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「島津の退き口」を現代の薩摩人たちで追体験!敵中突破ISHINウォーク!

薩摩ISHIN祭は、島津義弘公が残した最大の業績「島津の退き口」敵中突破を現代の薩摩人たちで追体験する企画「敵中突破ISHINウォーク」を中心に、島津義弘公と同じ道を歩む祭りにすることにしました。そして、この薩摩ISHIN祭の開催費の一部を、募らせて頂きたいと思います。

現在の支援総額

106,000

106%

目標金額は100,000円

支援者数

16

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2013/08/26に募集を開始し、 16人の支援により 106,000円の資金を集め、 2013/09/20に募集を終了しました

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「島津の退き口」を現代の薩摩人たちで追体験!敵中突破ISHINウォーク!

現在の支援総額

106,000

106%達成

終了

目標金額100,000

支援者数16

このプロジェクトは、2013/08/26に募集を開始し、 16人の支援により 106,000円の資金を集め、 2013/09/20に募集を終了しました

薩摩ISHIN祭は、島津義弘公が残した最大の業績「島津の退き口」敵中突破を現代の薩摩人たちで追体験する企画「敵中突破ISHINウォーク」を中心に、島津義弘公と同じ道を歩む祭りにすることにしました。そして、この薩摩ISHIN祭の開催費の一部を、募らせて頂きたいと思います。

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2013/09/14 01:40
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薩摩ISHIN祭のメイン会場は 鹿児島県姶良市にある 精矛(くわしほこ)神社です。 本日は少し神社のご紹介をします。 島津義弘公を祀る神社です。 島津義弘公は加治木で没したのですが、 ご遺体は加治木から鹿児島へ運ばれました。 (今の鹿児島市福昌寺墓地ですね。そうそう、その際の経路についての 文書もあるそうで、やはり白銀坂を運んで行ったそうです。) 明治後、加治木に御霊舎(みたまや)として旧加治木館内に作られた 神社が、島津義弘公没後300年にあたり、現在の地に造営されました。 この土地は元々島津義弘公が兄である島津義久公のために別邸を造るべく 確保した土地であり、その後、加治木島津家が所有、造営にあたり、寄付をしたとのこと。 元々は県社(けんしゃ)ということで、鹿児島県が管理していたが、 第2次世界大戦敗戦後は宮司不在の時期も長かったとのことです。 現在は、加治木島津家当主 島津義秀氏が宮司を勤めています。

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