかたゑ庵。
体の体調を考え外に出るのは数分。
「かならず来ます。またここへ」
何が何でも、そんな熱い思いを感じた。
昨年の11月彼女は医師からステージ4、余命告知を受けた。
手術を受ける直前、松江に来たいと私の妹に連絡が入った。
そして予定にはなかったのだが、私は二人を乗せた車で少し寄り道をしたのだ。
東京に帰った彼女から段ボール4個、実家に届いた。
その中には、手作りのハギレの人形がぎっしり入っていた。
それは彼女の母親が生前コツコツ作ってきた遺品とのこと。
それをかたゑ庵に寄贈してくださったのだ。
かたゑ庵が地域の方々と一体となり、外国人を受け入れる計画に共感していただいたのだ。
50才で双子の男子を授かり、今5年生の子どもたち。
今は死ぬわけにはいかないと、何が何でもこの子たちのために
もうしばらく生き、生かさせてくださいという、彼女の医者への叫び。
そして今の目標は、双子の子どもを連れてこの片江に来ること。
先日この話を、かたゑ庵に集まっていただいた片江の方々にお話をしました。
そして、一人ひとりその手作りの人形を手にもって掲げ、「どうか元気になって片江に来てほしい」そのメッセージを込めた集合写真が4月28日のレポートです。
そして今回は、かたゑ庵応援団のmiwakoさんmanaさんとプロのカメラマン赤山シュウさんもこの思いに共感していただきました。この写真を見ていただきながら、今必死に病気と闘っている彼女に思いをはせていただけたらと思います。
UG