一人がつぶやく、二人がつぶやく。そして、10億人がつぶやく。“あっ、大統領がつぶやいた“ ぼくたちは今どこにいるんだろう。 流される、流される、漂流する。未来の道を探す。未来の道が見えない。未来の道はどこにある。忘れる、忘却する。記憶って情報ですか。"それでも地球は回っている"ガリレオ・ガリレイは言った。“本当はアウシュビッツなんてなかったんだぜ”男は言った。あれは捏造だ。歴史修正主義者。本当はジェット機なんか突っ込んでいないのよ。女は言った。あれは特撮映画よ。SF映画評論家。記憶ってなんだ。記憶は修正可能なのか。だとしたら歴史ってなんなんだ。あの時、ピンク・フロイドは豚を空に飛ばした。ぼくたちはただラブソングを歌いたいだけなのに。あの日、飛行機がミサイルになった。カミカゼ特攻隊? 9.11?ねえ、お願い。私に”いいね”をしてください。あっ、また炎上してる。ここでも、あそこでも。その情報は信じることはできるのか?ぼくたちは”神”は存在しないとわかっているのに、なぜ神に祈るのだろう?ねえ、私って綺麗?ねえ、私って可愛い?ねえ、もっと”いいね”して。もっと、もっと、もっと。情報は涙であると仮定するならば。涙が流れている。涙が溢れている。涙が漏れている。涙が燃えている。涙が捏造されている。涙が消去されている。涙が修正されている。涙が盗まれている。涙が破壊されている。涙が忘却されている。 グーグル、アマゾン、フェイスブック、アップル。去年の妻の誕生日、どこのレストランで食事したのか覚えていない。去年のクリスマスプレゼント、何をもらったのか覚えていない。パリのテロ、ロンドンのテロ、ボストンのテロ、どれがどれだか覚えていない。昨日、晩御飯に何を食べたのか覚えていない。情報ってなんなんだ?ぼくたちは情報のことを溶解したチョコレートだと言っている。中学の数学の先生の顔を思い出せない。三平方の定理が思い出せない。初体験の彼女の名前が思い出せない。ウサマ・ビン・ラディンがどうやって死んだのか思い出せない。別れた妻の顔を思い出せない。9.11で何人死んだのか思い出せない。暗証番号を思い出せない。もしも、あの津波が悲しみと苦しみの涙だとしたら、ぼくたちはどう考えたらいいんだろう。記憶というものは時間とともに薄れていくものだ。その薄れてゆく記憶を再び思い出させるために、悲しみと苦しみが涙を流すのかもしれない。でも、ぼくたちの記憶は忘却するから、ある程度幸せに暮らしていくことができる。ある残酷な記憶がいつまでも鮮明のままだったら、ぼくたちは狂ってしまうだろう。忘却はぼくたちが生きるためのひとつのシステムなのだ。だから愛する人が亡くなったとしたら、忘れないように語り続けなければならない。ぼくたちはそのためにラブソングを作る。ぼくたちはラブソングを歌い続ける。一人がつぶやいた、二人がつぶやいた。そして、10億人がつぶやいた。 ぼくたちは今どこにいるんだろう。