コロナが落ち着いて、皆様が久野脇に訪れてくださるその日に備え、お薬師様が元々鎮座していた元薬師の、さらに前の薬師堂の跡地が竹藪になっていたので、先日皆で整備をしました。現在の薬師堂へ登る道の脇に、「元々薬師」はあります。ここに、元々薬師の石垣跡があるのですが、竹に侵食されてしまっていたので、くのわき未来の会の面々が集まり、竹藪を解消すべく作業しました。今のコロナのようにワクチンがない時代の疫病は、それこそ「祈り」が基本でした。ましてや久野脇のような田舎町は、医者の居る都市への往来は川下り、近代では鉄道。隣の地名の集落へは「たらい舟」、その隣の集落へは「徒歩」。街道の山越えが基本でしたので、なんと大井川鐵道が開通する前、林業で大井川流域が栄えた時代には、その工事をする作業者のために旅館が3件もあったとか。集落の祈りの中心にあったのは、いつも「おやくしさん」。武田信玄に焼き討ちに遭う前は、この場所に薬師堂があったということで、「元々薬師」と呼ばれています。メンバーは皆、専業兼業含め農家をやっているので、チェーンソーは当たり前に装備。そして、作業開始。切っても切っても、これでもかと言わんばかりの竹、竹、竹。切って、切って、切りまくります。切った竹を集めながら、皆協力して、竹を切り倒していきます。昼休憩を挟んで、皆が見つめる先は、綺麗になった元々薬師の姿が。石垣がくっきり目視できるようになりました(クロダも作業したのでスマホ画像ですいません)。ここからは、三津間集落の美しい茶畑が一望できますが、元々薬師のお堂跡に立つと、なんだか不思議な気分。。新茶の時期は、こんな感じで元々薬師の対面から朝陽がのぼるんですよ。どうか、平穏な日々が皆様に、日本に、世界に訪れますように。