はじめに・ご挨拶
株式会社ビサン ゼセッションとは
総合企画部門で開業した弊社は、翌年1月ギャラリーの中にある旅行会社というコンセプトで旅行業(JTB総合提携店)も始めた。
社名をビサン ゼセッション(Bisan Secession)と名付けたのには、理由がある。Secession(ゼセッシオン)とは、19世紀末のウィーンを中心にグスタフ・クリムトをリーダーとした新芸術運動だ。日本では「分離派」と訳されているが、私は自分勝手に「新しい風」と訳した。弊社の1階の柱に掲げた赤い文字はエゴン・シーレが当時のポスターに書いた文字でそのまま鉄板を切り抜いて作った。
学生時代を京都で過ごした私は、京都市内をよく歩き、神戸にもちょくちょく顔を出していた。1972年に大学を卒業し、郷里尾道に帰った。父の経営する備三タクシー(株)に入社し、私はタクシー乗務員の接客レベル向上に取り組んだ。そのためには、尾道を訪れる観光客を乗務員自らがご案内することが解決策の糸口だと考え、社内で観光の勉強会を幾度となく開き、広島県内でいち早く福山・鞆の浦、尾道、因島、生口島(瀬戸田)の広域観光コースを設定し、JTBをはじめ大手旅行会社と契約を結んだ。
1988年、観光タクシーのPRという名目で、尾道の日常風景に焦点を当てた尾道の観光パンフレットを備三タクシーで1万部発行し無料配布した。ところが、尾道市民の関心が思いの外強く、観光客の手にわたる前にアっという間に無くなってしまった。タクシー業は、その企業が所在するまちの都市力に比例して成長が決定づけられる。故郷に再び住んでみて、尾道をもっと面白いまちにしたいとの思いが募り、まちづくり活動に一段と力が入った。
1990年にわかに湧き上がった浄土寺下の高層マンション建設計画に反対して「尾道の歴史的景観を守る会」が結成された。私はこの高層マンション建設計画が尾道の将来に禍根を残すとの強い衝撃を受け、いたたまれなくなり、この運動へ志願して参加した。結果として、備三タクシーを離れ、1992年の新会社設立へのきっかけとなった。新会社ビサン ゼセッションの設立時には、マスコミでは人材ネットワークを生かしたまちづくり会社誕生と報じられた。しかし、尾道市民の反応は、弊社が何をする会社か、社名を含めてわけが判らない、謎めいた会社に見えたようだ。そういう意味でも、弊社ビサン ゼセッションは尾道の「新しい風」になろうとしていた。
平安時代に遡る歴史都市・尾道の魅力とは
尾道が歴史の舞台に登場したのは、備後太田庄の倉敷地として尾道港が公認の港となる1168(仁安3)年だ。以後、鎌倉時代から室町時代にかけ海運、商業が隆盛となり、対明貿易の一拠点となったようだ。江戸時代には北前船の寄港地として、広島藩の尾道町奉行が置かれた。1898(明治31)年には広島県内で2番目に市制施行。1914(大正3)には、県内で最初の市立図書館を開設している。尾道は、経済の繁栄を謳歌し、その求心力によって芸術・文化の花を咲かせた経済都市でもあった。
尾道の魅力とは、何と言っても、ゆったりと曲線を描き東西に流れ行く尾道水道(海)と瑠璃山、摩尼山、大宝山の尾道三山によって仕切られた、自然がつくりあげた都市空間だと私は思う。その空間はイタリアの古代都市が理想とした規模に等しくヒューマンスケールである。かつては歴史都市・尾道が支えてきた優れた寺院建築をはじめとした文化的集積、多くの文人墨客を迎え入れたこのまちがもつ奥行きのある精神性、しかも、山頂から海辺にかけて、過去と現在が重層的に混在した都市構造、戦前の町並や路地を温存し、その空間で市民が日々生活するという、現代では極めて「非日常的な日常」があるまちだということではないだろうか。尾道出身の映画監督大林宣彦は、そのことを熟知していたからこそ、『尾道は一周遅れのトップランナー』だと言われたのだろう。志賀直哉、林芙美子ゆかり地であり、小津安二郎の代表作『東京物語』(1953年公開)の舞台となったのは、まさにこの尾道だった。
「まちづくり」とは何んだろう
東京一極集中の是正が叫ばれて、すでに半世紀も経っている。そのころから私は経済力の乏しい地方都市が存続するには、優れた知恵が必要だと考えていた。
1984年に萩原茂裕、木原勝彬、そして織田直文の各氏と出会い、その後の私の人生に大きく影響した「まちづくり」を教わった。「まちづくりの主体は知的活性化にある」ことを、そしてまちづくりには「夢」と「遊び心」が必要だと教わった。自分には持ち合わせない、優れた能力ある人材とのネットワークづくりを始めた。1986年「尾道じゅうにん委員会」、1990年には広島県東部のまちづくり団体のリーダーたちを繋ぐ「出会いの製造本舗」(広島県の人づくりパイオニア塾の認定組織)を結成。そして、国土庁から一度に3名の地域振興アドバイザーの派遣を受け、尾道のまちづくりを考え学んだ。
私たちは、「人と人が出会うことで、まちづくりエネルギーを増幅させ、郷土愛という絆で結ばれた優れた人々の知恵をまちづくりに生かす」ことをめざした。イベントは共通体験をすることで人の繋がりをつくる手段としても重要だった。1984年に尾道青年会議所に入会し、4年間という短いJC活動の最後の年となった1988年3月には[大阪→尾道間の新幹線vsのろしリレー]を実行、県域を越えたJC7団体を連携させた「備後サロン」を立ち上げ、秋には「フードピア金沢」をモデルとした、食文化イベント「第1回グルメ・海の印象派ーおのみちー」立ち上げの一員となった。この食文化イベントは、その後の11年間、尾道じゅうにん委員会の代表として、著名な文化人
1989年、尾道では代表な明治の建築、旧協和銀行が解体させるという情報を尾道じゅうにん委員会がキャッチし、交渉の末、辛うじて石造のファサードだけを保存できたが、そのまま現在まで利用されず保管されている。
尾道の都市景観運動から新会社設立へ
1990年5月、先にも書いた尾道の旧市街(歴史地区)での高層マンションの建設計画が浮上した。この運動は、反対署名運動に始まり、民間人と企業だけで寄付と借入金の3億5千万円で高層マンション建設用地を買収し、さらにその用地に1999年尾道白樺美術館(現・尾道市立大学美術館)を開館させたことで終止符を打った。尾道の歴史的景観を守る会の運動は、私の人生の中でもっとも劇的な印象深い出来事だった。当時の尾道市や市議会は、マンション建設が尾道の活性化に繋がると考え、不幸なことに尾道の都市景観をまったく理解しなかった。この運動に終止符を打つ頃から、「歴史的景観を守る会」の幹事をしていた私に見えない圧力がかかってきた。このことから、1992年私は知らぬが仏で、まったく素養のない芸術文化に活動の方向を転換させた。
路地ニャン公のWEB SITEに詳しく掲載している。
1993年「クラシック音楽を楽しむ会」を3名で結成。以後、「おのみちホっとコンサート」さらに「NPO法人おのみちアート・コミュニケーション」に活動を継承しながら、NPO法人解散の2019年までの約26年間で100本以上のコンサートやイベントを企画運営し、優れた音楽家たち・文化人とのネットワークもできた。オプチミストの私は継続は力だと今でも思っている。景観運動やその他の過去の尾道のまちづくりについては、由緒正しき『路地ニャン公』というキャラクターの誕生
1992年(株)ビサン ゼセッション開業直後、最初に手がけた仕事が、「出会いの装置製本舗」と共同企画運営したシンポジウムだ。基調講演者に大林宣彦映画監督を迎えた『画面の中の路地考』というシンポジウムで、私は遊び心もあって「路地ニャン公」という猫のキャラクターを誕生させた。後に、路地ニャン公は川口協治氏(漫画家かわぐちかいじの一卵性双生児の実弟)により描かれ、この世に姿を現した。そして1998年10月4日、弊社は『路地ニャン公のおのみちホッと情報』というWEB SITEを立ち上げた。
それから今日までの22年間という長きにわたり、ときには連日連夜、ときには勝手気ままに長期休暇をとりながらも、現在3世代目となるWEB SITEをリユーアルしながら、尾道のホッと情報を発信し続けている。路地ニャン公は、いわば、飼い主である私が歴史都市・尾道の変遷を36年間みつめながら考えてきた、尾道のまちづくりに関する私見であり、それはもしかすると一部の精神的尾道市民が希望する尾道への代弁者であるかも知れない。
暗闇のトンネルの中で、「我等、尾道派」の再結成
1991年「尾道じゅうにん委員会」「出会いの装置製造本舗」と「尾道の歴史的景観を守る会」が協力し、まさに『我等、尾道派』の、第1回『尾道ファン倶楽部 我等、尾道派-東京の集い』を東京品川の旧京急ホテルで開催し、翌日に銀座・数寄屋橋の街頭募金活動を行い、全国に尾道の歴史的都市景観の危機を訴えた。
そして16年後の2007年11月15日、認証前の「NPO法人おのみちアート・コミュニケーション」(12月7日認証)の設立プリイベントとして、広島県交流・定住促進協議会の共催を得て、任意団体「おのみちアート・コムニケーション」主催の第2回目の『尾道ファン倶楽部 我等、尾道派-東京の集い』を六本木の旧ホテルアイビス六本木13Fのリストランテ「サバティーニ ローマ」(音楽と食事の大交流会)とJAZZバー クールトレイン(音楽と絵画でアート・コミュニケーション)、青山のギャラリー(佐藤アキラ「尾道」写真展)など3会場で開催し、多くの協力者・支援者の力を借り、12日間にわたり尾道をアピールした。振り返ると、1988年に始まった「食談」に『我等、尾道派』というサブタイトルをつけて以来、私たちはNPO法人おのみちアート・コミュニケーション解散の2019年8月まで『我等、尾道派』の旗を降ろすことはなかった。この間、31年という時間(とき)が過ぎていた。 2020年の今年、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大により、小さな弊社の主な事業となったJTB総合提携店(JTB代理業)は、回復し難い大きなダメージを受けている。ほかに総合企画と保険代理業を兼業する弊社は、今期の4月から6月の3ケ月間では、全体の純売上高(税込)が前年度対比△83.51%、うち旅行部門は前年度対比△97.17%で、Go To トラベルが開始された今もトンネルの出口はまったく見えない。そんな中、広島県のクラウドファンディング「観光支援」プロジェクトを知り、弊社が1995年「尾道ブランドづくり」の一環として尾道市内の異業種をまとめた「尾道がんぼう宅急便」の経験を踏まえ、このたび同じく新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に影響を受けた尾道市内の15社の個人店舗や企業にお声をかけ、弊社を加えた16社で全国の尾道ファンの方々にご支援いただきたいとプロジェクトを構成し、第3回目ともいえる小さな『我等、尾道派』を立ち上げた。尾道を訪れる多くの人々、この機会に初めてお越しいただける人、あるいは残念ながら今はまだお越しになれないが、いつか尾道に行ってみたいと思われているご支援者の皆様に、路地ニャン公が厳選した地元尾道の宿泊施設、食事処や観光タクシーに使える『ご利用券』、そして路地ニャン公選りすぐりの『尾道もの』産品を感謝を込めてお届けする。さらには、心に残る尾道の思い出づくりやしまなみ海道周辺の旅づくりにも、弊社がお役に立ちたいと願っている。
このプロジェクトで実現したいこと
それには、まちづくりの主体は知的活性化だと学び、優れた知恵を尾道に集積し、それを活用する仕組みづくりが欠かせないと思っている。
2015年、尾道市は文化庁の日本遺産都市に認定されたが、今の尾道市は時代の潮流とは真逆のスクラップ&ビルドをすすめ、 30有余年の今日まで、将来の尾道に必要不可欠と思われる多くの近代の建造物を次々と破壊し続けているのが現実だ。
そんな尾道で、非力な私たちが人材ネットワークを活用し手がけたものがある。ここにその一部をご紹介すると、近代産業遺構のメタモルフォーゼで、日本に一つしかない『クレーン付きの住吉浜公衆電話室』と広島県立尾道東高等学校の100周年記念事業の一つ、石垣のセットバックによる「校門周辺の大改修事業-羽ばたきの庭」(事業監修・デザイン:戸田芳樹&(株)戸田芳樹風景計画、門扉制作:小峰貴芳) だ。
尾道への郷土愛、そして尾道というまちで結ばれた優秀な人材ネットワークの人々は、経済を超えた働きをされるだけでなく、より素晴らしく、新たな人材をもご紹介くださる。
尾道は今、まちのもつ本質的な方向性を見失っているようだ。歴史を生かし、歴史を味方にした、新たな魅力あるまちづくりとは真逆に、厚みのあった尾道のまちの風景がどんどん薄っぺらになっていく。誰かが警鐘を鳴らさなければならない。明治以降の近代的建造物がどんどん壊され、目に見えなくなることは、尾道のまちの魅力と記憶も消えて行くことを意味する。先人たちが脈々と引き継いできた歴史都市・尾道という都市像を捨て、尾道市はどんな魅力ある尾道をめざそうというのだろうか。
路地ニャン公は、微力ながら尾道では「モノ言う精神的市民」の役割を担おうと、22年もの間、尾道の様々な情報をWEB SITEで発信し続けてきた。しかし、COVID-19の影響を受け、その活動の後ろ盾となっている母体・弊社ビサン ゼセッショ ンが、トンネルの暗闇の中で立ち往生したまま動けない。動けないなら、一歩一歩少しずつでも後押しくださるパワーをくださいと尾道を愛する方々にご支援を求めるしかない。そう思って弊社と同じく尾道市内で苦境にあえぐ、路地ニャン公選りすぐりの個人店舗や企業の方々と手を携えてトンネルの出口に向かって歩き出そうとお声掛けした。
このプロジェクトを成功させ、引き続き数多く残されている弊社旧サイトのデータ移行や新情報の発信を続けながら、私たちが経験した尾道のまちづくりの過去と現在の記録を明確に残し、尾道の将来を担う若い世代の人たちへの参考の一つにでもなればと思っている。(株)ビサン ゼセッションとWEB SITE「路地ニャン公のおのみちホッと情報」は、全国の尾道を愛する皆さんのご支援により、暗闇のトンネルを抜け出し、『尾道の新しい風』が未来をめざす通り道となることを願っている。
資金の使い道・実施スケジュール
【プロジェクト<ご支援ください!返礼は、路地ニャン公の特選『我等,尾道派』のおもてなし】は、弊社を含めて16の個人店舗や企業で構成されている。ご支援いただいた皆様方の資金の100%相当を返礼品として皆様にお届けすることで、結果としてご支援者が各社の製品、サービスをご購買いただいたこととなる。そのため、このプロジェクトは支援金が16の店舗各社に循環することで、尾道においてはより高い経済波及効果が得られると思っている。基本的には、設定された3コースのいずれかにご支援いただくと、募集期間終了後より概ね11月末までには返礼品をお届けしたいと思っている。
最後になったが、今まで尾道にお越しになった方々は、必ずにみ〜んな尾道ファンになって「もう帰りたくないなぁ」と言われるという、それが路地ニャン公の自慢である。
どうか、われわれにご支援を!支援者である全国の精神的尾道市民(尾道ファン)には、路地ニャン公特選の『おもてなし』で、皆さまの真心に精一杯の感謝の心をお届けしたい。
リターンのご紹介
ご支援金は、一口が1万円コース、5万円コース、
10万円コースに区分されている。それに対する返礼品は、特選[尾道もの産品]と、プロジェクト指定の宿泊、食事処、タクシーで使用できる[ご利用券]で、合わせて100%(送料込み)相当のリターンとなっている。
*ご利用券の換金は不可。精算でのお釣りなし。
*有効期限:2022年8月31日
【ご利用券】が使用できるのは、次の各施設である。
宿泊施設 グリーンヒルホテル尾道 ナティーク城山
タクシー 備三タクシー 食事処(和食) 高原誠吉食堂 郷土味かけはし 尾道あかとら
食事処(洋食) プリマベーラ 短編食堂 カサリンガ ドゥ ターブル ビズー
いずれの施設も事前予約が必要で、ご支援者が直接にご予約ください。(ご連絡方法等は、事前にご案内)
特選【尾道もの産品】
産品提供の店舗と企業
向島洋ランセンター 立花テキスタイル研究所 株式会社ビサン ゼセッション 川原食品株式会社 喫茶オルタナ 今川玉香園茶舗
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
最新の活動報告
もっと見る路地ニャン公の『我等、尾道派』リターンの一つ【いちじくコンフィチュール】申込み限定数の変更について
2020/10/24 18:00路地ニャン公の『我等、尾道派』プロジェクトをご支援いただき、ありがとうございます。このプロジェクトは、コロナ禍により大きなダメージを余儀なくされた弊社・(株)ビサン ゼセッションをはじめ、尾道市内の15社の共助システムとして弊社が企画者となりプロジェクトを編成したものです。弊社はJTB総合提携店(JTB代理業)と共に総合企画業を営んでおります。総合企画部門では、1995年より尾道ブランドづくりに取組み、その一環として知人のシェフの協力を得て、2011年に尾道の特産品である「いちじく」を高付加価値化した無添加食品【コンフィチュール】を商品化し、以来、弊社が販売者となり今日まで継続してきました。この商品はすべてが手作りのため、8月中旬から10月中旬までの2ヶ月間に収穫されたいちじくをこの数年は6〜700本余りの少量しか生産しておりません。ところがCOVID-19(新コロナウイルス)による観光業のダメージを支援するGo toトラベルの地域券の影響と思われるホテルや旅館からの短期間のうちに注文がハイペースで増加し、既存ユーザーからも10本20本単位でのご注文となり、本年も生産体制を例年通りとしていたため、早くも『いちじく』のストックが激減いたしました。そのため、急遽弊社のネット(路地ニャン公のおのみちホッと情報)通販を中止させ、同時にCAMPFIREで現在までにご支援者よりリターンお申込みの本数を確保しました。そして勝手ながら、1万円のご支援で【いちじくコンフィチュール10本】リターンのお申込み限定数を変更させていただきました。すでにこのリターンをお申込みのご支援者の本数は確保しております。また路地ニャン公の『我等、尾道派』プロジェクトのその他のリターンの中にも、いちじくコンフィチュールが『尾道もの産品』として構成されたものがありますが、現在までの流れを考慮し、募集期限の11月11日までの期間中にできるだけ対応できる本数を確保したいと思っております。以上、ご支援者の皆さまにご理解いただきますよう宜しくお願い申し上げます。 もっと見る
尾道新聞に掲載された路地ニャン公の『我等、尾道派』プロジェクト
2020/10/23 18:0010月13日付けの尾道新聞に「路地ニャン公の『我等、尾道派』にご支援を!」プロジェクトが記事として掲載されました。尾道新聞社は、明治三十一年(1898年)に地域紙として創刊され、昭和21年復刊された尾道では老舗の地方紙・山陽日日新聞社が、平成30年11月に突然閉刊となったことを受け、経済界が中心となり新たに尾道新聞社を設立、平成31年2月1日に創刊したもの。この記事を見て問い合わせの電話が数件かかってきたが、QRコードやアドレスが掲載されてないのがちょっと残念であった。 もっと見る
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