2016/01/06 14:19

2015年の初め、自分がこれまでに経験した痴漢被害についてブログに記事を書きました。思いのほかその記事への反響が大きかったことから、痴漢や性被害について調べるようになりました。私の本業はライターなので、痴漢抑止バッジの記者会見の際にもリリースをいただき、取材をしました。

痴漢抑止バッジを取材して感じたのは、「行動する人の元に解決策がある」ということです。議論も大切ですが、議論だけでは人を動かす力が弱い。行動して、やってみせた事実や成果こそが、人を動かすと感じています。

殿岡万里さんとたか子さんがつくった痴漢抑止バッジは、とても小さな一歩に見えます。「本当にこれで痴漢が防げるの?」と思う人もいるのでしょう。でも、たか子さんが実際につけて、効果を実証しています。痴漢の実態や加害者心理を調べてきた人ほど、なぜこのバッジが効果的かわかるのではないでしょうか。

性犯罪加害者には、「他責傾向が強い」ことがこれまで指摘されています。「痴漢をしたのは相手が誘ってきたから」「逃げようとしなかったからOKだと思った」「声をあげなかったから喜んでいると思った」という思考です。声をあげられない相手を、理性的に選んでいる場合もあります。だからこそ、「私は痴漢されることを望んでいないし、被害に遭ったら声を上げる」と先に意思表示をする「抑止バッジ」が有効です。

冒頭にも書いた通り、10代~20代前半の頃、痴漢に遭うことがありました。高校時代、電車の中で執拗にスカートの中、そして下着の中にまで手を入れてきた男性がいました。私はスカートを抑え、できるだけ立ち位置を変えることで、抵抗の意志を示したつもりでした。でもその男性は、私が次の駅で降りた後に一緒に降りて、笑いながら私の手を引っ張りました。「ちょっと来て」と言われたと記憶しています。恐怖が怒りに変わった瞬間でした。私は抵抗していたのに、その男性は私が痴漢されることを「受け入れている」と誤解していたからです。それは渋谷駅で、周囲にはもちろんたくさんの人がいました。私がスカートの中に手を入れられているのを見ていた人もいると思います。でも、痴漢に遭っているときも、男性の手を振りほどこうとしているときも、私を助けてくれた人はいませんでした。

それよりも前、小学校高学年の頃。友達と2人で乗った電車の中で、履いていたキュロットをめくられて、直にお尻を触られたことがあります。しばらくお尻を触られた後、傘のような固いものが同じ場所にあてられました。駅員にも警察にも親にも言わず、家に帰ってから一生懸命シャワーで体を洗い、「好きな人と結婚するまで、私は自分の体を誰にも触られたくない。絶対にそんなことをさせないでください」と何度も神様か誰かに祈りました。

こんな屈辱を、どんな人にも、どんな子どもにも感じさせてはいけない。

たか子さんの行動は、たか子さんにしかできなかったものです。誰か大人が勝手にバッジを作って、「痴漢に遭うならこれをつけなさい」と強制することはできないタイプのバッジです。つけることによって、心ない中傷に遭う可能性があるからです。たか子さんはそのリスクを負ってでも、バッジをつけることを選んだ、ということ。私は、自分が被害に遭っていたのに、その被害のひどさを知っていたのに、当時もそれ以降も何もできませんでした。行動することで、より傷つくことになるのが怖かったからです。でも、たか子さんがこうして行動を起こした今、それを無視することはできません。

警察庁の発表によれば、電車内での強制わいせつの認知件数は304件。迷惑防止条例違反として検挙された痴漢行為は3,583件(2013年)。被害を届け出る人は1割ほどという統計もあり、実際の発生件数は何倍にもなると推定されます。「痴漢抑止バッジ」は、はじめの一歩です。ほかのタイプのバッジがあってもいいのではないか、ほかの対策方法もあるのではないかなど、興味関心を持った人それぞれが次の行動につなげればいいと思っています。私たちの代で、電車内痴漢という犯罪がこの世からなくなることを祈っています。 

小川たまか(プレスラボ)