2017/06/13 14:11



Marony.TOKYO(マロニィ・ドット・トーキョー)さんは、今回のファッションショーのスタイリストです。
華やかなファッション業界で、Maronyさんはなぜ「エコ」「ロハス」「エシカル」というコンセプトを持つようになったのでしょうか?
本日は、MaronyさんとPokoの対談をシェアします。

「洋服ってどうやってできる?を調べて分かったこと」

Poko:今回のカンボジアでのファッションショーで、【普段着】をテーマにして、しかもすべて【古着】を活用されるのはなぜですか。

Marony:理由は3つあります。ひとつは、私自身が「よいモノを長く使ってほしい」という考えを持っていること、もうひとつは、カンボジア都市部の現地人が求めるオシャレが、パーティー服や高級服などの非日常的なファッションへ向いていると感じたこと、最後は、カンボジア進出している日本の古着店Don Don Down On Wednesday(ドンドンダウンオンウェンズディ)さんに衣装提供の全面協力をいただけることになったことです。

Poko:理由のひとつめに「よいモノ」という単語が出ましたが、Maronyさんのいう「よいモノ」とは具体的にはどのようなモノですか?

Marony:私の考える「よいモノ」は、価格や品質ではなく、「手にした本人が気に入ったモノ」と、定義しています。つまり、価値をとらえる視点を「モノ」ではなく「自分自身」に、評価基準を「相対評価」ではなく「絶対評価」に置いています。
みなさんが“本心で”、こういう視点を持てるようになれば、不要なモノやアンマッチなスペックのモノを持つこと、ひいては、使わずに手放すようなことは少なくなると思います。なにより自分の身の回りのモノに「自分らしさ」が見えてくると思うんです。誰が何と言おうと、私が好きだから、ただそれだけで選ぶ、それが私の考える「よいモノ」です。

Poko:なるほど。そう聞くと、特別新しい視点、というわけではないですね。

Marony:そう思います。今、みなさんがお持ちのモノたちの中でも、気に入ったモノ、好きなモノって、出番が多かったり、いつもそばにあったり、大事に使ってたり、多少壊れても直して使い続けてたりしていると思うんです。そして、そうしたモノたちは、必ずしも品質や価格が高いものばかりではないはずです。これだけモノと情報があふれた世界では、もはや品質や価格だけが評価対象というような視野しか持てないのはもったいないと思いますし、誰とも特定できない他人目を気にする必要は、もうないと思いますよ。

Poko:確かにそうですね。実はもうみんなやってるってことなんですね。

Marony:そうなんです。ぜんぜん新しいことじゃないです(笑い)。

Poko:もうひとつ、「長く使う」といっても、飽きたり使わなくなったりということもありますよね。

Marony:一時期、「断捨離」という言葉もブームになりましたが、理由に関わらず、自分にはもう必要でなくなったモノを手放す方法は、捨てるばかりではなく、そのままの形や分解して、譲ったり売ったりすることもできますよね。確かに、「捨てる」ことは、最も簡単に手放す方法かもしれませんが、自分が気に入ったモノ、好きなモノであれば、愛着もあるでしょうから、捨てる前に、どなたかいりませんか?のステップを入れてみてほしいですね。これも、決して新しいことではなくて、かつての日本で、着物を詰めたりほどいたりしながら子供から大人までつかったり、代を継いで使ったり、交換したり、そんなことが日常的でしたし、ヨーロッパでも服や食器や家具、そういったモノを代を継いで使ってきています。
素材やパーツに分解するのは手間がかかりますが、理想を言えば、衣服なら糸の一本まで戻してあげられたら、とさえ思います。

Poko:確かに日本も昔は服を長く直して使っていました。資産の一つでしたよね。質屋に入れてお金に替えたこともあったくらいですから。長く使っていた時代の方々の家にはまだその当時の服が残っていたりしますね。
「糸の一本まで」というのは、あまり思いつかない発想だと思いましたが、何かそう思うに至ったきっかけがあったのでしょうか?私自身、洋服を糸で考えることがありませんでした。

Marony:私がファッションに携わり始めたのは、30歳を超えてからでしたが、始めて間もないころに、そういえば、服って、どうやってできるんだっけ?とふと思って、自分の手元に服がやってくるまでの工程をさかのぼって調べてみたんです。そしたら、やたらと工程が長いことがわかり、そういえば、生地ってそもそも糸か!と思いまして。 糸まで戻す、というのはものすごく難しいことなので、実際にそこまでやっているところはほとんどありませんが、少なくとも生地やパーツまでは戻すことができるので、リサイクルの理想として、糸(に近い状態)まで戻せば、またなんにでも生まれ変わることができる、そういう思いを、「糸の一本まで」というスローガンとして心の中に置いておくことにしました。
ちなみに、日本で毎年廃棄される服の量は、100万トンとも200万トンとも言われてますから、数字だけ見ても、純粋にもったいないなぁ、って。

Poko:なんですかそれ!?それって、東京ドームの・・・

Marony:ね、数字だけ見ると、誰でも、えーー、ってなりますよね。

Poko:知らなかったですね・・・未着用の服も含まれていますか。

Marony:新品・未着用の服も含んでこの数字です。しかも割合的にも少なくないと言われています。
一度も使われずに、日の目も見ずに。捨てられるために作られたわけではないでしょうにね。

Poko:そうなんですかあ。。。 なんだか、言葉を失います。

Marony:ね、この話を聞くと、いろいろ言いたいことが思い浮かびますが、どこから言おうか、と思っているうちに、言いたいことが多すぎて、結局、飲み込んでしまいませんか。
とはいえ、私は、何かを善し悪しでは判断することはなくて、在ることは在るがまま、とはいえ、在るものも実は無い、と思いますので、たくさん捨てている現状も善悪ではなく、そういう事実があるだけととらえています。生きていれば、矛盾が生じることもあるでしょう。自分が働けば働くほど、人々から搾取していることもあるわけですが、仕組みの源流をしらなければ、対価を得るためと割り切って働きますよね。衣類の大量生産・大量廃棄反対!ファストファッション反対!と言いながら、日用品は100円均一で、というのも、それはちょっとおかしかろ?とも思いますが、それも個々の価値観ですから、それでいいと思います。ただ、強いて言えば、あまり良くないな、と思うのは、不安と恐怖を与えて、それを解消するためにモノやサービスを提供する、さらにそれを周囲と結託してマッチポンプ化していることですね。死ぬのが怖いでしょ?という教育や環境の中で育った私たちには避けづらいのも事実ですが、これからはもう、そういうビジネスは継続できない時代になっていくだろうと思います。

Poko:そうですね。「〜ねばならない」という考えが、結局人や自分自身をも苦しめているような流れになっていることもありますね。

Marony:自分も他人ももう責めなくていいんですよ。大量生産・大量消費を悪として、自分の意見を正当化するような方法ではなくて、ただただ、「よいモノを長く使う」という考え方や風潮がもう少し市民権を得られるようになっていけば、気持ちが楽になるんじゃないかなぁ、って思うんです。
もっとミクロに考えると、そもそも、新品と古着の境目って、どこよ?と思いますしね(笑)。
試着しちゃったら?1回着ちゃったら?洗っちゃったら?新品の製品が売れずに1年経ってしまったら?みなさん、基準はまちまちでしょう?(笑)

Poko:責めない、否定しない、ということですね。

Marony:そうですね。国によって何主義国かは様々ですが、そうはいっても、資本主義経済のシステムの中で生きているわけですから、ビジネスのための固定観念と矛盾、メディアや企業洗脳みたいなことが多いのも、ちょっぴり残念ではありますが、やむなしと思います。
私の考えや活動自体も、私個人の表現方法のひとつなので、これも歴史の1点ということだと思うんです。

Poko:歴史の1点、とはどういうことでしょうか?

Marony:近代、ファッションが通ってきた道は、ハンドメイド ~ 機械生産 ~ 大量生産、モノが飽和し、価格破壊、無頓着な廃棄が増え、そこから「エコ」「ロハス」「エシカル」への気づきが促された、というものですが、これまでは、この道のりのなかで「モノを長く大切に使おうよ」と声高に発することが許されたのは、最初の“ハンドメイド”だった時代と最後の「エコ」「ロハス」「エシカル」がうたわれ始めた後から。つまり、この視点においては、原点回帰したと言えます。

Poko:それは面白いですね。

Marony:なので、今回のカンボジアのファッションショーでは、これからカンボジアに到来するであろう大量生産・大量廃棄という道のりと並行して、「良いモノを長く使う」という思いを忘れずにいていいんだよ、ということが少しか伝えらえれたら、と考えました。

Poko:今のままでは先進国が通ってきたのと同じ道をたどってしまうように見えていますよね。

Marony:はい、そのように感じました。かつての日本と違うのは、カンボジアは既に大量生産商品の生産地・製造地になっているだけに、自らそれを購入できる経済状態になったときに、大量消費者側に回るのも日本より早いのではないか、とも思います。
こうした思いがあっての今回のショーなんですが、だからといってカンボジアのファッション文化に一石を投じる!なんて大それた発想ではなくて、古着を使って、普段着のオシャレ度をアップすることができたら「モノを楽しく使い続ける」ことを、「気が付いたらできてた」ということになるんじゃないかな、なんて思ったんです。そういう意味で、影響度合いや結果を求めるよりは、そういう思いがある日本人が、カンボジアに来たことがある、そういう歴史上の1点であるだけでも十分価値があるなぁ、と私自身では感じています。

Poko:「気が付いたらできてた」というのは、ストレスがなくていいですね。
先日、カンボジア人デザイナーのChristopher Kongvongが、日本の古着を意外な組み合わせと着こなしでオシャレに仕上げていましたね。あの写真には、カンボジアだけでなく、日本の方々からも大きな反響がありました。その一つ一つの服を見ると、ごく普通の、特に年代が上の方々が好んでいるようなデザインの服でした。なかなか若者たちが手に取りにくいですが、カンボジアの若者が新しい命を吹き込みましたね。

Marony:Kongvong氏のスタイリングは素敵でした。飽きたり要らなくなった服の価値を再生するという成功例と思います。良いモノに変えてあげるマジックですね。

Poko:私も、若者向けデザインだから、若い頃着ていた服はもう着られない、と思い込んでしまっているところがあります。

Marony:そうですね。確かにデザインとして、ターゲットとなる年代が絞られている製品があるのも事実ですが、私が目指すオシャレは、既成概念にとらわれず、年齢を重ねるごとに経験を積み、よりオシャレになっていくことなんです。自分らしさを表現できるようになっていけるようなお手伝いができたら嬉しいです。

Poko:Maronyさんのお話を聞いていると、オシャレを自分事として思っていなかった私も、もっとオシャレをしたいと思うようになりますね。

Marony:それは嬉しいですね。みなさん、センスはありますよ。センスって、自分が好きなモノを見聞き触れてきたものの蓄積ですから。オシャレできない!って悩んでる人の大半は、センスはあるけどアウトプットする方法がわからなかったり、他人目を気にして思い切れないだけなんです。ファッションはエネルギーそのものでもあり、エネルギーを生み出すツールでもあります。私たちは毎日何かを着ないといけない。服を着ないで外に出たら捕まっちゃうっていう万国共通のありがたいルールもある。とすれば、毎日のファッションからエネルギーをもらわないのはもったいないじゃないですか。私は、「オシャレしてどうするの?」の答えとして、ファッションのエネルギーは必ずしもファッションにのみ還元する必要はなく、ファッションから得たエネルギーは、自分のやりたいこと、できることに、できるだけ変換ロスなく使っていただきたい、とお伝えしています。ただし、どこから手を付けていいかわからない、それもわかります。だから、最初だけ、私のようなスタイリストを使ってみるのもひとつの方法と思います。

Poko:そうですね。Fashion is Energy! 今月6月24日のカンボジアプノンペンでのファッションショーで、みなさんのエネルギーが世界に届きますように。私も応援させていただきます!

Marony:はい、ファッションを通じて、たくさんのご縁と出会いと、そしてエネルギーが生まれることを楽しみにして、カンボジアに上陸したいと思います。

Poko:お待ちしております!