2021/02/16 20:57

今回は、高額リターンの「講演会」「セミナー」「ノウハウ移転」のご紹介。

実際に弊社代表畦地履正に背中を押されて、大きく人生の舵をきった体験者から、熱くそして実に生々しいインタビューがとれました。

※経営者の皆さん必読でございます。

京都唯一の村である南山城村には、今春で開業丸4年を迎える「道の駅お茶の京都みなみやましろ村」があります。

地域の様々な困りごとに寄り添いながら村民と手を取り合い、催事や物販での攻めの外商には目を見張るものがあり、年商4億を超える注目の道の駅です。

道の駅お茶の京都みなみやましろ村のキーパーソンは、代表取締役社長の森本健次さん(54)。

きっかけは、南山城村「魅力あるむらづくり事業」で道の駅構想が持ち上がった2010年、森本さんが南山城村役場の職員だった頃に遡ります。

役場の担当を任された森本さんは、当時は茶髪でイケイケの自他ともに認める超やり手公務員。役場業務と並行して、まずはお茶の販売から経験を積もうと、南山城紅茶プロジェクトを立ち上げ、生産者とともに商品開発から販売まで取り組んでみたが、これがなかなか苦労したとか。


森本「スタート運転資金の100万円、実は自己資金だったんですよ。」

ドラマ「え?それまた思い切りましたね。」

森本「小さいプロジェクトとは言え、新たなことを始めるには設備投資も要るし、資金はないし、生産以外を自分がやると考えてたので。売り上げが立つまで時間もかかったけど、声かけたのは自分だし、生産者に申し訳ないでしょ。まぁ、奥さんには当時内緒だったんだけどね(笑)」

そんな事を2年程続け、地域への思いはもっと具体的なものになってきたそうです。

・地域商社としてお茶の事をしっかりやっていきたい。

・地域の困りごとを解消する道の駅にしたい。

でも、一体それを誰から学んだらいいのだろう?

大学の先生でもなく、ただのコンサルでもない、実践的にやっている所からノウハウを学びたい。

そこで、全国の先進地としていくつか視察候補先が持ち上がり、その中の一つだったのが当時「道の駅四万十とおわ」を運営していた㈱四万十ドラマだったのです。

特産品はお茶に椎茸と両産地で類似しているけれど、南山城村よりもっとド田舎の山の中にある四万十。なぜこんな辺ぴな所に沢山の人が集まるのか、興味をもった森本さんはさっそく役場の職員数名と四万十を訪ねる事となりました。

(初めて四万十を訪れた2012年2月9日に撮られた一枚)

ドラマ「その日が畦地との出逢いで、会って意気投合したという事ですか?」

森本「いやいやそれが全くの逆で、お互い第一印象は最悪(笑) 僕は、何て高額な視察料金なん  だ!高飛車だなーという態度だったし、畦地社長の方は、茶髪でチャラチャラした僕の風貌が気に食わなかったらしいんです。」

しかし、実際に四万十の生産者や道の駅を見て回ってみると、地域商社としての仕組み作りの重要性を肌で感じ、自分達のやるべきことを先行していっているのがまさにここだと確信。単なるお茶の販売ではなく、暮らしの中に根付いている背景や、生産者の魅力をしっかり伝えていく事の素晴らしさを学んだそうです。

そうして、とっても内容の濃い産地視察の一日を終え、さらに夜の親睦会に場所を移し意見交換を始めても、なおも畦地と森本さんの距離は縮まらず、、、、

(森本さんが一番手間にいるのに対し、畦地は反対側の奥から2番目と遠い席)

でもこの直後、ことは急に動きました。

「誰かが本気でやらんと無理や。お前がやるなら役場辞めて腹をくくれ。」

隣の席に座った瞬間、畦地がはなったこの言葉。

「じゃあ、僕が役場を辞めたら、畦地社長も本気で教えてくれますか?」

と負けずに咄嗟に答えた森本さん。

道の駅を自分が中心にやるんだろうな、と漠然と思ってはいたものの、実際にそこまで本気じゃなかった事をまんまと見透かされているような気持になったそうです。


森本「もうね、のけ反るくらいに背中を押されましたね(笑)畦地社長の目力が凄くて!」

ドラマ「うわー分かりますその目力(笑)でもその瞬間があって、大きな決断をしたという事ですね。」

森本「そう!それでね、視察から戻った翌日村長に、役場辞めますって言っちゃった。」


この2012年2月9日のやり取りが、後に何度も森本さんが振り返っては語り続ける、人生を変える決断をした「畦地履正との運命の出来事」なのです。

(当時の村長を囲み、一機団結したチームみなみやましろ村×チーム四万十)


そしてその後、約束通り本当に役場を辞めて、株式会社南山城の代表取締役となった森本さん。道の駅ができるまでの4年間で、村長や生産者を連れてはるばるバスで四万十を訪れたり、チーム畦地を南山城村へ何度も呼びワークショップを開いては、地域の皆さんのやる気スイッチを少しづつ押していきました。

決して順調とは言えず紆余曲折ありましたが、こうして2人がタッグを組んでそこから約4年、本気のノウハウ移転事業を展開していったのです。

食堂メニュー、道の駅オリジナル商品、ファストフード、売店の売場づくり等々、隅々までとことん話し合ってぶつかり合った末、2018年4月道の駅お茶の京都みなみやましろ村はオープンしました。

▼道の駅お茶の京都みなみやましろ村 https://michinoeki.kyoto.jp/


今ではオリジナル商品が30~40アイテム、食堂メニューを入れると実に100種類!お茶を看板商品に、百貨店販売や通販サイトでの外商活動、地域の高齢者向け配達事業も並行して行っています。


今後の更なる目標は、観光・外商など多様な形で地域商品がお金になる事業を実践し、同じように中山間で頑張る人達のためにも仕組みを作る事。

「四万十ドラマは南山城村の目標であり、畦地履正さんとは勝手に師弟関係だと思ってます。だからあの人に何か言われたら、答えはハイかyesかoui(ウィ)しかないんです。」と笑顔で語る森本社長。

(当時の事を語る森本社長と、インタビューするドラマスタッフ)


ドラマ「最後に、代表畦地に対し森本社長からのメッセージを頂けませんか?」

森本「色々ここまで関わって頂きありがとうございます。そして、これからも宜しくお願いします。新しい四万十の拠点新工場で、さらに地方から全国に乗り込んでいこうとするその姿尊敬しています。年が年ですし、体の事気を付けながら、これからも地域のリーダーとしての活躍を見守っています。」

このインタビュー当日は偶然にも、あの運命の日からちょうど9年後の2月9日。

あの日あの出来事がなかったら、いまの道の駅お茶の京都みなみやましろ村は無かったかもしれません。

さあ!中山間での取組み、地域商社としてどうすべきか悩んでいるのならば、ぜひ畦地に賭けてみませんか?やるのはあなたですが、その背中を思いっきり押す出逢いになることは間違いありません。

あと、しんどいけれど相当面白いので、返事はハイかyesかouiでお願いしますね(笑)