にんじん湯復活に関わってくださった地元の協力メンバーをご紹介します。今回ご紹介するのは、にんじん湯の改修にあたり、内装工事監理にご協力くださった建築家の黒野有一郎さん。にんじん湯店長の大武との対談形式でお送りします。黒野さんと大武は、どちらも豊橋駅前にある「水上ビル」(水路の上に建つ全国的に珍しいビル群)で生まれ育ちました。そんな2人の視点から、水上ビルやにんじん湯を含む豊橋まちなかエリアについて、「継業」をキーワードにお話しします。(以下、敬称略)プロフィール黒野 有一郎一級建築士事務所 建築クロノ主宰/建築家愛知県豊橋市生まれ。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業後、野沢正光建築工房など東京の設計事務所勤務を経て、2004年帰郷を機に一級建築士事務所 建築クロノを設立。現在、水上ビルの大豊商店街理事長のほか、駅前エリアのまちづくり協議会「豊橋まちなか会議」副会長を務めるなど地域のまちづくりや商店街に積極的に関わる活動をしている。 ー 建築家であるとともに「水上ビル」の一画の大豊商店街の理事長としてまちなかの賑わいづくりに力を尽くす黒野さん。現在、豊橋駅前では再開発が進み、水上ビルの空き店舗にも続々と新店主が入居、新旧が混在する魅力的なスポットになっています。出店が相次ぐ要因はなんでしょうか?黒野 色々な条件が重なっていると思います。僕たちも頑張っているが、市もお金をかけて道路を整備してくれたり、再開発もあったり、そういうのをみんな見ている。水上ビルはスペースは広くないが、家賃もそんなに高くない。あと、大豊商店街が50周年を迎えた時に僕が理事長として「20年生き延びる宣言」をしました。当時、根拠のない噂も立っていたし、もう壊すんじゃないかという不安のある建物に投資はできない。そのメッセージも一助になっているかと思います。大武 私は地元に戻ってきたら新しい店がこんなに増えていて、今、必死に覚え直しています(笑)昔の記憶があるからこそ、古さを活かしたデザインがたくさん目につきます。ゆとなみ社も意識しているところなんですが、全く新しくするんじゃなくて、その土地、その建物のストーリーを受け継いで、良さを活かしていく。黒野 そもそも15年前だったら思わなかったことをみんなが思うようになっているんじゃないかな。阪神淡路大震災以降、コミュニティが大切だよねと言われてきた。それからいくつかの震災を経て、地元へ目が向いてきたし、地域のものを大切にしようという意識が広まっていった。僕が03年に東京から地元である豊橋へ戻る時、周りからは「もう東京では頑張らないんだ」という都落ちのような感じで思われていたけれど、その後、意外と元気に地方でやっているのねと評価されてきた。だから変わっていくんですよね。ー 豊橋のまちなかに空き店舗が目立ち始めたのはいつごろからですか?黒野 僕は2000年ごろがまちなかの衰退の底だと思っています。03年に駅前から西武百貨店が撤退したことは市民にとってすごいショックな出来事だった。それで04年にとよはし都市型アートイベント「sebone(セボネ)」がアートの力で人と街を元気にすることを目的として水上ビルを含む駅南エリアを中心に始まりました。理事長になった14年ごろも商店街には2割を超える空き店舗がありましたが、現在では1割もないと思います。大武 2000年ごろと言えば、私が水上ビルから引っ越したころです。確かに、それまでの間に周りで一軒、また一軒と閉店が相次ぎ、我が家があった棟は半分くらい閉まっていました。水上ビルで時計店を営んでいた私の祖父も、そのころには高齢になり店を畳んでいました。店主たちの高齢化も、空き店舗増加を加速させていたかもしれません。ー 今回、「継業」と言う形でゆとなみ社が人蔘湯を再開させました。事業承継の新しい形として注目されていますが、黒野さんも以前から継業に関心があったと聞きました。※継業とは…家族や親族、従業員ではなく接点のなかった第三者が地域の生業を継承すること黒野 ある時、たまに行く喫茶店に「1ヶ月後に閉店します」という札が貼られていたんです。マスターが「誰か継いでくれる人がいたらいいんだけどね」と言っていたので、知り合いに聞いて回ったらやりたいという人が見つかった。一部でも飲食店として継がれ、生き延びることができた店がある一方で、まちなかではおいしいうどんの名店や、甘党トキワさんとか豊橋を代表する老舗がどんどん閉店してしまう。継ぎたい人との間に信用のある人が一人いてくれれば、別の形であれ店を残すことができるんじゃないか、とずっと思っていた。そしたらそれは湊(三次郎)くんたちがやっている「継業」だと知りました。京都だと100年の老舗が潰れるのはダメだと周りがきっと思うんだよね。「あそこを潰しちゃいけない」と継ごうと思う人がいて、なんとか一部を残しながらでも、伝統を守るネットワークがあるんだと言われて、それはやっぱり京都ならではだと思いました。とはいえ、豊橋にだってなくしてはならない店はあって、みんなが惜しいと思うわけで、息子じゃなくても継ぐ人はきっといる。それは本当にもったいないと思っていたんです。ー ゆとなみ社は関西で5軒の銭湯を継業し、東京でもコンサルタントを行っています。続々と閉店していく銭湯の中で継業できると判断するポイントや難しさは?大武 人蔘湯は地元出身者の私がいなければやれていたかどうか、ちょっと判断は難しかったと思います。さすがに京都で働いているスタッフに豊橋に行けとは言えないので、そこは私がいたからスムーズだった。人蔘湯の場合、人蔘湯を取材したことのある編集者の松本康治さんが女将さんとゆとなみ社を繋いでくれました。黒野 その松本さんが湊くんを知っていて、湊くんには既に実績があり、そこに豊橋出身の大武さんがいて、そういう奇跡。どんどん店が大量に潰れていく中で、そういう繋がりがうまくいったところだけに何か幸福なことが起こるわけじゃない? それは奇跡といえば奇跡だけど。大武 偶然でもあり必然でもあるという感じですかね。継業できない理由はいろいろですが、一つはオーナーさんが他人には貸したくないというもの。京都では結構ありますが、もしかしたら信頼してもらうことで気持ちが変わるかもしれない。もう一つは事業性の問題ですね。銭湯は一定の燃料代と水代がかかってくるので、事業性がないとやれない。立地条件、周辺エリアの人口、定期的に来てくれる人がどれくらい見込めるのかを見ると厳しいところはあります。黒野 そもそも、廃業を決めた人は継いでくれる人が登場するとはまずは思っていないよね?大武 はい。外の人に継いでもらうという発想がない。その上、自分がやってきて苦しい仕事だから子どもにはやらせたくないと思っていたりする。「もうやめるんだ」と決めた人の決意を覆すのは相当大変ですね。何年も、下手したら何十年もやめる時を覚悟してやってきているから、そこはなかなか難しいところです。人蔘湯を紹介してくれた松本さんはあちこちの銭湯に出入りしていて、それぞれで深い付き合いをしているので、銭湯側も松本さんの話なら一回聞いてみようとなった。黒野 まだ少し廃業が惜しいと思っていて、継いでくれる人が登場すればちょっと残しておいてもいい、という場合がたぶんある。その時は湊くんや松本さんのような付き合いや信用が担保になる。人と信用、そこが継業のきも。何によって信用を得るのか、ある人は実績だし、ある人は知り合いだったりする。大武 結構深い繋がりがないと話もなかなか聞いてもらえない。松本さんのような人がどれだけいるか、動いてくれるのかというところが鍵になると思います。黒野 例えば、不動産屋は空き店舗の前にただ札を出すんじゃなくて、担当をつけて、地域に介入しながら信用を得て、「何かあったら言ってね」という信頼関係を作るような、仕事の領域を変えていくことでその役割が担えると思う。大武 京都では地元の不動産屋でかなり踏み込んでやっているところがあります。まちづくりの部署があって、ネットワークを作り、新しく起業したい人に物件をコーディネートしています。ただ物件を貸すのではなく、お金にならないかもしれないけれど、地域のために人のつながりを作っている。他にも、京都信用金庫は定期的に地域でお店をやっている人や個人で活動している人を集めて交流会をしていて、情報交換や新しく改装する融資の相談にも乗ってくれます。その中には、不動産屋もメンバーにいて、物件探しをサポートしてくれることも。地域で起業した人を表彰する制度もあり、金融機関の枠を超えて、色々協力してくれています。黒野 それはすごい。豊橋でもそういうネットワークを作ってもいいかもしれないね。ー 最後に、黒野さんが人蔘湯に期待することは?黒野 僕は、人蔘湯がなぜ再生できたのか、一体何をどういう風にやるんだろうというところに興味があります。まちづくりの観点で言うとすごく面白い場所が一つ増えたなと。この企画なら人蔘湯さんでやればいいじゃんという話もできるし、そこには実績と経験値の高い人たちがいるので、連携をとっていきたいと思う。ファンを作るためのノウハウも知りたい。そこはすごく期待しています。大武 私もまちなかに人の動きが作れたらいいなと思っています。商店街はずらり店が並ぶ線だけど、周辺に面白いスポットや店が点在することでこれからは面的に広がり、エリアのようになっていくんじゃないか、と言う話を聞いたことがあります。人蔘湯も面にするための一つのポイントになりたいと思っています。以上、黒野さん、ありがとうございました!クラウドファンディング終了まで1週間を切りました。引き続き、ご支援よろしくお願いいたします。ーーーーーーーーーーインタビューは地元ライターの飯塚さんに執筆いただきました。わかりやすい文章をありがとうございます!ライター:飯塚雪1985年、愛知県豊橋市生まれ。大学卒業後に東京へ上京、地元新聞社への就職をきっかけにUターンする。7年間の記者活動を経てフリーに。2020年に立ち上げたローカルwebメディアaoものにて豊橋・田原地域のニュースを発信中。飯塚さんに執筆いただいた、にんじん湯のイベントレポートもぜひご覧ください!
メンバー紹介 の付いた活動報告
本日もご支援、ご協力ありがとうございます!にんじん湯復活の鍵を握った人たちを動画でご紹介するシリーズ。きっかけを作ってくださった松本康治さん、女将の藤井寿美子さんに続く最終回は、ゆとなみ社代表 湊三次郎のロングインタビューです。銭湯活動家になった経緯、一号店梅湯での苦労話、独自の銭湯観や今後の展望など。にんじん湯や他の系列店を営む背景に迫ります。今回もご近所の舞台映像作家山田晋平さんが制作してくださり、今回はインタビューの聞き手として絶妙な質問をたくさん投げかけてくださいました。これから先の時代に銭湯に関わる人たちにも見てもらいたいとの思いから制作してくださいました。ぜひご覧ください!
にんじん湯復活に関わってくださった地元の協力メンバーをご紹介します。今回ご紹介するのは、にんじん湯のクラファン告知映像を始め、記録映像を制作してくださった舞台映像作家の山田晋平さん。にんじん湯店長の大武との対談形式でお送りします。(以下、敬称略)プロフィール山田晋平 舞台映像作家http://yamadashimpei.com/愛知県豊橋市在住。演劇やコンテンポラリーダンスを中心に、オペラ、コンサートなど、様々な舞台芸術で使用される演出映像の製作を専門とする。近年では、劇場や美術館にとどまらず、まちなかの建物や生活空間にまで表現の場を広げ、サイトスペシフィックなアートプロジェクトの企画・監修なども行っている。2020年6月、水上ビル(大豊商店街)内に、アトリエ兼住居「冷や水」をオープン。地域に対する芸術普及活動も積極的に行う。― 人蔘湯の映像制作のきっかけは?山田 改装の様子を残しておきたいという話を大武さんから聞き、2月ごろから人蔘湯を撮影するようになりました。来てみたら本当に作業が面白い。大武さんや湊さんが自分たちで、ほこりまみれになりながら釜の搬出や配管などの作業をやっているのを見て「これはすごいわ」と、ちゃんと撮りたいと思いました。大武 自分たちでやる理由は色々ありますが、一番大きいのはコスト削減。もう一つは、スタッフのスキルアップのためです。銭湯自体が減っており、関連する業者もだんだん少なくなっているので、自分たちで修理できるようにしておかないと、店を残していけなくなってしまう。ですから、なるべく自分たちでやっています。山田 頼もしいです。映像はロビーに展示してもらい、「人蔘湯がこんな風にできていったんだ」という様子を皆さんに見てもらえたら面白いかなと思っています。クラウドファンディング告知映像より― 現在、近くの水上ビルにアトリエ兼住居「冷や水」を構えている山田さん。以前から人蔘湯の常連さんだったと聞きました。山田 「冷や水」の改修工事中はお風呂がなかったので、1カ月半ほど定休日以外は毎日入りに行っていました。お風呂ができてからも、たまに行っていましたが、昨夏に長いこと東京へ出張していて、帰ってきたら人蔘湯が閉まったと知って、めちゃくちゃショックでした。― 人蔘湯での思い出は?山田 刺青の人が多くて、最初はとまどいましたが、わりとすぐに慣れましたね。ある時、6人中4人が刺青を入れている男たちで、入れていないわたしの方がマイノリティになったときには驚きました(笑)大武 そこは少し気にしている部分でもあります。銭湯が多く、そこへ行くことがカジュアルな京都に比べ、銭湯がほとんど残っていない豊橋ではスーパー銭湯しか知らない若者も多い。ここで初めて刺青の人に出会う可能性があり、怖い思い出にならないかなと心配しています。山田 目的を考えてみれば、外見がイカツい人もお風呂にリラックスしに来ているわけなので、他のお客さんに絡んだりしないだろうと思うんです。どこの銭湯に行っても刺青のある人はいますが、一緒に気持ちよくなれてるといいなと思っています。大武 若い人たちには、過剰に怖がらないでほしいと思っていて、今みたいな心持ちでいれば大丈夫なんだ、というお手本のようなエピソードです。スーパー銭湯ではお断りをしている所が多いですが、銭湯はもともと、公衆の衛生のための場所なので、刺青が入っていることでお断りをしないというスタンス。分け隔てなくお客さんを受け入れているというだけです。最近は刺青やタトゥーをファッションとして楽しむ人も増えていますし、マナーを守っていただける方であれば、受け入れていきます。山田 人蔘湯がリニューアルして雰囲気が変わって、そういう人たちが来にくくなってしまったりしたら、それはそれで嫌だなと思います。公共性がとっても高い場所だからこそ、刺青がある人だけでなく、外国人など色々な人に開かれているべき場所だし、そういう佇まいの人蔘湯であり続けてほしいです。― 風呂好きな山田さんは、銭湯ではどのように過ごしていますか?山田 まず体と髪の毛を洗います。かけ湯だけして入る人もいますが、僕は絶対、全部洗ってから入ります。その方が、お湯の質が分かる気がするんですよ。お湯に対して肌の感覚が鋭くなるというか。必ず全部洗ってから、できるだけジェットとかがないノーマル風呂に入りますね。人蔘湯なら深風呂。そこから水風呂に一回入って、そのあとラドンに入って水風呂、最後にジェットで体をほぐして出る感じですね。大体30分から40分位。お風呂に入ると本当によく疲れがとれる。お風呂は僕の健康管理にとって必需品です。― 今後、人蔘湯とコラボしてみたいことは?山田 月に1回アトリエで行っている「月イチ水あび」というアートイベントで、人蔘湯とコラボしたいと思っています。銭湯でどういうディテールを楽しんだらいいか、建築的に見ても面白いし、いろんなマニアックな視点がある。本当のマニアがどこを見て楽しんでいるのか教えてもらいたいですね。銭湯に詰め込まれている人の知恵や工夫、創造性みたいなものについて聞きたいです。大武 私はタイルが貼ってある向きとか見ています。昔の大工さんの考えを感じるところが銭湯にはたくさんありますね。山田 ぜひ一回レクチャーしてください!「こういう視点がある」と聞くだけでもとても面白いと思います。以上、山田さん、ありがとうございました!山田さんに制作していただいた にんじん湯の映像は、YouTubeチャンネル冷や水でご覧いただけます。また、山田さんが映像を担当された映像演劇『風景、世界、アクシデント、すべてこの部屋の外側の出来事』が21日まで穂の国とよはし芸術劇場PLATで上演中です。こちらもぜひ!次回のメンバー紹介は、建築家の黒野有一郎さんを予定しております。お楽しみに!引き続き、ご支援よろしくお願いいたします。ーーーーーーーーーーインタビューは地元ライターの飯塚さんに執筆いただきました。わかりやすい文章をありがとうございます!ライター:飯塚雪1985年、愛知県豊橋市生まれ。大学卒業後に東京へ上京、地元新聞社への就職をきっかけにUターンする。7年間の記者活動を経てフリーに。2020年に立ち上げたローカルwebメディアaoものにて豊橋・田原地域のニュースを発信中。飯塚さんに執筆いただいた、にんじん湯のイベントレポートもぜひご覧ください!
にんじん湯復活に関わってくださった地元の協力メンバーをご紹介します。今回ご紹介するのは、にんじん湯のロゴを制作してくださったタウンデザイナーの三浦さん。にんじん湯店長の大武との対談形式でお送りします。(以下、敬称略)プロフィール三浦 有喜(みうら ゆうき) タウンデザイナー/豊橋市職員学生時代からJリーグなどを取材、サッカーライターとして活動。その後、大ナゴヤ大学にて名古屋の文化をテーマにしたまちづくりに携わる。その経験を地元でも活かしたいと考え、豊橋市役所へ入庁。まちなかの活性化や、まちなか図書館の計画・企画などの業務、介護保険担当を経て、現在はシティプロモーション担当。市職員の傍らまちづくりに関わるデザイナーとしても活動。豊橋市制110周年のロゴや、敬老週間ポスター、開発ビル最終計画「さらば」のデザインなど。デザインを担当された「とよはしアスリート夢応援プロジェクト」ときわ通りフラグの前で― ロゴ制作を頼まれた時は?三浦 自分でいいのかなというのが正直な感想。「サウナの梅湯」(京都市下京区)のことは知っていたので、人蔘湯も見劣りしないものにしなければとプレッシャーでしたね。初回の打合せでは大武さんの横には超有名人(湊三次郎)がいるし、どうしようかと思いました(笑)大武 三浦さんが梅湯に行ってくださっていたフェイスブックの投稿を見ていたので、感覚的にも割と近い人かなと思っていました。最初の出会いも閉店する「菊乃湯」(豊橋市)に関する企画で、銭湯から始まったご縁でした。その出会いがつながっていけばいいなと思い、今回、ロゴの制作をお願いしました。かわいいロゴを作っていただきありがとうございます!にんじん湯のロゴ― 豊橋市役所の職員でありながらデザイナーとしても活躍する三浦さん。名刺にある「タウンデザイナー」を名乗り始めたきっかけは?三浦 入庁1年目に「まちなか活性課」に配属になった時、上司が「街の遊撃手」「街の御用聞き」として活動しており、自分が役所で目立てるとしたらデザインだと思い、名乗り始めました。プロダクトやグラフィックだけでなく、街全体のデザイン、街の編集を担えたらと思っています。もともと、まちづくりをやりたくて役所に入ったのですが、デザインで変えていこうという考えではなく、ライティングの経験を生かし、発信を頑張りたいと考えていました。入庁前の1年間、名古屋の魅力を発見、発信しているNPO法人「大ナゴヤ大学 」でデザイナーと一緒に仕事をしていて、出てくる発行物は格好いいのが当たり前でした。役所に入り、広報物を見て「これでは誰にも届かない」と思い、本格的に自分で作ったのが採用ポスターです。デザインが好きなやつがいるんだと職員に知ってもらえるきっかけにもなりました。2016年の市制110周年ではロゴデザインを作らせてもらいました。― 三浦さんはデザインを通じてまちづくりへアクセスを続ける。京都市役所での勤務経験もある大武さんは、市職員が地域に出て積極的にまちづくりに関わることをどう考えますか?大武 京都では市職員が地域に出ることが多かったです。自分が地元住民として活動する時、市職員が自分のできることで地域の頑張っている人を応援しようとしてくれたのはありがたかったです。密にコミュニケーションが取れるのもやりやすく、自分が職員の立場の時も心がけていました。地域で活動している人たちをリスペクトしながら、さらにそれを仕事にも生かしていける関係性はいいなと思っています。豊橋市も、三浦さんや他の職員の方々がいてくれるので、京都とは動き方は違いますが、いい関係を築けたらと思います。私の知る限り京都市職員の中でクリエイティブ系のことをやっている人はあまりいなかったので、そこは京都とは違った強みだと思います。― 今後、人蔘湯とやってみたいことは?三浦 銭湯はコミュニティの中心。高齢者が集まれる場であると共に、若い人が経営することで若者が来る可能性もある。今まで交わらなかった人たちがここで多世代交流するのはすごくおもしろいですね。駅前で建設が進むまちなか図書館(仮称)もあり、人の流れが変わる期待はあります。結局、まちづくりは人と人のつながり。今、つながりが希薄になっているからこそ、まちなかに拠点がいくつもでき始めているのが流れとしてすごく楽しい。人蔘湯がまだ表に出てきていないクリエイティブな人との出会いの場になってくれたら、みんなで一緒に何かできそうな気がします。大武 梅湯では、お客さんとして来ているクリエイターと一緒にコラボグッズを作っています。豊橋だと、クリエイター同士が出会える場所があまりないと思うので、そういう場所にもなってほしいと思っています。三浦さんもぜひ、お風呂に入りに来てください!風呂上がりにダラダラしていたら、誰か来て何か起こると思うので。銭湯は不思議と他のお客さんと喋る雰囲気になりやすい。ゆとなみ社も、スタッフからお客さんに話しかけてコミュニケーションをなるべく取るというスタンス。他の場所ではないことが起こるんじゃないかなと思いますし、そういう風にしていきたいです。三浦 大分県別府市など、お湯からクリエイティブが生まれる印象がある。本当に期待したいし、自分もその一員に混ぜてもらいたいと思っています。以上、三浦さん、ありがとうございました!次回のメンバー紹介は、舞台映像作家の山田晋平さんを予定しております。お楽しみに!引き続き、ご支援よろしくお願いいたします。ーーーーーーーーーーインタビューは地元ライターの飯塚さんに執筆いただきました。わかりやすい文章をありがとうございます!ライター:飯塚雪1985年、愛知県豊橋市生まれ。大学卒業後に東京へ上京、地元新聞社への就職をきっかけにUターンする。7年間の記者活動を経てフリーに。2020年に立ち上げたローカルwebメディアaoものにて豊橋・田原地域のニュースを発信中。飯塚さんに執筆いただいた、にんじん湯のイベントレポートもぜひご覧ください!
本日もご支援ありがとうございます!オープンまであと4日に迫り、本日も工事は急ピッチで進んでいます。そんな中ですが、本日は4月(よい)26日(風呂)の日ということで、にんじん湯が良い風呂だな〜と感じるエピソードをご紹介。長年にんじん湯を守り続けてきた女将さんに、にんじん湯での思い出話を伺いました。お客さんたちとの、心温まるお話がたくさん聞けましたので、一部をみなさまにもお届けします。にんじん湯の雰囲気を少しでも感じていただけたら幸いです。ーーーーーーーーー昭和46年、24歳の時に嫁にきて、ちょうど50年、ここで仕事してきました。お義父さんもお義母さんも仕事一筋の人だったので、新婚旅行から帰ってきたあくる日から仕事を手伝ってました。家業を手伝う約束で結婚したんです。お客さんといろんなお話ができて、本当に大勢の方に巡り会って…それが本当にいい思い出で、私の宝物です。50年も続けていると、昔小さかった子が大人になって入りに来たりすることもあります。昔は赤ちゃんたちがすごく来てたものですから、赤ちゃんが泣くと、「お母さん、ゆっくり入りな。抱っこするよ」って預かってました。同時に2人くらい抱えてたこともあって、何人の赤ちゃんを抱っこしたかわからないくらい。私が抱っこすると寝ちゃうんです(笑)泣かれることはあんまりなくて、みんな可愛かったです。「小さい時、遊んでくれたよね」って、覚えててくれる子もいます。他にも、番台挟んでケンカしてた小学生の男の子と女の子が、今はお父さんお母さんになってたり、グレちゃってどうしようもない男の子が(私がどれだけ怒ったかわからんけど笑)久しぶりに来て、「おばさん、ぼく仕事始めたよ」って、真面目に仕事するようになったりとかね。ふふふーーーーーーと、話は尽きませんが、女将さんのお人柄や、銭湯での人間模様が垣間見えると思いませんか。これを読んで、「こんな女将さんのいる銭湯に入ってみたかったな〜」と思った方や、「またあの女将さんに会いたくなっちゃったな〜」と思った方に、朗報です。リニューアル後は、女将さんもスタッフの一員として、一緒に番台に立ってくれます!女将さんも、あなたも、みんなで一緒にこの物語の続きを紡いでいきましょう。番台でお会いできることをお待ちしております!