2020/09/04 14:52

みなさまこんにちは。


胎内スキー場クラウドファンディングのプロジェクトオーナーである胎内市の商工観光課の浮須と申します。このプロジェクトも、残すところあと1か月を切りました。


現在、窓口での直接支援などと合わせて約1,200万円に達しました。たくさんのご支援をありがとうございます。とは言え、目標金額のまだ4割。さらなる支援のお願いのため、今回から全3回、胎内スキー場を愛する皆さんのスキー場に対する想いのインタビュー記事を掲載して参りたいと思います。


最初にご紹介するのは、胎内スキースクールの指導者である大坂知恵子(おおさか ちえこ)さんです。それではどうぞ。


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出会いは高校三年生

大坂さんがスキーと出会った昭和60年代の胎内スキー場

そもそもスキーを始めたのは高校三年生の時。始めたきかっけは、仲の良い友人達とスキーに訪ずれたことでした。出会ってすぐ、スキーの魅力にすっかりはまってしまい、スキーがもっと上手くなりたい!そうした思いから、スキー場に通うように。なかでも、豊富なコースバリエーションや美しい景色から、自然と胎内スキー場がホームゲレンデに。


そして、ホームゲレンデとなった胎内スキー場では、スキーだけでなく、現在でもともに指導者を務める多くの仲間たちにも出会いました。


スキーの楽しさを広めたい!


一番左が大坂さん

いつの間にか、「この楽しさを多くの人に知ってもらいたい!」と思うようになった大坂さんは、高校卒業後、家業である農業に従事しながら、インストラクターの取得を目指しました。毎日のようにゲレンデに行き、先輩たちからスキー技術を教えてもらい、ついに念願の資格を取得することに。


以後、結婚、出産を経た今でも、胎内スキースクールに所属し、スキーの技術指導をしています。



胎内スキー場は若者の拠り所

「胎内スキー場で一緒に育った仲間たちは、大人になっても、なんだかんだ胎内スキー場に戻ってくる(笑)」とは大坂さんの談。


人口の減少が進行する新潟県ですが、胎内スキー場があるから、この地域で暮らすことにした、そんな若者は少なくないのかもしれません。

子ども達の指導にあたることも多い大坂さんは「指導していてたのしかった~」と子ども達に言ってもらえることが、何よりのやりがいとのこと。

胎内スキー場が続いていくことで、胎内スキー場で育った若者が、次の若者を育てる、という循環も続いていくのだと思います。


胎内スキー場は私にとっての宝物

写真中央が大坂さん。スキースクールと仲間と。

最後に「大坂さんにとっての胎内スキー場は?」との問いには、

「冬の楽しさ、仲間たちに出会わせてくれた『宝物』です。なんとか多くの皆様に支援いただき、このスキー場が存続していって欲しい。」と語ってくれました。