2013/09/14 01:40

薩摩ISHIN祭のメイン会場は
鹿児島県姶良市にある
精矛(くわしほこ)神社です。
本日は少し神社のご紹介をします。
島津義弘公を祀る神社です。
島津義弘公は加治木で没したのですが、
ご遺体は加治木から鹿児島へ運ばれました。
(今の鹿児島市福昌寺墓地ですね。そうそう、その際の経路についての
文書もあるそうで、やはり白銀坂を運んで行ったそうです。)
明治後、加治木に御霊舎(みたまや)として旧加治木館内に作られた
神社が、島津義弘公没後300年にあたり、現在の地に造営されました。
この土地は元々島津義弘公が兄である島津義久公のために別邸を造るべく
確保した土地であり、その後、加治木島津家が所有、造営にあたり、寄付をしたとのこと。
元々は県社(けんしゃ)ということで、鹿児島県が管理していたが、
第2次世界大戦敗戦後は宮司不在の時期も長かったとのことです。
現在は、加治木島津家当主 島津義秀氏が宮司を勤めています。
本日は少し神社のご紹介をします。
島津義弘公を祀る神社です。
島津義弘公は加治木で没したのですが、
ご遺体は加治木から鹿児島へ運ばれました。
(今の鹿児島市福昌寺墓地ですね。そうそう、その際の経路についての
文書もあるそうで、やはり白銀坂を運んで行ったそうです。)
明治後、加治木に御霊舎(みたまや)として旧加治木館内に作られた
神社が、島津義弘公没後300年にあたり、現在の地に造営されました。
この土地は元々島津義弘公が兄である島津義久公のために別邸を造るべく
確保した土地であり、その後、加治木島津家が所有、造営にあたり、寄付をしたとのこと。
元々は県社(けんしゃ)ということで、鹿児島県が管理していたが、
第2次世界大戦敗戦後は宮司不在の時期も長かったとのことです。
現在は、加治木島津家当主 島津義秀氏が宮司を勤めています。



