さて、先日『神代杉神棚』が新聞に取り上げていただきました♬今回の神棚は、私自身、ただ『神代杉』という貴重な素材を使って作ったモノというだけでは決してなくって、そこには、私が常々感じてきた『想い』があったので今回はそのことを少しお話しさせてください。そもそも、私が今回『三河仏壇宮殿師』である平林仏具の平林さんになぜ?神棚を作ってもらおうと思ったか、、、そこには、この日本がかかえる『伝統』と言うモノに対する大きな『課題』がありました。どういうことか?というと、早速ですが、みなさんに一つ質問です。みなさんのお宅に『神棚』はありますか?みなさんのお宅に『仏壇』はありますか?和室はあるでしょうか?床の間はあるでしょうか?それが、良いとか悪いということでは決してありません。それが『時代の流れ』である以上仕方のない事なのですが、生活様式やライフスタイルの変化というのは、ただそこに単なる『モノ』がなくなったということではない!という事を理解してほしいのです。そもそも、『神棚』や『仏壇』というのは何のためにあると思いますか?もちろん、『神様』『仏様』をお祀りするためにあるものではありますが、それが『日常生活』から失われることによって、意味することは何でしょうか?私は、単に生活習慣が変わることだけでなくそこにあった大切な『文化』ごと失ってしまう気がしているのです。それは『感謝の心』です。私には、大正12年生まれ今年、三回忌を迎えた今は亡き先代の婆ちゃんがおりました。ばあちゃんから私は人生で『大切な事』は何か?という事をその『背中』を通して教えてもらいました。ばあちゃんは、90歳をこえても毎日仏様を大切にしていて、庭に生えている『花』を積んではいつもきれいにお供えしていました。3年前に他界した大正12年生まれの太鼓屋ばあちゃん私は、ありがたいことに『商売』の家に生まれましたので、核家族化する現代においても、こうした『先人』の人たちの生き方、生き様を目の当たりにすることができたのです。神様仏様がいつもみているからな、お客様は姿が見えなくなるまでちゃんと頭をさげなあかんぞ、そして、ありがとう、ありがとう、だれに対しても分け隔てなく感謝を伝える『ありがとう』が婆ちゃんの口癖でした。変化することは、常でこのコロナ禍においてそれは『加速度』を増していると言われます。その一方でやはり、一つの『モノ』を失うというのは単にそれだけの事じゃない『文化』そのものを失う事と感じています。私達日本人というのは、昔から目に見えない大切な『心』を育む文化というのが『日常』にあったはずなのです。時代は、どんどん便利になります。時代は、どんどん変化します。その上で、本当に変化していいモノ、失ってはいけない大切なモノこれをきちんと見極められるかどうか?がまさしく、現代に生きる私たちに問われているのではないでしょうか?私自身、特にこの一年はひと言は言えない自分自身の『甘さ』が目立った気がしています。もう一度、大切な事を見つめ直しこれからも精進してまいります。令和三年二月吉日株式会社 三浦太鼓店 六代目彌市