

今、赤いボールが横一列に5個並んでいます。これを規則的に3回繰り返してみますと、例えば

こうなります。同じことを青いボールでやってみると、

こうなります。青いボールも赤いボールも秩序よく並んでいます。ですからこうすると

きれいに水玉模様が再現されるわけです。秩序よく、きれいに並んでいる赤、青の「横一列に並んだ5個のボール」たち。ですが、同じことを100万回・・・は画面上では繰り返せませんが、たくさん繰り返すと、

こんな感じになります。まだ何とかチカチカせずに見ていられますが、秩序のもとに成り立っているこの絵柄、秩序が保たれているので、例えば「14回目に並べた青いボール5個の1列はどれですか?」と聞かれても順を追っていけば求められますが、ちょっと根気が必要です。正直なところ、整理されていない、グチャグチャ状態です。秩序は守られていますが、ある量を超えた秩序は逆に無秩序と化しています。コンピュータならすぐに見つけ出せますね。それだけ秩序のキャパが大きいのでしょう。人間にとっての限界は意外と少なさそうです。
このようにみると「秩序」と「無秩序」は相対する意、というよりは程度により決まってくるものではないかと思います。社会生活ではもちろん、乱れた秩序は嫌悪されますし、人をはかられてしまいます。間違いなく日本人の素質ですし、必要なものです。しかし、秩序(法律やルール、社会的な価値観)をやたらと増やしても、逆に無秩序になってしまい整理がつかず疲れてしまいます。よく、ルールを作るのが好きな人が項目を増やしすぎて混乱したり内容を分類しきれなくなる現象です。なんでも「ほどほど」が大事なんだなと思います。
冒頭に、自然界は無秩序的だとお話ししました。同じ草なのに生え方や大きさの全く同じものはなく、すべてがオンリー・ワンです。ですから工業的な規格のようには扱えません(もっとも工業製品も制度は上げられますが全く同じものは作れませんが)。
しかし、地球の営みはよくできていて、ある一定の条件を満たせば種は発芽し、花を咲かせ、実ります。草の1つ1つは同じ法則で生きていても、その場の条件にさらに忠実に従っているように見えます。風通しの良しあし、1日の積算日照時間などは1cmとなりではまるっきり違います。それぞれの条件に忠実に、自身の生き方に忠実に生きた結果が私たちの見ている「自然」、無秩序的な世界なのかもしれません。





